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【FROG TALKS】ダルミアンは自転車競技を見て寝落ちし、ラノッキアはXをチェックしている

こんにちは!TORAです🐯

ラノッキアがホストのトーク番組「FROG TARKS」の第三弾に僕らの愛するイケメン ダルミアンが登場しました。ちょいと遅れましたが、また雑訳を記事にしてみます。

前回のバストーニ回は両者のユーモア全開。細かいやり取りのシズル感が最高で、あえてなるべく会話そのまま+直訳に近い形で構成しましたが、今回のダルミアン回は基本、誠実で真面目(バストーニが不誠実で不真面目ってわけじゃないけどw)。

ライブ感はそこまで重要視しなくていいかな?と思うので、細かい応対はカット+意訳しながら読みやすさに重きを置く構成でいきます。

例によって時間かけず、ザザザと訳したので誤訳あったらすみません!大体な感じで!笑

🐸=ラノッキア
😉=ダルミアン

◆2人の出会い

🐸僕と君が初めて会ったのはU-19の対戦時だったよね?君はミランのU-19でプレーしてた。僕はペルージャU-19にいた。ディ・ジェンナーロもいたと思う。君は当時セントラルMFだったよね?合ってる?

😉そう、僕はセントラルでプレーしてた。

🐸それから数年後、君がパレルモにいたときにピッチで再会し、リーグでもコッパイタリアでも対戦したと思う。あの決勝は良かった…よね?笑

😉君にとってはそうなんだ?(ちょっと意地わるそうな顔で)

10-11シーズンのコッパ決勝はインテルvsパレルモ。ラノッキアはフル出場、ダルミアンはベンチにいましたが出場せず。ご存じの通り、結果は3-1でインテルが勝利し、連覇となりました。

🐸さらに時が経ってアッズーリでも出会えた。そこで君は僕のポジションを脅かしたよ、覚えてる?笑

😉笑。でもそうだよね、何回も出会っている(誤魔化すイケメン)

🐸そして、君がマンチェスター・ユナイテッドに移籍した。

😉君がハル・シティに移籍して、最初の試合はオールドトラッフォードじゃなかった?

🐸そうなんだ。移籍期間終了間際でハルに行き、3日後にオールドトラッフォードでプレーしたよ。信じられなかった。

◆イギリスでの生活

🐸イギリスはどうだった?

😉とても良い経験だった。大きな一歩だったが、ご存じのように苦労も多かったんだ。私はトリノにいて、マン・ユナイテッドのような巨大なクラブに加入するのは決して簡単じゃなかったし、異なる文化の影響もあった。

🐸当時英語は話せたの?

😉レッスンはいくつか受けたけど、当時は生活との両立面で、継続性を保つのが難しかった。でも、4年間イヤでも聞き続けたからもう完璧だと思うよ。…いや、完璧は言い過ぎたかも。笑 流暢には話せるね。

🐸僕はハル・シティにいた当時、イントネーションがとにかく分からなかった(ヨークシャー地方は特徴的な訛りがある)。アラビア語のように聞こえたよ。笑 幸い、アベル・エルナンデスがいてイタリア語を話せたから、僕を助けてくれたんだ。とはいえ、とても苦労した。

アベル・エルナンデスはパレルモで活躍した選手。ダルミアンともちょっと被ってます。

😉想像できるよ。ハル・シティは他の地方のイングランド人選手もいっぱいいたからね。

🐸スコットランド出身のロバートソン、バーミンガム出身のマグワイアがいたけど、彼らもまた難しい訛りだった。今となっては良い経験だ。

😉分かるよ。でもピッチの外ではイタリアとは異なることが多く、ちょっと大変だったな。僕は妻と二人きりだったけど…

🐸君にはまだ子どもがいなかったね。

😉ううん、犬がいる。初めての子どものように可愛いんだ!笑

🐸😉(二人で笑う)

😉最初の1、2年間は、特に家族一丸となって乗り越えた。おかげで順応できたと思うよ。

◆マン・ユナイテッドでの思い出

🐸当時の監督は誰だっけ?最初に会った人は?

😉最初はファン・ハールだった。

🐸偉大な人だ。彼はどんな人だった?

