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欲しい言葉が隠れていく世界
オンラインサロンやクローズドコミュニティーが盛り上がる理由として、情報の選び方が重要になってきているという要素があると思う。
価値観の合うひと、自分が向かいたい先に向かう人の情報は、やっぱり優先的に取得したいし、能動的にでも取りに行きたい。ただ、これがインターネットという大海原だと、探すことに労力を使うことや、余計なノイズを入れてしまうことになる。だからこそ、優先的に、自分の欲しい情報を得る手段として、周囲を遮断することが、効率的かつストレスレスな状況になっているじゃないかな。
発信する側も、届けたい人に優先的に届いた方がいいし、当然ながら邪魔してくる奴が本当にウザいとすら思う状況になってくる。しかも、ソーシャルな場所であれば、自分をよく知らない人間が、よくわからない「正義」という名の刃を向けてくることになる。ここでスピード感が落ちること、ストレートに表現できないとできないことはストレスを感じやすい。
自分がアクションを起こしやすい環境にいることで、アクションが生まれるのであれば、そうした環境にいる人が多い方が世界の可能性は広がる。オンラインでもオフラインでも。そのキッカケや環境を作ることが求められているし、それが大きくても小さくても、大人数でも少人数でもいいんだと思う。大事なのは連続性で。
結果として、チャレンジした人同士が繋がり、その渦は大きくなり続ける。そうすると、どこかの失敗事例も、どこかのヒントになり、どこかの成功事例が、全体の可能性を広げていく。この循環でいいのではないだろうか。
そのために、やっぱり得る情報は大事で。
優先度の高い情報を、鮮度の良い状態で得ていく。
自分にしっくりくる質の良い情報を得ていく。
この意識を持った時に、クローズの方向に意識が向くのは仕方がないのだと思う。
クローズで本質を語り、チャレンジして、その結果がオープンになっていく。
そんな流れが既に見えている。クローズな場所も、隠しているわけではない。隠れているわけではない。「ここにあるよ」って教えている。それを得るか得ないかの判断を、個人に託しているだけ。
カクレンボしてるんだけど、居場所教えちゃってる状態。
参加人数が多いからどうしたら良いかわからない鬼や、何かの罠だと思っている鬼からは永遠に見つかることはないだろうし、捕まることはないだろうし、捕まったところでお互い面白くない。
ただ、見つけたいのに見つけられない人がいることは残念だから、発信し続けていくしかないよね。ってことかな。ここだよって、もう少し声出してみてもいいのかもね。