とあるデイヴの煉獄篇
〔前略〕
しかし、私の興味はすぐさま『Rust in Peace』以前の楽曲に移った。『In my Darkest Hour』、1988年発表の、独創性を着実に得つつも批評・興行的な成績においては Metallica の後塵を拝していたと言わざるを得なかった頃の Megadeth を印象付けるアルバム『So Far, So Good... So What!』の主要楽曲、として少なくとも私は認識していた。が、いま『In my Darkest Hour』を聴き直すにおよび、当時のデイヴ・ムステインが置かれていた苦衷が、主に「前妻」たる Metallica との比較によって理解されるようになったのだ。
Metallica が2ndアルバム『Ride the Lightning』をリリースしたのは1984年。当時はまだムステイン在籍時に作曲されたカタログと完全には手が切れていない状態にあり、表題曲と『The Call of Ktulu』の共同作曲者としてデイヴの名前が入っている。そのアルバムで「前妻」が見せた躍進ぶりの4年後、デイヴは自らのバンドにおいて『In my Darkest Hour』を発表したわけだ。両バンドのファンならば周知のとおり、この楽曲は1986年に事故死した Metallica のベーシストにして作曲家:クリフ・バートンに捧げられている。
いや、単に「捧げられている」と記したのみでは無用の誤解を招く。現に、私も『In my Darkest Hour』に関しては安易かつ直線的な理解しか持っていなかったのだ、昨晩に『Rust in Peace』オリジナル版を聴き直すまでは。
wikipedia で引用されているインタビュー記事によれば、デイヴ・ムステインにとっては「クリフ・バートンの死」そのものよりも、「かつて一緒に(『Ride the Lightning』に回されたような)楽曲を制作した仲のクリフ・バートンが事故死したことを他のメンバーが直接的に連絡してくれなかった事実」に深い衝撃と悲嘆を覚えたのだという。それに被せてデイヴは当時のガールフレンドとも不和を抱えており、両怨恨が混ぜ合わされる形で『In my Darkest Hour』は成立した、というのが実際らしい。
とすれば、「デイヴはクリフ・バートンの死を悲しんだ」あるいは「デイヴは Metallica メンバーからクビにされた後でも彼らのことを想っていた」などの解釈は、外れとまでは言わずとも事の一面しか捉えていないことになる。まずギタリストにして作曲家たるデイヴ・ムステインは、ごく短い時期にMetallica で活動を共にしたベーシストにして作曲家たるクリフ・バートンと双方向的な敬意を交わしていた(デイヴの解雇を実行したのはラーズ・ウルリッヒおよびジェイムズ・ヘットフィールドの2名である)。デイヴは「前妻」たる Metallica (←当然ながら、一般的なロマンス語で a を語尾に持つものは女性名詞である)から見放され、1st, 2nd と見違えて躍進する姿をまざまざと見せられたが、同時に「前妻」の新作群には、デイヴとクリフが共作していた頃の楽曲が平然と混ぜられていたのである。
上述の経緯を踏まえて、そこに愛と友情と自恃の搾取を見出すことができないとすれば、その者は相当な政治音痴だろう(政治的な搾取とは経済=金銭的な数値のみに関わるものではない。「おれがあれだけやったのにあいつらは」とか「おれがあれだけやったものがあいつらに」とかいう情念が個々人に内蔵されている心身双方のエネルギーを具体的に拘束したり・その排出口を誘導したりするメカニズム全般を含む問題なのだ。というか、そもそもアメリカ合衆国発祥のSFではその構造が内蔵されている作品が多すぎないか? 『夏への扉』とか『アントマン』とか)。デイヴ・ムステインが『In my Darkest Hour』で吐露したあれほどの厭悪は、単に「俺がクリフと一緒に作った素晴らしい楽曲をよくも(盗みやがったな/改作してよりいっそう優れた楽曲にしやがったな)」という怨恨にのみ基づくのではない。前述のとおり、『Ride the Lightning』や『The Call of Ktulu』として具体的に結晶している楽曲を共に作ったクリフ・バートンが、突然の交通事故によって絶命したのみならず、ベーシストおよび作曲家として天衣無縫の卓抜を示していたクリフがもはや自分とではなく(よりによって、自分をクビにした当人の)ラーズやジェイムズとの共作者として埋葬され、しかも自分はその訃報を直接的に報されさえしなかったという、いくつもの搾取をデイヴは被っていたのだ。まず、かつてクリフと共に働いたバンドから自分だけ追い出され、しかし自分が携わった楽曲たちは「前妻」の名で発表され高い評価を得ている現実を前にしての、作曲家としての搾取。次いで、あれほど具体的な成果を共に収穫したクリフともはや同じバンドにいないという、友人としての搾取。極めつけには、相互的な敬意を交わしていたはずの友人の訃報を「前妻」の細胞たちが報せてくれなかったという、正当な喪に服する機会の搾取。ここまで多くの peace of mind を自分から盗み去った「前妻」に対して、デイヴは "You just laughed, ha, ha, bitch" と唄うのである。クリフ・バートンという、「前妻」の中に認め得た少なからぬ「良心」が今や喪われ、当の自分は「前妻」がそのような畜生に成り果ててしまった事実を(今に至るまで)認識することすらできなかった、それら複合的にもほどがある時制と情念が『In my Darkest Hour』という名の楽曲で交錯していたのだ。
(もちろん、メタリカのメンバーたちも親友たるクリフの突然死に深く嘆き悲しみ、彼らなりの服喪を必要としたに違いない。しかし現ベーシストの死を元ギタリストに報せなかった、そのたったひとつのすれ違いが決定的となり、デイヴ・ムステインの中に別様の煉獄篇──死後ウェルギリウスに導かれるどころか、今生にてウェルギリウスと同程度の敬意を持ち得た藝術家が死ぬところから始まるのだから、ダンテのそれとは比較にもならないほど苦しい煉獄篇──を残す結果となった。このような「善意または喪失による虚脱感が玉突き事故的にさらなる悲嘆を呼んでしまう」類のメカニズムには、ある程度生きている人間ならば誰でも憶えがあるのではあるまいか。)
〔後略〕