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Stray Kidsへ贈る愛の言葉


Stray Kids、5周年おめでとうございます。
5年のうち、まだたった2年しか道を共にできていないけれど、
出会ってくれて、ここにいさせてくれて、
ここにいたいと思わせ続けてくれてありがとうございます。

この2年間、Stray Kidsに出会えてよかったと思わない日はありません。

前世の推しを失いSTAYになる前の約1年間は、
ほとんど廃人のようだったことを考えると、
誰かを愛することは生きようとすることなのだとひしひしと感じています。

ただ息を吸って吐くだけでなく、
この世の輝きを愛する誰かを通して
5感で味わいつくそうとすること。
より良い自分へ変わりたいと思うこと。
なんでもなかったものがたった1日で特別に変わること。
今日は空が綺麗だと教えたくなること。
そんな「誰か」が8人もいる自分はめちゃくちゃ幸せ者だなと思います。

毎日毎日、本当に飽きもせず好きな気持ちが更新されていくので、
この愛を表現したい!溢れる想いを言葉にしたい!
と常々思いつつ、滾る感情の前に語彙力は敗北を喫し、
こんなことが言いたいんじゃないのに…!
もしくはこの言葉じゃ到底この気持ちを表しきれないのに…ということばかり。

なので言語化のスペシャリストである文豪の力を借りて、
幾つか愛の話を読んだり、愛の言葉を集めた本を読んで、
この言葉は私にとってこの人に愛を伝えたいときによく合っているなとか、
この人への自分の愛はこんなふうに表せるなという言葉を集めてみました。
文豪の威を借りた実用性ゼロポエムです。
では以下に~。



バンチャン


神様の名を呼ばぬ時はお前の名を呼んでいる

八木重吉 『床上独語』(八木重吉詩集)より




今でも定期的に「どうしてこんな人が現実に存在しているんだろう」と真剣に考えるくらい、
出会ってしまえば好きにならない方が難しいほどに、
何もかもが理想(特に顔、本当に本当に顔が好き)なバンチャンさん。

去年、バンチャンさんの誕生日に「神様ではないあなたへ」というエントリーを書きました。

https://note.com/insei_newiiefe/n/nf4f70c8d74a0

要約するとバンチャンさんを神格化しないようにしようという自戒を込めた激重ポエムなのですが、
この言葉を見たとき、やっぱりどうしようもなく「これはバンチャンさんだ…」と思ってしまったんですよね…。

神様にすがりたくなる瞬間って、きっと自分一人の力ではどうしようもないことに直面したり、
心ごと委ねられる大いなる支えが欲しい時だと思うのですが、
同じように辛い時、苦しい時、不安な時、迷いを感じる時に
もうほとんど無意識にその名前を唱えたくなる自分がいる。

バンチャンさんの名前を呼ぶとき、
おまじない或いは深呼吸のように、
使い慣れた毛布に包まった時のように、
心が落ち着きを取り戻していくのを感じます。

神様ではないし、神様だと思わないようにしたいけれど、
人間の中でもっとも信頼できる存在であり、
その存在自体が心の支えになっているという意味で、
そこにいてくれてありがとう、という感謝と
そこにいてくれるよね?という確認の為に、
これからも祈りにも似たような気持ちでバンチャンさんの名前を呼んでしまうだろうなと思います。

同時にバンチャンさんがSTAYと呼んでくれる時、
いつも幸せで平穏で安らげる気持ちでいてほしいし
そうなるように頑張りたいです。
バンチャンさんにSTAYって呼んでもらえるの、
この世界における聴くタイプの回復の泉だから…。

リノ


疲れた君がひたすら海を見るための
小さな白い椅子でありたい

斎藤芳生 『桃花水を待つ』(角川書店)より


自分が自分であるための時間を大事にしている人、
解りやすく言えば自分の機嫌を取るのが上手な人
というのがこの1年間くらいで強く感じているリノヌンへの印象で、
それはそのままめちゃくちゃ好きなところでもあります。

Lee Knowという芸名の通り、自分自身が何者なのかを、
自分の現在地をよく理解している人だと思います。

キャンプであったり舞台鑑賞であったり読書や料理であったり、
そうした自身を取り巻く喧噪や環境から離れて
自分が何者なのかを確かめるような時間が定期的に必要なのは、
単純にめちゃくちゃ忙しいからというのもあるんだろうなと思っていて。

