論理学者(INTP)の性癖分析
性格分類系が苦手だと思ってたけど、この分類は割としっくりくるなあと思うサキでございます。みなさんもやってみて。そういえば、ずいぶん昔にkが「これやってみて」って言ってたな。その時は「この類はあんまり好きじゃない」と切り捨ててしまったな。その時の私には必要なかったのだろう。
はい、本題。
とっても大事なことなので、記録しておこうとおもう。
齢46にして気がついたが、私はMではない。
だからといってSでもない。
すべての分類には「どちらかというと」或いは「どちらか寄り」でしかない。
その点では、「どちらかというとM」とは言えそうだが、感覚的に全体構成比のうち許容範囲65%まで、最適値40%でしかない。
その許容範囲を超えると、一気に不快領域に突入する。
(Sの許容範囲、最適値はMよりもかなり低くなるので、相対的にM)
幼少期から気がついていたが、私はカメレオンなところがあり、比較的ありとあらゆる仕事をそれなりに楽しみながらできる。ただ、ちょっと慣れてくると、「うーん、そこそこ楽しいけど、まあそこまでかな」と思ってくる。
ただし、それに気が付く人はそうそういないだろう。なんだったら、「天職です」と無意識のうちに振る舞ってるから。仕事だったら然るべきタイミングで、それっぽい理由をつけて円満退社してきたが、男女関係においては、いきなり賢者モード突入。相手は一体、どこでスイッチが入ったのかわからないだろうが、私は突然興味を失う。
人というのは、あらゆる場面であらゆる役割を無意識のうちに演じてる。浅はかな思考だと、「それは本当の自分ではないわ!」って言いがちだけど、これには反対。本当の自分なんて存在しない、幻覚だ。崇拝する孔子様だってそんなことを言ってた。さまざまな社会でそれぞれの役割を演じ、それが自分の一部になっていく。そう思ってる。ただ、何回もいうけれど、許容値をこえたら、その役割は負担でしかない。許容範囲であれば、或いは最適値で推移しているなら、きっと死ぬまで満足して従事できるだろう。それを人は「本当の自分」と表現しているのかもしれない。
Oくんと天ぷらデートをした。相変わらず話は面白く、お互いずっと仲よくできる相手。どこか似てる。kは静で私は動。だけどO君は動で私は動と静の両方で心地よく動ける。そんな感じ。それは今も変わらない。
「カツ丼」議論が発展して白熱して、二件目でもうちょっと飲みながら話したい、だけどしたい、という葛藤を言葉に出し、そんなO君の姿がかわいくて(私のS要素)、確実に彼にヒットする可愛さを醸して、後者へと誘導させた。
そこまではよかった。ただ、その食事中に私の論理が炸裂し、O君のドSさも不必要に刺激してしまっていた。この程度で刺激されるとは思わなかった。kもそうだったけど、私が漫談家のごとく、自分の説を唱え出すと、「生意気」に映るようで、S系の男を刺激する。
そして、私は人生で初めて、お尻を叩かれた。
ここまでなら驚かない。そういうこともあるだろう。さすがにスカトロ系であればどうやっても受け入れられないだろうが、この「鍛え上げられた美尻が叩かれる」。この状況を私は案外受け入れられた。
そして、そして、あろうことか、私は
ごめんなさい
と言ったのだ。
すごいな、自分。北島マヤ降臨。きっとM女はこのような場面でそう発言するんだろうなと思ったのだ。そしてそれは不快ではなかった。むしろ興奮した。「これこそが求めていた快楽」とばかりに映っていたのだろう。そのため、何回も叩かれることになった。
結果どうなったか。その時は演じきっていたので、快楽が支配したが、
ちょっとでも油断すると、「この私がなぜ叩かれなければいけないのか」という憤りに支配される。流石に急変して場の雰囲気を壊したくないので、必死でその考えをなくす。なりきるのよ、マヤ。命果てるまで。そんな感じ。
というわけで、千秋楽は大盛況に終わったけれども、これだけの名演技をしたので、一気にどっと疲れが押し寄せた。
そうなってくるともうダメだ、持ち前の自称論理学者魂が炸裂し、Sな人、Mな人の分析が始まってしまう。それはひどく先入観に満ちたもので、でも結構本質的なんだろうと思う。そしてO君とはとても気が合うし、相性がいいのだけれど、本質的にSな彼をどこまで私が許容できるかというところだろう。実際の実力に関係なく、SだとかMが強く出るという状況は、おそらくなんらかの自己否定があるんだろうって思う。表裏一体。(ああ、書いてしまった)
とりあえず。
私の美尻は今日も元気です。
では。
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