蚤の市便り(DAY10)
誰かと一緒に蚤の市に行くことについて今日は書いてみようと思う。
このあいだ、マルタと一緒に蚤の市に行った。マルタの目的は素敵な額縁を安く買うことで、私の目的はいつも通り何か面白いものを探すこと。飼い犬のナルー(チワワ)を連れてひとりでなら20分ちょっとで着く道のりを、なんだかんだと40分近くかけてふたりと1匹で会場に向かった。
普段、私は早歩きといってもいいくらいのスピードでスタスタと歩く。目的地があるとき、あまり道草するのは性に合わず早く着きたくてそうなる。マルタは違う。マルタは道草が大好きだ。ナルーももちろん、道草が大好きなタチだろう。「あれみて」と何かを見つけ、「ちょっと休もうか」といたずらっぽく提案し、「ナルーにお水をあげよう」と水場を探す。私は自分がひとりで行動することを選ぶことでそういう足の止め方をしないようにしていたからちょっと戸惑い、時間を気にする。自分以外の人と過ごす時間は圧倒的にコントロール外だ。
蚤の市では話をしながらいつもと違う回り方をすることになる。いつもはスタスタと会場を念入りに1周して記憶に残った場所に戻って、一瞬無言で深く考えて交渉し、買ったり買わなかったりする。滞在時間も30-40分と短い。
マルタと行く場合。回り方はランダムになり、話をしているうちに見ないまま終わる店もあり、ナルーの気分も反映される。マルタの額縁探しもタスクに入ってくるので通常とは違ったあたりかたになってくる。
ほどなくして、マルタは状態の良くてサイズもちょうどいい額縁を見つけ安く購入することができた(それは実は遊びで私が書いた習字の「成」をDJに成りたい娘のセリアの家に飾るために探していた額縁だった。もちろんナルーの成でもある。格好良すぎる額に申し訳ないけどセリアは気に入ってくれている)。
マルタの視点で素敵なものを見つけることもたくさんある。ペンダント大に描かれた手描きのアンティーク肖像画、イタリアデザインのステンレスバスケット、見落としてしまいそうな儚いデザインのお皿。マルタに言われるまでは素通りしていたものたち。
私がこれどう思う?と見せたもので「あまり面白くないよ」と却下された時もある。そのときは少し残念な気持ちになるけど、後々思い返せば納得できることが多い。つまりマルタと私では今まで見てきたものの種類や数、触れてきた文化が違うので、良さがわかるものが違うのだ。
ヨーロッパの文化に生きてきたアーティストであるマルタは、それらが土産物の範疇なのか、良い日用品なのか、お宝なのかを知っている。私にとっては旅先で見る珍しいものでも、マルタにとってはより高い解像度で細分化できるものだったりする。
自分ひとりであらゆるものの良さを理解するのには、人の人生分くらい時間がかかるものだなと考える。だからこそ、違うけれど鋭い審美眼をもったマルタのような人と蚤の市に行くことはとても面白い。
いつもの2倍くらいの時間を蚤の市で過ごしてお互い少し疲れたからか、行きよりは少し早足で一緒のアパートへ帰る。あなたのおかげで面白いものが見れたよありがとう、またね、と口々に言ってそっと隣り合ったドアを閉める。自分が選ぶものの並ぶ棚に、その日マルタと話しながら選んだものが加わる。
こういう良さがあるんだなぁと新鮮な気持ちを見つめつつ、でも明後日はひとりでまたスタスタ行こう、なんて少しばかり思いながら。
(このとき買ったものではないけれど)今回紹介するのは、ぶどうの枝で編まれ真鍮の枠がついた古いバスケット。アパートのエレンがくれたココナッツやバレンシアで買った陶器製の調味料入れに紛れて本物のりんご。
ピカソの線のような、洞窟の壁画のような伸びやかな線と青が気に入ったタイルのアート。枠の木も年季が入っていていい感じ。
いずれも今では毎回のように立ち寄っている、気のいいおじさんから購入したもの。