特に昨年はグループとしての活動に加えて、
バラエティー出演やMCなど個人仕事が人一倍多く、
そうした素振りは決して見せないけれど、
どうしたって疲れないわけがないようなスケジュールだったので
自分を取り戻すための時間、好きなことだけする時間で
バランスをとっていたのかなと感じることもありました。

とはいえ、自分と向き合う時間というのもそれはそれで疲れるものです。
時には見たくない自分や隠しておきたい感情に出会うかもしれない。
自分に嘘はつけないから。

けれど、去年のソウルアンコンのメントで


「キャンプに行ってステージの上で多くの前に立っている自分と、
今一人で火を見つめている自分。
火を見つめているのはStray Kidsのリノなのか、イミンホなのかあれこれ考えた」


と忙しい中でもちゃんと自分と向き合う時間を作り思考や感情を整理して、
帰ってきたときは前よりも周囲への感謝を感じたと言っていたことに、
自分自身に正直で誠実だから周りにも正直で誠実であれるんだなと
完全なる敬い(うやまい)の感情を抱きました。

ご飯が美味しい、猫が可愛い、今日は暖かい、アニメが面白い
そんなささやかな幸せを大事にするリノヌンだから、
疲れた時にただ何も考えず美しい景色を眺めることができて、
そして、もし何かを伝えたいと思った時に
伝えられる相手がSTAYだったらいいなあと思います。

自分1人で見つめる炎も、
7人の仲間と共に見る照明やペンライトの星も、
ずっとリノヌンを温めて照らしてくれますように。

小さな小さな光でも、ずっとそこにいるからねと勝手に決意しています。

チャンビン


はなでなく 小鳥でなく
かぎりないおまえの愛を
信じたなら それでよい
僕はおまえを見つめるばかりだ

立原道造『優しき歌』より


主体性で単独CMを獲得するミーム職人、
そして2 Kids Roomでは的確なコメントを繰り広げるケミ評論家。

チャンビンさんがユーモアと愛をもって伝えてくれたことは、
ファンの垣根を超えても多くの人に伝わり心を動かしているように感じます。

それは代名詞であるジュッテジャ(=定見のある人)そのままに、
他人に左右されない自分だけのしっかりと意見を持っていて
そんなところに皆が惹きつけられるからかもしれません。

ただ、2 Kids Roomで感じたのが
「意外と人の目を気にしてるんだな」ということ。

意外と、と感じること自体がチャンビンさんがどれだけ
普段からブレない自分を持っている人であり、
そのように振る舞っているかを表しているとも思うのですが、


「僕も人間だから、例えば幼稚な行動をすることもあるし、
感情に従って、もっとうまく話せるのに
もっとおとなしく優しく話せるフィードバックを
その時の自分がナイーブだったということで君にイライラをぶつけたり
前にそういうことがあった記憶があるから、
その時の記憶が浮かんだら心が痛む」

https://www.youtube.com/watch?v=tJdtYD-fxiU&t=363s

と過去の自分の言動を振り返って後悔に胸を痛めていたり、

ナイーブな時、怖いと感じるくらいかな?と言われたときに


「相手が見る自分自身は振り返ることができないからさ」

https://www.youtube.com/watch?v=tS3_gXHWSQk


と、自分ではそのつもりじゃなくても人の目に映る姿は
自分でコントロールしきれない難しさを感じているようだったり。

特に自分の言動が大きく影響を与えるであろう弟メンバーたちに対して、
思っていたよりも多くの後悔を抱えていて、
同じ過ちを犯さないように自省してきたのではないかなと感じました。

自分を信じてくれる人の為に自分を疑う姿勢が
意志がはっきりしていて強いことと
誰かの為に自分を変えようとする柔軟さを両立させているんだなと感じます。

それが愛じゃなくてなんなんだ!と思いました。

後悔することがあっても、ずっと笑顔でいられなくても、
大切な人達のため逃げずに、責任感を持って
変えないことと変えるべきものを自らに問い続けるからこそ、
チャンビンさんの愛はかぎりないものだと思います。

どんな形であれ、自分からチャンビンさんへの愛が間違っていないか疑うことはあっても、
チャンビンさんという人からメンバーやSTAYへ溢れる愛は疑うことはないので、
チャンビンさんも周りやSTAYからの愛を信じていてほしいし、
これからも見つめ続けてさせてほしいなと思います。

