2021.8.31 毎秒、愛を更新していく人
女性 21歳 大学生
「最近はコロナで全部オンラインになって、1年半以上キャンパスに行ってないです。オンラインでいろんなことをやっていて、意外と楽しいけど人と会えないので。
人と会うのが好きですね。それは母親からきている気がしています。母親は地元と東京で水商売のお店を何店舗か経営しています。
母親は10代で私の兄を産んでるんです。兄を産む時に高校を辞めて、おじいちゃんに勘当されてしまったんです。お金がどうしても必要になって、自分一人でやっていくとなった時に水商売しかなくて。兄を育てながら東京で働いている時に私の父親と出会いました。父親は世間体を気にする人で「結婚はしないけど援助するよ」と。それで私が生まれました。家に経済的な潤いはあったけど、私が私立幼稚園を受験した時に全落ちしました。あれは親ゲーみたいなところがあります。
父親が外国にいたので、母親とは離れ、父と暮らして中学校まではインターナショナルスクールに通って、高校生になって日本に戻ってきました。父との関係は全然でした。母親のことをあまりリスペクトしない人で、「結局フェミニンを売りにしているからよくないよね」と。父と母はすごく年が離れているんです。父は「ちゃんと勉強したらしっかりした人間になれる。勉強していないとああいう(母親のような)働き方しかできない」と言うんです。私は母親のことが結構好きで、あまり怒られたことがなくて。母からはずっと、あなたはプリンセスだよ、と言われて育ったんです。
母からは事あるごとに「勉強しないと本当に大変だよ」と言われてきました。いい大学に入ってほしいとか、苦労をしてほしくないという思いが強すぎてプレッシャーが凄かった。「女は愛嬌があれば生きていけるけど、知識がないと助けられるだけの存在になってしまう」と。母は勉強家でいろんな本を読んでいるけど、中卒でいろんなことを言われてきたんです。知識があってもパッと見では分からないので。自分を守るためにも、自分はこういう人間ですと証明してもらえる場所に行きなさい、と言われていました。
父親と暮らしているときはたくさん家庭教師をつけられたり、学校もすごく厳しくて勉強させられまくったんです。日本に帰ってきて地方の学校に行った時は、環境の差が凄かったです。インターの時は割と裕福な家の子が多かったので、勉強するときは毎回スタバに行っていて。日本に帰ってきたら、スタバは新作が出た時に月1しか行けないという子が多くて。日本に戻った時は、水商売の子ということで最初は周りからの当たりがすごくきつかった。あの家の子とは遊んじゃいけない、とか。韓国系ではないのに在日と言われたり、掲示板に母親の会社と私が通っている学校名が書き込まれたり。今でこそ、暇だからそういうことをするんだと思いますけど、その時は母親が可哀想だなと思いました。
母親は料理ができないけど、一度私がトマトのコンポートを美味しいと言ったら、毎日お弁当にコンポートだけを入れていました。
母と父は結婚していなかったので、母親にはよく彼氏的な人がいました。母親と彼氏の食事の場に私も連れて行かれて「ありがとうございます」と言ったり。母親に「あのおじさんのことは言っちゃダメだよ」と言われたり。ジェットコースターのような毎日でした。兄は早めにぐれちゃって、今でこそポップな感じですけど。父親が元々バツイチで子供がいて、私とその子で比べられたり。
大学に入って、学生っぽいことをたくさんした気がします。遊んだり、変な人に騙されたり。付き合っていた人がグーパン系の人で。私、遅刻や忘れ物の癖が酷くて、殴られることで許されるならと思っていたんです。それが過ちでした。殴った後に「ごめんね」と言う典型的な人だったんです。この前会って喧嘩して、めっちゃあざができたんです。やばくないですか?これは(噛まれた跡の)歯形です。その人とは結構前に別れたけど「変わるから見ていてほしい」みたいな。でも結局変わらない。自分の思い通りにならないとめちゃめちゃ切れる人なので。でも、好きって言われると嬉しいんですよ。
私、父親にコンプレックスがあって、年上の人を好きになる。年上で自分の芯を持ってやりたいことをやっている人がすごいと思っちゃう。そういう人が褒めてくれたり、好きだよと言ってくれると嬉しくて。自分は八方美人で、自己肯定感が低いけど承認欲求が強くて、嫌われたくないんです。
母親は自分を曲げずにいろんな人に好かれる人だったけど、私は人にアジャストしちゃうんです。大人数だと一人一人に合わせた対応をするから疲れます。本質的には寂しいんです。父親と暮らしていたときも、父は忙しいから家政婦を雇っていて、家政婦はよく分からない言葉で話していて。家には父親もいないし、外に行ってもマレー語は分からないし、疎外感なんです。学校に行って友達や友達の親と良い関係を築いたらお家に呼んでもらえるし、そうしたら一人じゃなくてもいいから。頑張って好かれようとしていました。
話しながら、母親からは愛情をたくさんもらっていたことを思い出しました。母は毎秒、愛を更新していく人なんです。」
この記事はBE AT TOKYOのプロジェクト、【BE AT TOKYO DIARY】で制作しました。
※感染症等の対策を十分行った上で取材しています。