花譜へ

1.

花譜は当時東北に住む14歳の、歌が好きなだけのただの少女だった。
歌投稿アプリに投稿された音声をPIEDPIPER(若しくはPIEDにそれを教えた人間)が聞いたことをきっかけに形になったものである。

「花譜」は彼女そのものを指すだけでなく、花譜、カンザキイオリ、PIEDPIPER、川サキ、Palow.の手がける総合芸術作品のタイトルでもあった。

当時は歌ってみたと短いトーク動画、そしてInstagramの投稿が主なコンテンツで、少ない情報の中で花譜という像をみんなが必死に結ぼうとしていた。ほどなくして花と椿と君。がはじまって、それは花達と椿と君。になっていた。

花譜のインスタはとても緻密で鮮やかな情景を切り取った、まるで本当に花譜がそこにいたかのような作品が載せられていた。

あの頃の渋谷には花譜がいて、僕らはその足跡をずっと追っていた。
渋谷の街角、歩道橋の上、踏切の向こう側、小さなトンネル、夕焼け、夜のビル群、河川敷、家々の隙間の路地を写真に収めては花譜が居そうだなとみんなで言っていた。

それでも人は、花譜は成長していくもので、中学高校と歩みを進めていく。
正方形の中にいた花譜は段々身長が伸びて、お酒も飲めるようになって、そして東京にやってきた。

2.

過去にPIEDPIPERが花譜は出会った頃どんな子だった?と質問された際に「物心もついていないような子」だと答えた。

同時に花譜は「私には歌しかない」と語った。
実際、そう言えるだけの才覚を持っていたし、それを拡張する環境が大人たちによって整えられたのだ。

彼女は歌が好きで、好きだから歌を歌っていた。それだけだった。
そうしていく内に花譜は武道館に立ち、YouTubeの登録者は100万人を超えた。

肥大化した花譜像は背負うものも人数も増えていく。花譜がいなくなれば神椿は瓦解するし、その瓦解には多くの大人たちやV.W.Pの面々も含まれているわけで、自我が芽生えた頃には抱えたものが大きくなりすぎていた。

3.

廻花を生み出した彼女は「はかいのうた」を歌った。

不可解弐Q1,Q2はバーチャルライブハウス「パンドラ」で行われたものだった。
小さな玉手箱をなんだかよくわからないまま開けてしまった彼女は花譜になってしまった。
それは少しの好奇心と自身の未熟さが招いた「災い」だった。

彼女は大人になるにつれ自我を獲得していった。世界を見て、大きな舞台に立って、背負うものができたときにはもう後戻りができないところにいた。
花譜が終われば周りの大人も、そしてV.W.Pの面々の人生も歪むことになる。

「どうでもいいけど」と仮面を被っている間はその危機は訪れないし、靴下を浴槽に放置できる人間性だと語った彼女はその仮面を脱ぐことはしないし、出来ない。

芽生えた自意識と花譜としての自分、そして背負ってしまった責任の大きさとそれら全部投げ捨ててしまいたい衝動が、廻花を生んだのだと思う。

以前理芽がGuianoとのスペースで「自分たちの為に尽力してくれている周りの大人たち」の話をしていた。
やりたいことをやりたいとも思うが、自分ひとりでそれはできないし、周りの人間の苦労を見ているとわがままばかり言ってられない。
今自分にできることとやりたいことは不可分だが区別しなければいけないと語った理芽のこの精神性は、廻花を生み出すのに十分なファクターになりえる。

彼女は感情と社会性の狭間で自己分裂を選択した。
一過性の破壊衝動だと感情に蓋をして花譜であり続ける選択をしたのだ。

4.

僕は彼女が苦しいのなら全部置いて逃げたっていいと思っている。
彼女が今何を悩んでいて、何を思っているのかはわからないし、廻花の歌をなぞって勝手に深読みをすることしかできない。

今抱えている破壊衝動は、それこそきっと彼女のもので、お腹がすいたとか、歌がうたいたいとかの横にあるちゃんとした感情なのだと思う。

花譜という偶像はそれだけ強烈で、カンザキイオリの感情が乗せられた楽曲たちは、その根源が何だったにしろ確かに花譜の曲で、彼女の精神性の根幹にさえなっていただろう。
あのカンザキイオリが自分が歌うために書いた歌だ。うれしさとか憧れとか、恐れ多さだとか、すべての感情がないまぜになって渦巻いていたと思う。

Q3で「みんなの中にそれぞれ花譜があるように、私の中にも花譜があって、その全てが本物です」と語っていた通り、全部が嘘なんかじゃなくて、結ばれた虚像ひとつひとつが本物の虚像なのだと信じている。

5.

世界は思っているより単純で、僕がいて、彼女がいてその上に社会だとか世間だとかが乗っかているだけなのだ。

確かに世界は複雑で、存在意義とか名前みたいなものが意味や責任を持たせてくる。それでも僕は彼女に「何が本当で何が嘘かわからなくなっても、あなたの歌だけは本物だ」と言い続けていたい。

もしあなたが花譜も廻花すらもやめてしまっても、歌を好きであってほしいし、どこかで歌をうたっていてくれたらうれしい。
もしそれを聞かせてくれるならそれが僕の幸福なのだと思う。

この先彼女がどんな道を歩むのか僕にはわからないけれど、その先で笑っていてくれたらうれしいです。

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