ヒョンジン


この頃はお前の事を考えるとまず頭の中に涙が浮かんでくる。
悲しい涙ではないが、涙は自ずとうかんで来、
お前は元気にしていてくれるだろうと思う

武者小路実篤『妻・安子へ宛てた手紙』より


私をStray Kidsに出会わせてくれた、という点だけでも
ファンヒョンジンという人には一生かかっても返しきれない御恩があるわけですが、
抱えきれないほどの感謝と共に、ヒョンジンに対する想いが
日に日に「絶対に幸せでいてほしい」一択になってきたんですよね。

ヒョンジンがイエニに言う「この世知辛い世の中で傷つかずに生きてほしい」という言葉、
そっくりそのまま同じことを思ってる。

もちろん8人全員に同じ感情を抱いているのはもちろんなんですが、
とみにヒョンジンに対しては絶対に傷つかないでいてほしいと思ってしまう。

ここ最近誕生日を控えてずっとヒョンジンのことを考えていたからか、
本当に情緒と涙腺がおかしくなってきてて、
この人を包む全てが愛であってほしい…みたいなことを思っては泣く。(怖)

実は今回のnoteのテーマを決めたのも武者小路実篤が残したこの愛の言葉が
余りにもヒョンジンに対する自分の有様を表しているなと感じたのがきっかけです。

この間のTALKER GO!でもスンミンさんとおでかけできて、
ずっと楽しそうで嬉しそうなるんるん小麦粉BOYが可愛すぎて、
「よかったね~泣!幸せだね〜!泣」となったし、

去年のツアー中、日本で撮ってくれたVlogを見た時、
楽しそうに夜道を歩くヒョンジンをみて、
幸せを感じてくれていることそのものが嬉しくて涙が止まらなかったし、
本当に「涙が自ずと浮かんで来」たんですよね。

好きな人が幸せで嬉しい、というシンプルで特別な感情を、
春先の樹木の切り口のようにいつまでも瑞々しく感じられるのは、
相手がヒョンジンだからだろうと思います。

もちろん幸せでいてほしいと願うだけじゃなくて、
幸せにするためにSTAYとしてできることはしたいし、
ヒョンジンを好きでいて幸せだと伝えていきたい。

日々の中で元気でいるかなと、想いを馳せられる相手がいることは、
本当に本当に幸せなことだと思います。

去年のソウルコンのメントで「僕といえば愛が思い浮かぶように一生懸命頑張ります」と言っていたけれど
誰かを思い浮かべた時、自ずと流れる説明のつかない涙の名前が愛だと教えてくれてありがとう。

ハン

苦しみがあればあなたと共に苦しみ、
あなたに悲しみがあればあなたと共に悲しむものがここに1人いる事を忘れないでください。

ジャン・マレー『ジャンマレーへの手紙』

正直ハンジソンに向けた愛の言葉ってVOLCANO一択なんですよ。
曲の中でこっちが言いたいこと全部言ってくれちゃってるから、
あえて選ぶ必要があるのかなと思うくらい。

それでも、一キモオタクから伝えたいこととなるとやっぱり
この言葉なんですよね…。

多分、きっとハンジソンは自分がそういう状況にあったとしても
STAYは苦しまないでください、STAYは悲しまないでください、
僕は大丈夫です。って言うと思うし、
現実的に考えて大変な時に直接してあげられることなんてないのだけど。

それでもせめて、そういう存在がいるってことだけ忘れないでいてほしい…と思ってしまう。

愛する人を苦しませたくない/苦しんでほしくない、
悲しませたくない/悲しんでほしくない、という気持ちはめちゃくちゃ理解できると共に
愛する人と一緒に苦しめない、悲しめないことも、また別の苦しみや悲しさがあるから
どうせ苦しいし悲しいなら一緒に苦しもうっていう…。

「アイドルを好きじゃなくても地獄で、
アイドルを好きでいても地獄なら
アイドルを好きでいて地獄を選ぶだろ」みたいな情緒不安定の
下書きを残してた時期があるんだけど、
そこが地獄だろうとなんだろうと一緒にいて気持ちを分かち合えるならそれでいいというか、
簡潔に言うと

「守るよ 痛くてもいい」

https://youtu.be/SB6VJXA5cYw

ということです。

結局VOLCANOに辿り着きます。
敵わないですね。

人って自分が言いたいこと・言えないことを代わりに言ってくれる人、
自分が形にできなかった感情を言語化してくれる人に
惹かれる生き物だと思っているのですが、
私にとってハンジソンという人はまさにそれです。

全ての感情を言葉にする必要はないと思うけれど、
自分の傷跡も言語化してくれるハンジソンを尊敬しているから、
私もそれこそ痛くても苦しくても、愛を言葉にしていきたいと思います。

所信表明?

