2021.8.10 「社会」という言葉を意識してしまう
2021.8.10 女性 個人事業主
「もともと学校が好きじゃなかったです。小学校3年までは誰よりも早く登校してました。でも、途中で「もう他の子を待ってるの嫌だな」と思って、だんだん学校がつまらなくなって休むようになりました。
ずっと人間社会に馴染めないで生きてきた感じです。周りとズレてるんですよ。家族が発達障害の診断を受けていて、自分にもそういう傾向があります。気に入った服を何着も買ってずっと着てるし。強迫的なんです。子どもの頃から社会に適応しなきゃと思ってずっとやってきたから、成長痛がすごい。そんなの気にしなくていいと言ってくれる人もいるけど、実際に言ってくる人もいるので。
「社会」っていう言葉をよく使っちゃうんです。それには理由があって。大学生の時、学芸員資格を取るために都内の美術館で実習をしたんです。修了証に担当の学芸員からのコメントで「社会性を身につけましょう」みたいなことが書かれていた。その言葉にグサッときてしまった。こんなこと書くんだ、嫌だな〜と。自覚があるから更にショックで。大学を卒業して何年も経っているけど、その言葉がいつも頭の中にあります。
昔から自分のことを応援してくれてる人達がいるんです。仕事のお客さんとか。お茶とかご飯をご馳走してくれたり、気の利いたお土産を持ってきてくれたり。何でそんなに良くしてくれるのかなと。でも、その人達のために頑張ってるわけじゃないです。感謝の気持ちはありますよ。その人たちに対して感謝の気持ちを伝えたり、人としての礼儀は尽くしてるつもりです。でも、良くしてくれることに負い目を感じて相手に遠慮するのが一番良くない。どちらかが遠慮すると、関係がぎくしゃくし出すんですよ。
応援してくれる人の中には、働くとしてもあなたの未来に繋がる仕事をした方がいい、と言ってくれる人もいます。その通りだと思います。仕事の話が来ても、やるかやらないかは未来に繋がるかを考えて決めています。でも、それは理想で、お金に余裕がない時は大抵の仕事をやりますけど…。
子どもの頃から両親の仲が悪かったです。本当に仲が悪いと話さないし、喧嘩すらしないんですよ。それを見てきたせいか、人にはどう頑張っても伝わらないだろう、みたいな諦めがある気がします。親と私の関係も良くなかったから、22歳くらいの時、腹を割って話そうと母親に持ちかけたことはあるんです。でも無視されました。だから諦めました。諦めたから、今は表面上はいい関係です。根本には諦めがあるんですかね。基本、誰とも深い関係にならないので。今までも、あなたはつれない人だと言われてきました。好きでこうなってる訳じゃない。でもこれが私です。
でも、自分の持ってるカードは最大限に生かしていこうと思ってやっているので、こう見えても前向きなんです。
周りの人に、私は一つのことをずっと続けているのが良いと言われます。続けることって大事みたいです。やってきたことに説得力が生まれるみたいだから。表現の活動なんかをしてる人は、SNSとかを嫌になっても消さない方がいいと思う。消したら今まで積み上げてきたものが消えちゃうじゃないですか。良いものも悪いものも残していかないと。」
この記事はBE AT TOKYOのプロジェクト、【BE AT TOKYO DIARY】で制作しました。
※感染症等の対策を十分行った上で取材しています。