😉彼は本当に優秀、ルールに厳格だったね。僕たちは決められた時間に昼食を取りに行かなければならなかったけど、全員同じテーブルに座らされた。ピッチ上でもルールは多かったんだ。(僕が加入してから)1年で旅立ってしまったけど、FAカップで優勝したことは今でも忘れない。

😉その後、モウリーニョが就任し、2年半指導を受けた。

🐸対戦した時、モウリーニョがいたのを覚えているよ。イブラ(ヒモヴィッチ)もいたね。彼にバイシクルキックで頭を蹴られそうになったな、写真もある!命の危機を感じたよ!笑

🐸マン・ユナイテッドは世界最大のクラブの一つだ。(ここからフリが長い↓)

🐸僕はイングランド生活で思い出深いことがあって、それはリバプールとのシーズン後半戦だ。FWに二アッセ(バイェ・ウマル・ニアッセ)がいて、午後3時にキックオフだったんだけど、午前11時に昼食を取っていた。彼はバターとヌテラのがっつりサンドイッチ2つを食べ、カプチーノを飲んだんだ。イタリアではご法度だ!笑 どんな監督もその光景を見たら頭がおかしくなるだろう。

😉あれ?2得点してたよね?笑

🐸そう、彼は2ゴールを決めて、僕たちは2-1でリバプールに勝利した。クロップ監督の初年度だったと思う。マン・ユナイテッドもこういうことがあった?

😉もう少し厳格だね。ただ…あなたがハル・シティで見たリラックスされた雰囲気については、少し向き合い方が足りなかったかもしれない。

🐸いつも迷っていたことがあって。ハル・シティはたまたま勝てば素晴らしかった。負けてもある程度は許容内、予想されていたんだ。実のところ、イングランドではあまりプレッシャーを感じなかったんだ。

😉正直に言うと、僕も同じだったと言わざるを得ない。歴史あるクラブの一員だったとしても、あまりプレッシャーを感じたことはなかったかな。でもイタリアは違う、それに気付けたんだ。

😉プレッシャーはポジティブなこと。コインの表裏と捉える必要がある。プレッシャーがなければ冷静さを保つことができるが、落ち着き過ぎるのも良くない。うまくやるにはプレッシャーを受け止めて、飼い慣らすことも必須なんだ。

🐸間違いない。僕も移籍当時、すぐにタブロイト紙がスクープやゴシップをどれほど探しているかと警告された。何かを言われたとしても分からなかったんだけどね。笑 

ラノッキアさん、それもたしかになんだけど、でも、そういうことじゃない気が笑

◆実はCFだったトーク

🐸君にとってイングランド、そして、マン・ユナイテッドでの経験はどんなに大きかったんだ、と容易に想像できるよ。そして今、君はインテルにいる。

🐸いつも言ってるし、これからも言い続けるけど、君は僕にとってゴールデンボーイだ。もし君のような選手が11人いれば、常に正しく良いプレーができる。どのポジションにいても、いつもうまくやる。私が数年前、前(中盤)に出させられていた時のようにね!笑笑

🐸ダルミアンというプレーヤー、君の知性に今になって初めて気付いた人も残念なことに少なくない。インテルに加入した時は正にそうだったと思う、けど、君はその実力でみんなの心を征服した。これは友人として、僕たち2人の間の褒め言葉だ。

😉(照れるイケメン)

😉みんなにもこう見えていると思うけど…僕は自分自身、自分の資質、チームのために何ができ、達成できるかを考えて、そしてそんな自分を信じてきた

😉僕は素晴らしい演技をする人間ではないけど、常にそうしようと努めている。試合中には自分に責任がある特定の事柄がある。技術的および戦術的な選択をしなければならないが、プレー中は時間がないので決して簡単ではない。僕は常に正しいことを正しい瞬間に行い、全力を尽くすように心がける。僕はそれが、人々が僕に対する評価であってほしいと願うし、アカデミーからこれまでキャリアで割り当てられたミッションだと思っている。

🐸そのミッションに従って選手として成長することは難しい。幼少期、僕はFWだったけど、時間が経つに連れて自軍ゴールに近づいた笑。役割もたくさん変わったな。君もMFとしてスタートし、WB、そしてDF。全てやり遂げた。

😉僕も小さい頃はCFとしてプレーしていたんだ。なぜか少しずつ後ろに下がっていったね。笑

🐸僕も、ピッチでもピッチ外でもそうだった。笑笑

😉CFとしてプレーした後、当時のコーチたちは僕がWGに移動させ、さらにその後で後方に移動するように指導した。おそらく、これが僕のミスを制限する方法だったんだ。笑笑

🐸君の前線でのミスを避けるために後ろに移動させたんだね?笑笑

😉全体的にうまくいったと思う。子どもの頃から精神的に準備できていた。それが複数の役を演じることができるようになった理由かは分からないけど、少なくても成功の一要因だと思う。

🐸君は地元のチームから始めたと記憶しているけど、どこだったの?