フィリックス


僕はあなたをおもうたびに一ばんじかに永遠を感じる


高村光太郎『僕等』より


私はピリが紹介してくれたColdplayの「Everglow」という曲のおかげで、
前世の推しへの気持ちを成仏させることができました。

変わらないものはない。

どうしたって、人の心は変わりゆくもので
今私が8人に向けている「大好き」も「愛してる」も
1年後には全く逆の言葉を吐いているかも知れない。
実際に、それを経験してしまったから
約束すること、永遠を誓うことはとても怖い。

今綴っているこの愛の言葉達が呪詛に変わらないという保証は誰にもできない。

それでも、当時感じていた想いが、今感じている想いが、
跡形もなく消えて無かったことになってしまうわけではなくて、
(というか無かったことになってくれないから苦しいんだけど)

時と共に相手との関係性や取り巻く環境が変わってしまったとしても、
好きにならなかったら傷を負ったり苦しまずに済んだのだとしても、
誰かを確かに愛していたという瞬間が、
胸の中で輝き「今の」自分を生かし続けるのだと
この曲を通じて気持ちに整理をつけることができました。

決して綺麗な終わり方ではなかったけれど、
何も無駄ではなかったとはっきり思えているのは、
間違いなくStray Kidsに、フィリックスというアイドルに出会い、
その存在が自分を癒してくれたからだと思います。

だからこそピリがアイドルとして輝く瞬間、
そしてピリというアイドルを好きだと思う瞬間。

いつかこれが私にとっての
永遠に消えない光になるだろうと感じるんです。

スンミン


とおくのほうからにおうようにながれてくるあなたのこえのうつりかを、
わたしは夜のさびしさに、さびしさに、
いま、あなたのこえをいくつもいくつもおもいだしている

大手拓次 『あなたのこえ』より


以前キングダムで結成されたユニット、メイフライについて書いたエントリ内で、
ボーカルチームに対してこう書きました。

3人にとって、「歌うこと」と「生きること」はきっと凄く近いところにあって、
生きるように歌う3人が奇跡的に集まって共に声を重ねたことは、
どんな暗闇にいても生きる力を与え、
どんな時も生きる喜びを感じさせてくれます。

https://note.com/insei_newiiefe/n/n2e94ad0f2905

「歌うこと」と「生きること」はきっと凄く近いところにある、とは
ウングァンさん、ジョンホくん、スンミンの3人にとって
歌うときに感じる喜びがそのまま生きる喜び、
そして生きていると感じられる熱(実感)に通じているから、
聴いている私たちにもそれが伝わり生きている喜びと実感を与えてくれるのではないかと思って書いたことなのですが、

アンコンさいたま公演における最後の個人メントで
スンミンさんが「STAYの目だけでなく声を聴くことができて
久しぶりに生きていると感じることができた」
と言っていて、

生きる喜びや生きているという実感を一方的に与えられているだけでなく、
こちら側も与えることができていたんだ!という嬉しさがありました。

スキズの好きなところは沢山あるけれど、
その中でも大きいのは愛が双方向だと感じられるところ。

STAYを愛してくれているのは勿論、
自分達がSTAYから愛されていることも理解していて
感謝と更なる愛を伝えてくれるところが本当に好きなんだけど、
その中でもスンミンさんとの、
お互いの声で生かされていると感じる関係って
なんて特別なんだろうと思います。

一人では抱えきれない寂しさを感じた時、
眠れない夜が終わらないように感じた時、
いくつもいくつも思い出せる声があって、
それが生きていることを感じさせてくれる
スンミンさんの声で幸せだなと思います。

人間の感覚の中で最後の最後まで残っているのは聴覚だといいますが、
最期の時に思い出すのは自分を生きさせてくれた声なのだとすると、
きっとスンミンさんの声も聴こえてくるんだろうと思います。

