モンスターズインクは実はD&Iの理想の世界なのでは?
メインビジュアルはnoteの「みんなのフォトギャラリー」から選択しました。「東京ディズニーランドのアトラクション「モンスターズ・インク“ライド&ゴーシーク!”」の写真」とのことですが、ライセンスOKの認識でOK??(#もしもライセンス的に問題があれば、すぐに撤回いたします!!!!!!)
大前提「D&I」について
D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)について、全く知らないよ、という方は、良ければ下記を読んでください。
知っているよ、という方については、読まなくて大丈夫です。その上で、有名な下記の詩を読んでもらいえるとありがたいです(押しつけ)。
何度読んでも心に響きます。
D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)を日本語で表すならば「みんなちがってみんないい」なのではないか、と僕は思っています。
「D&I」と「金子みすゞ」と「モンスターズインク」
ここから本題に入っていきます。
僕は「D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)≒ みんなちがってみんないい」と考えていて、その世界観を見事に表している映画が「モンスターズインク」だと思っています。
「モンスターズインク」もしくは続編の「モンスターズユニバーシティ」の映画は見たことがありますか?
※できれば画像を掲載したいのですが、おそらく著作権にひっかかるので、掲載しません。映画を見たことがない人は、もしよければ検索して画像だけでも見てもらえると嬉しいです。
さて、ChatGPTに「モンスターズインクについて説明してください」と入力したら、下記の回答になりました。
次に、「モンスターズインクを D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)の観点で説明してください。」の質問をしたところ、回答は下記になりました。
ちょっとこじつけ感はあるものの、概ね良回答ではないでしょうか。
この中に「モンスターワールドにはさまざまな種類のモンスターが住んでおり、それぞれが異なる特性や能力を持っています。」と出てくるのですが、それこそ「モンスターズインク≒D&I」に感じるポイントなんだろうな、と思います。
さらに追加でchatGPTに「"みんなちがってみんないい"という金子みすゞさんの詩をモンスターズインクを絡めて説明してください。」と質問してみます。
少し微妙ではありますが、まぁわかります。上記を要約するとモンスターズインクの世界では「異なる形状や性格を持つモンスターたちが、個性や違いを受け入れ、協力し、共通の目標を達成していく。」ということでしょう。
一方で、現実世界の「人間」をみると「モンスターズインク」のキャラクターほど見た目に差はありません。そして「同じ人間なのだから」という言葉とともに、「普通」や「基準」が定められていきます。本当は性格や考え方、趣味嗜好、身体的特徴、すべて十人十色。みんなバラバラなのにも関わらず、そのことを意識できずに「普通」や「基準」が決まっていくように感じています。
もしも、この「本当はバラバラ」の部分が見た目に現れていたら、人々はモンスター達のように写っていたのかもしれない。身長も、体格も、目の数も、動くスピードも、肌の色も、みんなが全く違っている世界。「標準」や「基準」なんてない世界。
そんなことをモンスターズインクの映画を見ながら思っていたことを思い出します。
話を脱線して「ファザーリングジャパン」について
ちょっとだけ脱線します。「NPO法人ファザーリングジャパン」をご存じでしょうか?
いわゆる「父親の育児参加を推進」する団体で、僕自身の子育て全盛期には、間接的ではありますが、よく目にする機会がありました。
そんなファザーリングジャパンのファウンダーの安藤さんのコメントに下記があります。
ママが子育てをすることを「イクママ」と呼ばないように、父親が当たり前に子育てをする世界になったなら「イクメン」という言葉も無くなるだろう、ということを伝えています。
同じように「D&I」も当たり前になったなら、「D&I」という言葉自体が無くなるのではないか、と僕は思っています。
モンスターズインクが「D&I」の理想形だとしたら
サリーは怖いけど優しくて、マイクはお調子者、ランドールは嫌な奴だけどすごい能力の持ち主だし、セリアはどうやらセクシーらしい。なんとなく理解できるようで出来ない愛おしい世界。
こんな多様なモンスターズインクの世界が「D&I」を体現しているとするならば。きっとそこには「D&I」という言葉そのものが存在しないのではないでしょうか?
そう考えた時に、今の世の中で「D&I」という言葉を目にするようになってきている状態というのは、「D&I」にほど遠い状況なのだな、と理解できます。
Step1:人々が「D&I」を理解して
Step2:世の中に「D&I」が浸透して
Step3:「D&I」が当たり前になって
Step4:「D&I」という言葉自体が消えていく
最終的に「D&I」という言葉が消える世界。これが理想の世界なんですよね。当たり前かもしれませんが、よくよく考えてその答えに辿り着きました。
最後なのにchatGPTに頼ってみる
最後にchatGTPにこんな質問を投げかけました。
「D&Iが当たり前になればD&Iという言葉自体無くなると思いますか?」
chatGPTの回答は下記です。
僕が考える理想論よりも遥かに現実的な「D&Iが当たり前になることが最終的な目標であっても、それが実現するまでには長い道のり」という答えが返ってきました。
はい。その通りかと思います。
それでもいつか「みんなちがってみんないい」世界が当たり前になり過ぎて「D&I」という言葉が消えてなくなるように・・・。
一人ひとりが出来ることをやっていきたいですね。