😉僕の出身地のレスカルディーナの小さな村だね(ロンバルディア州)。

🐸今も住んでるの?

😉ううん、今はミラノに近いアレーゼに住んでるんだ。当時は放課後に集まって、夜までサッカーを楽しんでいた。本当に素敵な思い出だよ。

◆インテルトーク

🐸今、サッカー界で友達後思う人は何人いる?本当に何かを共有できて、長い間遊んでいる友達はいる?

😉ちょっと難しい質問だけど、多くはいないね。

🐸僕はその一人だね。

😉その通り。笑 海外に住んだことも影響して、様々な文化を持つ人たちとたくさん出会ったけど、結局のところ、いつも心にいて、連絡を取り続ける友人はそれほど多くないんだ。

🐸今は誰と強い絆を持っている?

😉バレ、バスト、ディマッシュ(バレッラ、バストーニ、ディマルコ)だね。

🐸君たちはロードオブザリングみたいだ。笑

😉笑笑。僕たちは素晴らしいグループだ。ここ4シーズンの歩みは、人々も分かってくれていると思う。あなたも2年前までその一員だった。

🐸その時、僕は一定の成績を収めたよ!笑 僕を祈りを捧げる「ホーリーカード」として持っておいてよ。笑

😉実際に2枚あるよ。一つはロッカールームに、もう一つはストレッチなどで使うベッドにある。笑

🐸確かにあのベッドの上では僕は暴れ馬だった!笑 必要だね。笑

😉ラノッキア、あなたはインテルには何年在籍したの?

🐸合計12年間プレーした。途中でローン移籍も挟んだけど、いい道だった。本当に楽しかったよ。君は引退に向けて何か考えたことがある?

😉ちょっと待ってよ!僕にはまだ数年ある。笑 正直に言うと何も考えたことはないね。でも、僕がやりたいことはサッカーの世界に残り続けること。具体的にどの仕事に就くかは分からない。人々から『監督』って言われることが多いけど、それも具体的なアイディアじゃない。

🐸どうして?その考えはお気に召さない?

😉ストレスやプレッシャーがね。僕たち選手は慣れてはいるけど、監督も同等、いや、それ以上かもしれない。現時点では、僕は監督になることにノーと言うね

🐸引退する時に考えることになると思うけど、備えあれば憂いなしだと思うよ。いざという時に混乱したくないでしょ?

😉おそらく何らかのコースを受講して、ライセンスを取得するとは思う。自分にとって何が最善か模索するよ。

😉君は今は何をしてるの?

🐸プライベートを楽しんでいるよ。もう追放されたからね。笑

🐸僕が君にできるアドバイスはプレーする熱意がある限りはプレーを続け、できる限り自分を追い込むこと。それが止まったら、そのサイクルから抜け出すんだ。僕は試合に出発する前から酷く疲れていることがあり、それに気づいたのが引退の理由なんだ。

🐸君のキャリアで最も大きな影響を与えた監督は誰かな?

😉全ての監督が僕にとっては重要だった。お世辞ではなく、これが真実なんだ。全ての監督から一人をピックアップするのは難しいけど、ブレイクスルーのきっかけとなったのは(ジャンピエロ)ヴェントゥーラだと思う。

😉彼はフットボールの達人。僕はパレルモからトリノに加わったけど、それはセリエAからBにドロップすることでもあった。彼は僕に役立つことをたくさん教えてくれた。それは後になって、Aでも通用することだったんだ。

😉それからアントニオ・コンテ。アッズーリでもインテルでもお世話になったからね。

🐸後になって今のシモーネの管理方法、選手への理解、他の側面を理解するようになるだろうね。でも若い頃に出会った監督たちのアイディア、思想、理念は心に残るものだ。ベントゥーラはこれに該当するんだろうね(シモーネへの配慮ができるラノッキア)。

🐸新加入選手では誰が最も好きかな?僕は君がロッカールームで新加入選手を歓迎し、言葉を知らない選手たちを助けていることも知っている。君は僕よりも内気だけど、その真摯な態度が彼らの支えになっている。尊敬に値する人物だ。

