2021.8.29 親よりお客さんに感謝している
女性 30代 士業
「仕事は、新卒で8年働いた後に独立して、今は1人で仕事をしています。
うちは親が2人ともかっちりした仕事なんですね。親戚も国家公務員、弁護士、お医者さんとか。親は厳しかったです。両親の仲は最悪でしたけど、世間体を気にして離婚しなかった。いろいろあって中3の夏休みにもう死んでしまおうと思って、自分が死んだら連絡してほしい人リストを作りました。その頃からネット上に友達がいたので、連絡がいかなかったら自分が死んでも気づかれないな、と。自分の頭を家具にぶつけてました。部活をやり、生徒会をやり、塾に通って習い事もして彼氏もいたけど、ずっと死のうと思ってました。
水商売を始めたのは大学生の時に新橋あたりを歩いていて声をかけられてからです。働いていたのは銀座です。
仕事は向いていたかは分からないけど、お店に入って2日目で太い(お金を使ってくれる)お客さんができました。上場企業の社長さんでした。お店で一番売れているお姉さんも私のことを気に入ってくれてよくしてくれて。この世界では女性にも好かれた方がいいんだなと。お客さんに対しては、相手が言ってほしいことを察して機転の効いた返しができることも大事かもしれない。とはいえ、お客さんにとって自分の見た目が好みであればそんなの関係ないですけどね。
私のお客さんは安定した企業で働いてる方や中小企業の経営者が多かったですね。最終的には、自分と似たようなお客さんが着くんだと思います。
忘れられない人は、病気で亡くなったお客さん。病気でお酒が飲めなくて、お店に来て、自分はお茶を飲んでおしゃべりして帰って行くような人でした。お店を辞めてからも連絡は取っていて、その方が入院した病院にお見舞いも行っていました。亡くなる数ヶ月前にその人から「あなたの思い出を胸に死んでいきたい」とメールが来ました。ところが最後にお見舞いに行くという時に私が気管支炎になって行けなくて、それがいまだに後悔です。その方は私が就職した時、仕事で使えるようなペンを送ってくれたんです。結構いいものを。それを今も使ってます。大学を卒業すると同時にお店もやめました。
水商売って、実際の稼働時間に対しての稼げる金額で言うとすごい。お酒以外だと、お客さんから100万円ポンといただいたこともあります。移動は全部タクシーで、欲しいものの金額を見ないで買ってました。でも、我慢することも多かった。私、食べるとすぐ太っちゃうのであまり食べないようにしていました。食べ過ぎたらジムで走り、毎日お風呂に1時間くらい入ってマッサージして。美容の治療もして見た目には気を遣ってました。お客さんから電話がきたら必ず取るし、連絡もまめに返してました。高いお酒を入れてもらったりプレゼントをもらったらちょっとしたお返しをしたり。とにかく時間がないし、気が休まる時がないし、永遠に24時間営業のコンビニみたいな感じです。それを大学に通って資格の試験勉強をしながらしていたので、今思うと自分、結構頑張っていたなと。私のことを好きすぎるお客さんには敢えて冷たくして、程よいところで優しくしたりしてコントロールしてました。一種の洗脳ですよね。
上場企業で長く社長や役員をやっているお客さんは、遊び慣れている人が多いから飲み方も綺麗でした。そういう人たちも深く関わったら自分の思い通りにしたいタイプが多いから面倒ですけど。でも、親より感謝しているのはお客さんです。お客さんのおかげで自分を立て直していこうと思えるようになったところもあります。親からは、今思うと虐待されていたので。一時期は兄弟から性的虐待もされていました。私、一度家族に人生を壊されてメンタルが超強くなったんです。マイナスからのスタートだから失うものがないし、何が起きてもそこまでダメージがないんです。水商売で働いている女性は何度も修羅場を潜り抜けてきた人ばかりなので、いろんな意味で一枚上手な人が多いです。
コロナで銀座はどうなったんでしょうね。企業の社長さんたちは会社から夜の街には行かないように言われてるみたいです。
水商売以外の仕事関係とか、普通に知り合う方でもセクハラしてくる人っていますよね。結婚していて言い寄ってくる人とか。お客さんだったらお金を使ってくれているから相手をするわけで、無料で搾取してこようとする人は死んだ方がいい。失礼なことをしてくる上にお金を使ってくれない人とは一言も口をききたくないですね。
付き合っている彼女が水商売をやっていて、「やめてほしい」って言う彼氏っているじゃないですか。普通は彼氏にばれないようにやるんだけど。でも、ただ辞めてって言うだけじゃ意味ないよねと。本当にやめて欲しいなら、お金も出すしあなたの生活の面倒も見るからやめて欲しい。あなたのことが大切だから。と言わないと。本当の意味でやめられないと思います。」
この記事はBE AT TOKYOのプロジェクト、【BE AT TOKYO DIARY】で制作しました。
※感染症等の対策を十分行った上で取材しています。