読んでる人の気持ちを代弁してくれるピーター
https://youtu.be/FK6d-oCeZzA


アイエン


この頃ボクは文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまいたい位可愛い気がします

芥川龍之介『塚本文子へ宛てた手紙』より



すきになる ということは 心を ちぎってあげるのか
だからこんなに痛いのか

工藤直子 『痛い』(あ・い・た・く・て/大日本図書)より



イエニだけ2つです。マンネオントップなので不可抗力ですね。

芥川龍之介の方についてはもうそのまんまというか、
お菓子なら~と芥川龍之介が一方的に仮定している文ちゃんよりも
既に堂々と赤ちゃんパン扱いされて自覚もあるイエニの方が
ずっともっと捕食の危機に近いかもしれません。

ヒョン達からはとっくに齧られてるし(物理的に)
高名な文学賞に名を冠されるような有名作家も
好きな人があまりにも可愛いすぎちゃってると
こうなってしまうんだなということに安心します。
芥川龍之介が今生きてたらイエニペンだった可能性も否定できない

相手を表す表現として、食べてしまいたいくらい可愛いと同じくらいよく聞くのが
「目に入れても痛くない」だと思うのですが、
実際イエニのことは目に入れてクランチチョコを探し回り、
目に入れてスキズ―カフェ予約申し込みをしても痛くないです。

じゃあ工藤直子の『痛い』とは矛盾するじゃないか、
何で選んだんだと自分でも思ったんですけど

なぜ心をちぎってあげると痛いのか、を考えると
それはちぎって欠けた部分が二度と埋まらないかもしれないから
あげたものが同じように返ってくるとは限らないからで、

じゃあ私がイエニを好きでいて全く痛くないのは、
ちぎって欠けた部分を埋めてくれるどころか
逆に埋もれてしまうくらいの心をくれていて、
あげた以上の愛を日々返してくれているからなんだ!
と気づいたからです。

イエニの可愛さ愛らしさ優しさが無限に糧となって心を満たしてくれるから、
いくらちぎっても痛くないし、好きでいることが怖くない。

そんな愛の永久機関に物凄く救われているよ、ということです。


旧約聖書には奴隷状態から抜け出すために荒野を旅するイスラエルの民が
食糧難に陥った時に神が民を救うために降らせた「マナ」という食べ物がでてくるんですが、

聖書によれば「マナ」は雪のように降ってきて、
色は白く、パンのような物質で、
味は蜂蜜味で甘くて「天使のパン」とも呼ばれてるらしくて…………………

察しの良い方なら私が何を言いたいのかもうお分かりだと思うんですけど、
つまり神様がくれた恵みのようなイエニという奇跡を
これからもずっと大事にしたい、ということです。

バンチャンさんで終えたはずの神の話に戻ってきてしまった…
Stray KidsはHellevatorで天国へあがってきたグループだから仕方ないですね(?)



You Make Stray Kids STAY #LoveSKZ



私が生まれたのは、既に二十四年経ってからだった

ごめんなさい、この言葉だけ出典が思い出せず
調べても出てこないので見つけたら追記するのですが
この言葉を見つけた瞬間に、
「私が生まれたのはStray Kidsを知ってからだったな」と思いました。

人は3回生まれる

この世に誕生した時、体が生まれる
愛を知った時、心が生まれる
自分を理解した時、魂が生まれる

だと、私は考えていてStray Kidsとの出会いはこの
3つ目の誕生に当たると思っているのですが
(めっちゃ恥ずかしいこと言ってる)

Stray Kidsの歌は、自分達で作っているからこそ、
デビュー前から今にかけて本人達が自分を理解していく過程も反映されていると感じます。

葛藤も、幼さも、後悔も、思い出も、愛も、自信も、自身も、
正直に曝け出して綴ってくれたその曲達の助けもあって、完璧にとは言わないけれど、
私は私のことを前よりも理解することができました。

愛を知って生まれた心がぼろぼろになった時、
彷徨っていた自分に「ここにいてもいい」と言ってくれた
Stray Kidsに出会えたおかげで私はもう一度生まれたんだなと思います。

5年目も、6年目も、その先も、
終わらない物語を目指して、同じ夢の中並んで歩いていくために、
そしてもっと自分の言葉で愛を語れるように、
Stray Kidsがくれた魂(たま)、磨いていこうと思います。

Stray Kids、愛してるよ〜〜〜〜!!!!


(撮影:田中聖太郎)
#나침반이_가리킨_스키즈_5주년
#OurNeverEndingSKZ
#StrayKids5thAnniversary

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