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本多清六と日比谷公園と投資と菖蒲町とその子孫と

メインビジュアルの写真は日比谷公園です。日比谷公園って、自然とアートと花と食事処と図書館と音楽堂と、すべてがうまく共存している素敵な場所だな、と思います。そしてそれは公園の設計者が100年先をイメージできていたから、ということでもあり。。。さてさて。もしこのタイトルにピンと来た方がいたら、相当詳しいお方かと存じます。


「本多清六」について

まずは「本多清六」という人物について。

本多 静六(ほんだ せいろく、慶応2年7月2日(1866年8月11日) - 昭和27年(1952年)1月29日)は、日本の林学者、造園家、株式投資家。日本の「公園の父」といわれる。苦学して東大教授になり、「月給4分の1天引き貯金」を元手に投資で巨万の富を築き、大学定年退官と同時に全財産を寄付した。

Wikipedia

本多清六は林業の父と言われて、日比谷公園(東京)、明治神宮(東京都)大沼公園(北海道)や鶴ヶ城公園(福島県)、羊山公園(埼玉県)、臥竜公園(長野県)、卯辰山公園(石川県)、大濠公園(福岡県)など、設計・改良に携わった公園は大小数百とも言われています。

また、投資家としても有名で、「四分の一天引き貯金法」や「二割利食い、十割益半分手放し」などの手法も書記に記載しています。そして、レオス・キャピタルワークスの代表の藤野 英人さんも尊敬する人として挙げています。

僕と清六と菖蒲町と

そんな本多清六氏について、実は僕は小学生のころから知っていました。
なぜなら、学校で校長先生がよく朝礼で「地元の偉人」として紹介するからです。

しかし、当時の僕は「そんなじいさんを紹介されても知らんがな。」「はるか昔の人しか有名人と呼べる人がいないこの町ってダサいなぁ。」と、それはそれは最低の認識でした。無知って罪ですね。。。

ということで、僕と本多清六とは故郷(埼玉県久喜市菖蒲町)が同じ、という縁があります。しかしながら、無知故に全く学んできませんでした。

そして、大学生になってようやく本多清六の著書「私の財産告白」を読んで、ものすごい人であったことを知ることになります。

本多清六のすごさについて

僕なりに考えている、本多清六のすごさについて箇条書きにすると下記になります。折を見てそれぞれのテーマでより深堀りできたら書いていこうと思っています。

1.挫折に対する乗り越え方(圧倒的な努力)
 ┗成績不振で落第レベル→首席で卒業

2.貧困に対する乗り越え方(堅実な投資力)
 ┗生活が苦しい時から一貫した「4分の1天引き貯金」

3.お金に対する考え方(巨万の富を全額寄付)
  ┗人並外れた大財産や名誉は幸福そのものではなく有害無益

4.家族に対する考え方(財産残さず、ひ孫世代までの優秀家系)
 ┗子孫には努力の精神を生活習慣の中にしみこませることを重要視

5.本多清六の格言(人生即努力・努力即幸福)
 ┗ 努力の「醍醐味」を知る人に、不幸なし など

この中で、一般的には「2.」や「5.」が有名ですが、私は実は「4.」が最もすごい点なのではないかと思っています。
※この話もいずれ深堀していきたい。

また、本多清六の著書の中によく「努力」という言葉が出てきます。この「努力」という言葉の意味は著書をよく読めば伝わると思うのですが、一般的な意味(辛くても人より頑張る的な)で捉えるより「好きなことに没頭すること」という解釈が良いかと思います。

つまり、「幸福とは、好きなことに没頭すること」で、「幸福な人生とは好きなことに没頭し続けること」である、と。僕はそう解釈しています。

最後に(余談です)

さて、余談ですが高校生の頃、地元「菖蒲町」の図書館がリニューアルしました。受験期によく通っていたのですが、そこに本多清六の「人生即努力・努力即幸福」の掛け軸がありました。

それ見た時に「努力なんかせずにラクして稼ぎたいよなぁ」と思って、全くピンと来なかったことを今も思い出します。

前途の通り、「努力」の意味をはき違えていたし、経験を積んだ今なら「ラクして稼ぐ」ことの有害無益さもわかるのですが、若い頃ってそうは思えないですよね。

というわけで、余計なお世話ですが、本多清六の本や格言を現代風に翻訳してみるともっと世の中に広がっていくのでは?と勝手に思ったりしています。これもいつかやってみたいなぁ。

はい。余談です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

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