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子供たちに水を。(チェンライ)

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10年前に私はタイに来ました。今は大都会バンコクにいるけど、最初は山岳民族と一緒に仕事をしていたんですよ。貧困地域に私は大きなビニールハウスを作って、そこで雇用を生んでそこの人たちが少しでも豊かに生活できればと思ってイチゴ栽培をし始めました。

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本当に何にもなくて、ポツンと集落がある程度で、電気も来ていないようなそんな場所に電柱を17本も立てて、三層動力電源確保のためにこの村に電気を引きました。平坦な土地が殆どない場所に私は、農業を始めたんです。

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その頃私もまだ36歳!!元気バリバリの年齢でした。今もその頃とあまり変わらず元気でやっておりますが、当時のチャレンジはとても無鉄砲だったと思えるそんな生活でした。 料理の方もお手のモノ!!

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山の中から竹を切ってきて来ては、色んなものを作りました。 イチゴ栽培用にベットを作ったり、人間様にベットを作ったり、家の壁に使ったり、様々な場面で竹は重宝しました。

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私も、自分のベットを作ってここで寝てましたよ。もちろん、蚊よけの為の蚊帳も張って、とても自然の中で暮らす事は、命との対話が出来る良い時間でした。

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これが、当時私が初めて建てたハウスになります。約半年以上かけて作りましたね。ハウス回りの環境整備は最も大変だったと思います。何せ、谷間ですから、雨の日には一番水が集まる場所でもあります。

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当時は、イチゴ栽培して初めての経験がたっぷり~ 本当に毎日色んな問題が起こりました。一番困ったのは、水です。 水亀が底をついた時は、流石にやばい!!と思いました。 貯水池を2か所作って、そこに800M先の小川からポンプアップして水を引きました。

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そして、ようやく水もちゃんと確保できた時には、このように村の子供たちや家族が自由に使える水場も作ってあげた時の写真です。本当に楽しそうに子供たちが洗濯したり水遊びしたり(^^♪
流石に、この瞬間は私も嬉しかったです。
 日本人がこんな山の中で農園を作っちゃうのも村の人からは歓迎されるまでは、本当に色んな村人と話したりしてコミュケーションを取りました。
 子供たちと毎日のようにタイ語の勉強をしたり、毎日が太陽と同じだけ働く毎日。

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私のタイのスタートはココから始まったのです。
そして、今日10年が経ち、これからの10年もここタイで暮らしていきたい。
タイの王様が死んじゃった時に、悲しくて涙した自分は、タイに感謝をしながらこれかも元気に暮らしていきたいと思っています。

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