目先の人参と毒まんじゅう
サラリーマン企業家である「レニー」が中途半端に成熟した日本企業においての気づきを書き溜める備忘録だ。
さて、表題の件について本書を書き進める。
本日は『目先の人参と毒まんじゅう』というお話。
まずは本書の内容を要約する。
企業に属して働く以上、目先の人参を食べてはいけない。なぜなら、その人参が「実は毒まんじゅうだった」なんて事は日常茶飯事だからだ。企業に属していると、食べた時は人参でも、社内政治という風向きの変化ですぐに腐ってしまう場合がある。
美味そうな人参ほど、人の目にも留まりやすく危険性が高い。また、食べる時には一人で食べずに、複数の人間で食べる必要性がある。
少し噛み砕いて解説していく。
抽象度が高い表現になってしまったので、詳細に説明を付け加えていく。
そもそも毒饅頭とは何か
筆者も幾度となく毒饅頭を食してきた。残念なことに分かったうえで食した訳ではない。また、完全に敵が仕込んだ”毒”とも思えない帰結を迎える事は多々あった。
転職を数回繰り返す中で、失敗する人の共通項が見えてきた。その一つが目先の人参に飛びついてしまう点だ。ここでいう人参というのは「短期的に成果の上がりそうなテーマor案件」である。
では要素に分けて記述して行こうと思う。
①短期的な時間軸
企業において、特に1~2年程度で結果が見えそうなテーマは危険信号だ。確実に毒まんじゅうと化す。毒饅頭に変化する要素をさらに分けると、1~2年程度の時間軸の場合、多くの人が成果が出たか出ていないかを確実に認識しやすい。
しかし、その一方でその短期時間軸で区切られたテーマは、ヒト・モノ・カネが細かな粒度で握れていることは非常に稀だ。もし詳細に握れているのであれば毒饅頭への変化リスクは低いと見てよい。
逆に握れていない場合、実行レベルのタスクまで落ちていない中で、不十分な検討状況を経て、テーマだけが宙に浮いていた可能性がある。人によっては人参に見えるが、過程を知っている人間たちから見えれば明確な毒饅頭だ。自分自身で意思決定者と”成果”を握れないテーマには絶対に手を付けてはいけない。
②成果の上がりそうな気配
ここで述べる「成果」というのは、市場価値との結びつきだ。市場価値に直結しそうな気配があるということは、つまり難易度がVery Hardということだ。市場価値と結びつきやすいテーマに対しては「楽勝だな」と思える程度の実力差がない限り、挑んではいけない。Very Hardなテーマを成果としてしまうと、とてもじゃないが意思決定者と成果を握れたところで、達成する見込みはほとんどない。
また、成果の上がりそうな気配がするときに散見されるのが、意思決定者に社内の信用貯金がない場合だ。役職には就いている、予算も取れる、しかし信用貯金がないケースは少なくない。エスカレーションのトップとの合意掲載がおざなりになればなるほど、制約が少なく成果の香りが漂うのだ。
成功よりも失敗しない事が重要
非常に保守的な意見に見えるだろうが、企業に属している以上は成功よりも失敗しない事が重要になる。
なぜなら、仮にテーマやプロジェクトが成功したとしても、昇進や昇給に直結することはほとんどなく、逆に失敗をすれば退職するリスクが上がる。終身雇用が終わった国とは言え、基本的には年齢給が存在しており長くいればいるほど、優位な環境を生み出すことができるのが日本企業の特徴だ。
先ほども述べたように、”成果”が意思決定者と握れていないテーマの場合、社内の政治であっという間に人参が腐ってしまうケースがある。どんなに上手く進んでいると主張しても、もはや後の祭りなのだ。
食べてしまった場合どうするのか
毒饅頭は食べてしまうと、周囲の認知を含め、自分を優位な立場に引き戻すのは至難の業だ。ほぼ諦めた方がよい。
対策①:毒饅頭を食べきった上で、「これには毒が入っていました。毒の成分はこのような内容でした。」と人柱になったのだ という姿勢を示すこと。
対策②:環境を変える。異動、転職様々選択肢はあると思う。
つまるところ、毒饅頭を食すと、責任の押し付け合いにおける、最後のババが手元に残ってしまった状態だ。
あとがき
更新がかなり止まってしまった。自分が情けないと思いつつ、改めて更新を続けようと決意をした次第だ。がしかし、快調に投稿を進めていた時期と比べ、熱量が失われてしまった。
放送作家の佐久間さんの発言(精緻な引用ではない)だが、「自分のハイパフォーマンス状態を基準に仕事の成果や品質基準を作るのではなく、ローパフォーマンス状態でできるアウトプットで仕事をする。」と聞いたことがある。
これはまさに「その通りだな」と思う今日この頃である。