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恐らくあなたは「成功」したいんじゃない。「置いていかれたくない」だけ。

あなたが欲しいのは「成功」か、それとも「身近な幸せ」か?

世の中では「大成功には大きな犠牲がつきもの」と言われることが多く、実際に何かを成し遂げた人々のストーリーを見聞きすると、彼らが並々ならぬ努力や時間、場合によっては家族や健康さえも犠牲にしてきたことが分かります。
自己啓発本や起業家のインタビューなどを読んでいると、次のようなメッセージを受け取る場面が多いのでは?

  • 1日数時間しか寝ずに努力した

  • 休日も休まず仕事に打ち込んだ

  • 周囲の反対を押し切ってリスクを取った

もちろん、それらの犠牲を払って得た成功や実績は称賛ものです。けれど、それと同時に「自分はそこまでの犠牲を払いたいのだろうか?」という疑問を抱いたとき、少しでも違和感があるなら注意が必要かもしれません。

なぜなら、私たちが実は求めているものは、「壮大な成功」よりも「平均的に良い生活」と「安心できる居場所」なのかもしれないからです。

生存者バイアスに注意しろ

SNSが普及し、誰もが自分の成功体験を大々的に発信できる時代であり、すでに何者かとして成功している人が周囲やSNSを見ても目につくんじゃないでしょうか。

ただし、こうした“輝かしい結果”を見せる人々の多くは、強烈な劣等感や「世の中に自分の価値を証明したい」という強い欲求を糧に、日々苦しみながら努力を続けてきたケースも珍しくありません。彼らが放つ眩しいオーラの裏には、並々ならぬ挫折や葛藤があるという事実はあまり語られません。

キングコング西野さんの記事にこんな記事があります。
実際事実だと思いますし、西野さんは圧倒的なビジネスの成功者です。
しかし、彼らのような成功者の言葉には生存者バイアスが存在します。
言葉は事実だが、その成功者の足元のは大量の屍が転がっています。

彼らの成功とは裏腹に、失敗して闇へと消えていった人たちは一切語られません。なぜなら、このような言葉が表に出されるのは決まって成功者だけだからです。
敗者は発言の機会を与えられず、もしくは発言したがらず、人知れず挑戦するも失敗して消えていっているのです。そんな人が大半だと思います。

一方、それらの情報に刺激される側の私たちは「自分もそうならなきゃ」「出遅れてはいけない」と焦るあまり、本来の自分がどこを目指しているのかを見失いがちになります。しかし、彼らの言葉には生存者バイアスは含まれています。

「本当に払いたい犠牲」とは何か

「成功したい」と思うこと自体は悪いことではありません。問題は、それを得るために払う“対価”を自分が本当に納得できるかどうかです。たとえば、

  • 人間関係を犠牲にしてでも仕事に没頭する

  • 自分の好きな趣味やプライベートをほとんど諦める

  • 長期間にわたる金銭的リスクを背負う

これらの犠牲を払う過程そのものが楽しく、苦労よりもワクワクが勝るのであれば、その道を選ぶ価値は十分あります。しかし、多くの人にとっては「そこまでして得たいのか?」と自問したとき、実はそこまでの強いモチベーションや劣等感は存在しないことに気づくのではないでしょうか。

さらに、私たちが欲しいと思っている「大きな成功」は、果たして自分自身の真の願望なのか、周りの意見や社会的な評価に影響されて生まれた“幻想”に近いものなのかを見極める必要があるんじゃないでしょうか?

あなたのその欲求は、本心ですか?
それとも、"焦り"や"不安"の裏返しですか?

本心であれば叶えられると思います。ですが、焦りや不安から行動を起こす人には成し遂げる理由がありません。
成功までやり遂げる動機がないので、きっと失敗する可能性が高いんじゃないでしょうか。

ただ「置いていかれたくない」だけでは?

恐らくあなたは「成功」したいんじゃない。置いてかれたくないんです。
周りが必死で勉強し、資格を取り、転職や副業などに挑戦していると、自分だけがその流れに乗れないと不安になってしまうものだと思います。

しかし、よく考えてみると、競争の渦中に身を置き続けることで私たちが得られるのは、「勝ち続けられる幸運がある限りの安心感」かもしれません。一度負け始めると、たちまち「もっと頑張らなきゃ」「まだ足りない」と次なる不安が襲ってきます。ゴールのないマラソンのように、永久に走り続けなくてはならない状態に陥る可能性もあるのです。

逆に、競争社会から“抜ける”という発想を持てば、今までとは違う選択肢も見えてきます。たとえば、「必要以上に頑張らない生き方」や「身の丈に合ったペースで働ける環境を探す」という方向性です。
もちろん、競争を避けるにはある程度の工夫や基盤づくりが必要ですが、あなたには到底身の丈に合わない道を無理して進むのは本当にやるべきことですか?

多くの人が本当に欲しいものは「身近な幸せ」?

「すごい結果を出して世の中に認められる」ことよりも、「普段の生活が安定していて、身近なコミュニティで感謝や承認を得られる」ことこそ、多くの人が実際には望んでいるものではないでしょうか。

家族や友人、同僚など、自分をよく知る人たちから「ありがとう」「助かったよ」「いつも頼りにしているよ」と言われる瞬間は、どんな大きな拍手よりも心を満たしてくれます。大勢には知られていなくても、近しい人からの承認があるだけで、日々の幸福度は格段に上がるのです。

そして、生きていくためにはお金が必要です。しかし、大成功を追い求める過程で大きなリスクを背負ってしまうと、常にプレッシャーとの闘いになります。「そもそも平均的な収入が得られれば満足」「そこそこ暮らしていける程度でいい」というスタンスであれば、過剰にリスクを取らなくても幸せに暮らせる可能性は十分あるわけです。

「競争に勝てないから逃げるわけじゃない。むしろ、自分のペースを大切にしたいから競争をしない」そう割り切って自分らしく働くのが一番いいんじゃないですかね?

時間的にも精神的にも余裕を持ち、身の回りの人たちとの関係を大切に育みながら暮らしていく。これは決して“逃げ”ではなく、価値観の選択なんです。

「自分らしく生きる」ために必要な環境づくり

では、「身近な幸せ」や「平均的な安心感」を得るにはどうしたらよいのでしょうか。その鍵を握るのが、自分を受け入れてくれる環境です。

環境は出会いでしかありません。
ありのままの自分でいられて、自分らしく働ける場所との出会いが全てです。人や組織と会い、身の丈にあった居場所で頑張るのが良いんじゃないでしょうか。


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