パンダマスク
「ママって、パンダじゃん」
そう呆れた顔で娘に言われる自分を恥じている。
うまく書ける気がしないけど、ちゃんと残しておこう。
致死率が極めて低い例の流行り病のせいで、マスク着用がデフォルトになってるのは周知の通り。世界中がマスクをリリースしてるのに、健気に2年以上もマスクをしている国に住んでいる。放っておくと、誰かにとって都合のいい情報が一方的に流れてくるものだから、なるべく情報ソースは色々見た上で、私は自分の意見を持ってる。だけど、私が正しいという話ではない。真実なんて人の数だけある。戦争も同様。そこは論点ではなく、争うつもりはない。これは「単なる私の見解」に過ぎない。
マスクで例の流行り病が防げているのなら、とっくに世界中で収束してるはずだし、生真面目にマスクをし続けてるこの国なら、感染広がるってないでしょ?
子供は特に恐る感染病じゃない。インフルエンザで重症化した子供はいても、今回はほとんどいない。PCRはこの感染病を見つけるために作られたものではないという話を私はどちらかというと信じてるし、陽性者=感染者じゃない。
そんな私でもマスクをしている。電車に乗る時、スーパーに買い物に行く時。会社で一応義務付けられてるし、デスクで仕事してる時はしないけど、人と話す時、会議の時は頑張ってしてる。まあ上司は顎マスクだし、マスクしてなくても、会社で注意はされない雰囲気だけれど。大人だしね。ちゃんと主義主張を貫いて、戦ってる人は尊敬はするけど、私はできない、したくない。
でも子供たちはそういう曖昧な世界で生きていない。
「何が正義で何が悪か」と世界を単純化して生きている。自分の判断より、親の考え方や先生の言うことが正義だと思ってる。当然だ。
「ママはね、マスクしてたら脳に酸素がちゃんと行かなくて、知能が低下するって思ってる。しかも暑いと熱中症になるから、外で遊ぶ時は少なくともマスクはしちゃダメだよ。それと、これが一番大事だけど、マスクは良くないってママは思ってるけど、それが正しいかどうかはわからない。だからマスクしてる友達に『マスクは良くない』と言っちゃダメだよ。つけるのも、つけないのも自由。人のことは関係ない」
そうずっと言い続けてても、娘の中では「マスクは良くない」が正義になってるとは思う。まあそれはいい。
冬場や花粉症シーズンの時(娘も花粉症)は、こんな思想の私の娘でもマスクを嫌がることはなかった。去年の運動会でもマスクしたまま走ってたし。
でも最近すごく暑いし、大人の私でも苦しくなるぐらいだ、よく動く子供は特に相当なストレスがかかってるのだろう。娘は学校でもしょっちゅう外しているようで、しまいに「今日は1日中マスクしなかったわー。ははは」という日が続いてた。「そうなんだー。まあ別にいいんじゃない?暑いしね。マスクいいことないしね。誰にも言われないの?」「言われないかなー。時々、注意してくる人がいるけど、まあ大丈夫。仲のいい友達はなんとも言ってこないし」「ならいいけど、まあ適度にね。いろんな考えの親がいるだろうし、心の中であっかんべーして、場合によっては、はいはいって聞く方が楽な時もあるからね。マスクしなくても、ちゃんと持っていきなよ」。そんな会話をよくしてた。
そんな中、事件が起きた。
よりによって娘が好きな男の子が、マスク警察と化して他の男の子と一緒になって頭ごなしに注意をしてきたのだという。とても気さくて、娘とすごく仲が良い子だったらしく、娘はショックで泣いてしまったのだという。担任の先生は理解もあり、きちんとフォローしてくれたし、筋トレばかりするこんないい加減な母さんだけど、おかしいことはおかしいと私も先生に話した。問題はここではない。冒頭の「ママって、パンダじゃん」だ。
パンダって実は肉食らしい。
娘と夜、一緒に本を読むことがあるのだけど、そこに「他の動物と獲物を取り合うのが嫌な平和主義者。誰も食べない笹なら争わなくていいから、笹を食べるようになった」と書いてあって、「パンダってどんだけヘタレなんだよ!!!いやー、見方変わっちゃうよね!!食べたいなら、戦ってでも食べようよ!!」って二人で笑い転げていた。
今でこそ、好んで笹を食べてるけれど、本当は肉を食べたかった動物。戦いたくないから逃げた。ナマケモノよりいくじなし。それが娘のパンダに対する見解。そのパンダと私が似てるらしい。
「まあ、ママもねマスクやだなーって思うけど、会社でしなきゃいけないし、スーパーとかつけてるなー。争うのめんどくさいから。○○はそういうのないの?戦うとしんどくない?」
「ママはさ、マスクは良くないって思ってるんだよね?だけどしてるんだよね?それはパンダだよね。私はしたくない。マスクは苦しいし、我慢してマスクするより、ちゃんと自分の気持ちに正直でいたい。パンダにはなりたくない」
もう書いていて、本当にダメな親だなって思ってきた。今回の事件は流石のパンダ母さんでも見過ごせないし、連絡帳は先生へのメッセージでずいぶん書き込んだ。「私のために、ちゃんと守ってくれてありがとう、ママ」と言われたけど、いや、違う、守れてない。何か、大事なことを忘れてるんじゃないかって思う。
自分のことなら、いくらでも柔軟に考えられるけど、子供のことととなるとダメだな。
私はまだできることがあるはずだ。
パンダならパンダなりに。