言葉がいらない関係

2020/11/09 月曜日 ☁️

こんばんはアスカさん。

先日初めてインスタライブをしました。
短い間でしたがとても楽しかったです。
見てくださった方も見てない方もいつも本当にありがとうございます。
思っていたよりコメントもいただけて大変助かりました笑


昨日、ぼくはとある都内の公園のベンチに座ってこれを書いていました。
晴れた午前中の芝の上を子どもたちが走り回って、それをお父さんお母さんやおばあちゃんおじいちゃんが見守っている、なんとも穏やかな休日といった感じです。
特にベンチの目の前にある、バスケットゴールが置かれたハーフコートでは、小学生〜高校生の子どもたちが10人程それぞれ2人ずつの一対一になってかわるがわるゴールに向かいます。
日本人以外のアジア系の子や髪や目の色が黒じゃない欧米の兄弟もいたりして、話す言葉の違うそれぞれが同じ場所で遊んでいるのも当然のようでした。


インスタライブでもアメリカ大統領選について少し触れたりもしたし、人種差別について日記で話題にしたりもしましたが、このハーフコートではそんな社会問題など全く存在していないかのような空間に見えました。

特に人種差別問題などは、子どもは悪くないと聞きます。教育を受ける過程でその意識が根付いてしまうからであって、生まれた時からそうなわけではない。
逆にこうして小さい頃から色んな人に囲まれて過ごしていると、そういった意識が生まれることも少なくなるんでしょうね。

また、ここにもスポーツがあります。
音楽同様、言葉や文化が違ってもこうして共通した目的があることで、どこか親近感みたいなものを持てるのかもしれません。

色んな人が密集して生活する東京だからこそ、こうした公園は身近にあるべきなんだろうなと思います。

インスタライブ中にも互いに友だちが少ないという話もありましたが、小さい頃はもっと友だちが身近に多くいたし、そもそも友だちが何かなんて考えることもなくハードルや壁なんて無かった。
それこそその頃は言葉がいらない関係も少なからず存在したはずなのになと、子どもたちを見ていて思いました。


安楽