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第1話「花のない花屋」
その動物は、男であるか女であるか以前に、人間であるかどうか、そのものが疑問ではあった。
社会と間接的に「隔離? 断絶?」されたワンルームマンションは、その動物にとっての「子ども部屋」でもあった。
リモートやキャッシュレスが当たり前になった時代、ひとつの組織において歯車として機能しなくても、端末と電波があれば、自分ひとりくらいなら食べてはいける。
ただ、それでは自分自身がひとりの社会人として機能しているかは疑問ではあるので、その動物はたまに「日雇いのバイト」をして、自分自身の存在確認は怠ってはいない。
その動物を【エージェント24】と呼称しよう、うーん、めんどくさいから24にしよう、私自身の名前だ。
24は、腹が減っている。
しかし、2025年においては、物価高騰のせいでうかつに高いものも食べられない。
24の今日の朝食は、コンビニで買った3つの菓子パンだ。
プラス、安いタバコとインスタントコーヒー。
フリーランス、と表現するならば、24は一日24時間のうち、いつ仕事をするかは自己判断だ。
昼夜逆転したって、夜に仕事をしてもいいし、昼間は寝ていてもいい。
24には、友人知人は皆無だ、家族も恋人もいない「天涯孤独」だ。
24は、自身の生存確認のためにも、頭の中のもうひとりの自分「ハイヤーセルフ」と会話をする。
ハイヤーセルフに関しては「intention of gaea」=ガイアの意思と呼称しよう、いや、めんどくさいから「ガイア」と呼称する。
この文章自体、24が書いているのか、それともガイアが書いているのかも疑問ではある。
私自身が「今この瞬間」疑問に感じているのは「リメイク? リブート?」ブームに関して、だ。
21世紀においても様々なフィクション作品が誕生し、更には20世紀のフィクション作品さえも、新たにリメイク? リブート? される。
私はここで「ある種の懐疑的なロジック」に気がつくことができた。
20世紀の作品を【分解して再構成する】にあたっての、改悪か改良か、についてだ。
もともと中身があるものを分解して再構成したら、改悪になりやすい。
逆に、人気はあったけど中身がなかったものを分解して再構成したら、改良になりやすいのではないか、いや、改良にしかならない。
今現在、私自身は「創造的破壊=破壊的創造」のロジックを、そんな風に解釈することに成功した。
生きることに虚無感を憶えている自分自身=24とガイアの間で自問自答し続けている自分自身にとって、生きる責務などその程度のものだ。
20世紀の「中身のある作品」をリメイクすると、改悪になりやすい。
逆に。
20世紀の「中身のない作品」をリメイクすると、改良になってしまう。
スピリチュアル的には、2月2日の節分が大みそか、2月3日の立春が元旦である。
この、ある種の公開日記のようなものの執筆開始は、私(24及びガイア)にとって、2024年最後の大冒険でもある。