😉彼らはみんなイイ奴だ。自分自身で準備していて、学ぶことに熱心。ビセックは素晴らしい将来が待っている、伸び代が大きいんだ。すでにこのグループでやれることを証明していて、トレーニングでも驚くほど頑張っている。他の国、他のリーグからここに来るのは決して簡単ではない。彼はうまく定着した、これからもやっていけると心から思っている。

🐸君はビセックと英語で話すよね。

😉そうだね。彼とは英語で話す。

🐸君たちはこのグループの完璧なキャプテンであるラウティ、そしてバレッラ、バストーニとともに歩んできた。そして新しくやってきた人は君を見て、クラブでどのような立ち振る舞いをすれば機能するか、すぐに理解できる。そして、実際に彼らはすぐ理解できていた、と僕は見ている。すぐチームメイトとの繋がりを築くことができた。掲げる目標を達成するにふさわしい、健全なグループだ。

😉ここ2年間は本当に重要だった。多くの勝利とトロフィーを手に入れたが、時には敗北が教訓となることを認めなければならないこともある

🐸CL決勝のことかな?

😉そうだね。昨季はリーグ戦での浮き沈みが激しかったこともある。12試合も負けたからね。

🐸確かに多いね。

😉僕たちは特に自己認識において大きく成長した。昨季の間違いは絶対に繰り返したくないんだ

🐸昨季CLを制していれば、傑作のシーズンだったと思う。でも、あの敗戦でインテルはどんな相手でも戦えるチームだということを正しく認識することができた。外から見てもそう確信できるものだった。

◆ピッチ外のダルミアン

🐸ピッチ外の「マッテオ」はどうかな?テニスかバスケに興味があると聞いたけど。

😉テニスだね。バスケにはあまり興味がないかな。バストとバレはバスケに夢中だね。

😉そういえば、去年、僕はアレックス・コルダツと一緒に自転車競技の観戦を始めたんだ。彼はとても魅了されていたのを覚えているよ。全く知らない世界だったけど実際にレースを見たら…

🐸眠ってしまう?笑

😉よくあるんだ。笑 僕にはちょっと向いていなかったかも。興味が薄いとすぐ眠ってしまうんだ。笑 自転車も少しはハマったけど、サッカー以外で好きなスポーツはやっぱりテニスだね。

🐸スポーツ界のアイドルは誰?一緒にディナーに行けたらいいなって人はいる?僕以外にね。笑

😉大丈夫、何度か食事に行ったことがあるから、その夢はもう叶ったんだ。笑 それ以外で言うと、ロジャー・フェデラーだね。本物の王者だ。

🐸あ、僕も!一度の食事だけじゃ満足できないな。笑 直接会ったことはあるの?

😉ノー。

🐸それは残念。僕は引退して良かったことに、彼のプレーを生で観たことを挙げられる。

🐸最後の質問だ。もし貴方が超能力を使えるとしたら何を選ぶ?(なんだこの質問w)

😉分からないよ。笑 テレポテーションかな。

🐸ピッチでも使えるもんね。笑

😉瞬間移動できたらもっとうまくやれるだろうね。残念ながら僕にその力はないけど。笑 君は何を選ぶ?

🐸僕はいつも空を飛ぶことを夢見ていたよ。子どもの頃、ヒーローが好きで、ずっと憧れていた。ミスター・ファンタスティックはタコのように伸びることができて最高だ。

身体をゴムのように伸ばすことができるマーベルのヒーロー

🐸先日Twitter(X)で素敵なツイートをいくつか読みました。(!!?)

🐸ロブという人物は「ダルミアンは毎年12/2(誕生日)だけ年を取ったフリをする。人々に不審を思われないように」と語っていたよ。笑

キャプション付きで取り上げられるロブさん、いいなぁ!!

🐸改めてだけど、君がパルマから加入した際、懐疑的な人たちもいた。でも君はパフォーマンスを重ねるごとにみんなのアイドルになり、誰もが君を愛している。疑いようがなく、素晴らしい選手だ。

😉嬉しいよ。僕自身、インテルに加入した際、ファンがどのように考えているかは察していた。でもそれだけだ。マンチェスターを出てパルマに行くときに、自分自身に賭けていた。僕が望むのはプレーすることだったから。マン・ユナイテッドの最後ではそれが叶わなかったけど、その後は全てのパズルが噛み合ったんだ。

🐸汗と痛みによって、ね?

😉インターネットは素晴らしい世界だね。繋がれる。

🐸同感だよ笑 ありがとうマッテオ。心から楽しかった。

😉僕もいつも通り楽しかったよ。

Fin.



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