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音楽的文学解釈

「もしその文章にリズムがあれば、人はそれを読み続けるでしょう。でももしリズムがなければ、そうはいかないでしょう。二、三ページ読んだところで飽きてしまいますよ。リズムというのはすごく大切なのです。」

村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』

ノルウェイの森、海辺のカフカ、風の歌を聴け

など数々の名作を世に打ち出してきた村上春樹氏はこう語っている。
この発言をもとに、私なりの音楽的文学解釈(まだ結論は出ていない)をしていこうと思う。

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そもそも音楽的文学解釈とは言ってみたものの、それはどういう形や色をしているのだろうか。
場面は、私が今取り組んでいる小説を書き上げるためにパソコンを睨みつけている所から始まる。
まずはじめに、今現在私は、物語の基本的なプロット(構成)は定まっているものの、なかなか上手く物語が進んでくれない。というざんねんな状態にある。

単に自分の力不足ではあるのだが。

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あれ?
力不足と単に言ってみたものの、何が不足している?
一体どのような力が不足していて、私の小説の登場人物たちは皆死んだ目をしているのだろうか?
そうして私は一旦、文字を打ち込む手を止め、書き上がっている部分を何度も読み返した。
すると一つの明確な欠点が見えてきたのだ。

それは、恐ろしいほどに文章の中にリズムがない事だった。

リズムがないとはつまり、読んでいて気持ちが良くならないのである。
言葉と言葉がぶつかり、言葉としての、物語としての流れが滞ってしまっている。
言葉がその流れを失った途端、物語も急激に流れを失う。

いくら自惚れてしまうような物語としての構成を思いついたところで、言葉をうまく扱えないと、物語は死ぬ。

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私は、明確な自分の欠点に気づいた。
すぐさまスマホを手に取った。
『文章 リズム 文体』と検索した。
すると検索にヒットしたのが村上春樹氏の発言である。なぜもっと早く気づけなかったのか、とひどく辟易した。
自身の持っている語彙で、一通り自分を罵りながら、煙草に火を付け、イヤフォンを付けた。
その時耳にした音楽が、村上春樹氏の言葉と交わり、激流と化し、もうほとんどボロボロの私の心を打ち砕いた。

ミュージック/サカナクション

振り返った季節に立って、思い出せなくて嫌になって/ミュージック

詩も、音像も、リズムも、完璧だった。
音楽は、時に私をひどく傷つける。
私の感傷に寄り添うふりをして近づいて来た後に、傷口を掻き回す。
これがリズムなんだ──と思った。
心が引き寄せられ、その流れに抗えなくなり、弄ばれるまま海原に放り出される。
これこそがリズムなんだ──と思った。

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さて、二本目の煙草を吸い終え、私は机に戻る。
どうしたものか────。と考えるまでもなく
約三万字ほど書き終えているWordのデータを、2秒で消した。

このまま書き続けても仕方がない。すぐに飽きられてしまうからだ。
私は、このリズムを、音楽を、取り込み、吸い上げなければならない。
文章としてリズムを生み出すためには、要素として何が必要だろうか。

それはきっと、引力だろう。

文字通り、読者を引きつける力だ。

それに加え、浮力だろう。

文字通り、読者を浮かばせる力だ。

ぐっと引っ張り、ふわりと手放す。
落差、裏切り、転調、落ちサビ。

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最近、音楽業界は日々アーティストによる研究が積み重ねられ、いかにリスナーを飽きさせないかという命題と戦っているように思う。

TikTokなどのリール動画では、まさにコンマの世界だ。
音楽を聴き流すことに慣れたリスナーの耳を心を、一秒に満たない時間で掴まなければならない。

しかし、後世に残るものは、そうではないと信じている。

つまり、一瞬のうちに人の心を掴むように作られた物ではなく、緩やかに、そして少しずつ、音楽としての強度を確かなものにしながら作られた音楽が、後世に残るものなのだ。
時代という無慈悲な流れに潰されることなく───。
それこそが音楽の本質だと思う。

文学でもやはりその本質は同じだろう。

ネットミームなどといった、形骸化された文章が流行る一方で、文章としての強度、すなわち、
リズムを生み出し読者の心をつかんで離さない事が、われわれ作家が戦うべきものなのだ。

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