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【歌評】だれかの心臓になれたならのラップバージョン【ユリイ・カノン】 / たかやん / 2019年 / 作詞:たかやん
☆☆☆
タイトルに入りきれなかったので、続きのタイトルを書いておきます。
原曲:だれかの心臓になれたなら / ユリイ・カノン / 2018年 / 作詞:ユリイ・カノン
☆☆☆
──『無理して描いて笑顔見せる それを感じてあなたは何ができる?
挫けて先を追う姿をこの身捨てて今 あなたに捧げてる』──
☆☆☆
引用部分は『』で区切られています。著作権違反にならないように慎重に書いていきます。
☆☆☆
自由に書いていこうと思う。
CDにも出ておらず、YouTube上のアレンジ動画を紹介するのは初めの試みだと思う。そのせいか、タイトルがえらく長くなった。これだけ書いていてもなお、抜け落ちている点があれば指摘してほしい。
この曲を選んだ理由は、まさに冒頭にあげた歌詞だ。サビのところでたかやん氏が創り上げたこのラップが流れるが、今の私の現状を表しているようで、すごく刺さった。
『無理して描いて笑顔見せる それを感じてあなたは何ができる?
挫けて先を追う姿をこの身捨てて今 あなたに捧げてる』
他にも刺さる歌詞はいくつもある。特に前半部分には多く顕在している。
『どれが正解?不正解?分からない未来 進んだ結果 間違った計算
落ちる所まで落ち 「どうでもいい」 本当はブチギレそうなほど悔しいのに
いくら足掻いても変わらない 意味はある?』
『けど誰かが喜んでくれるようにと 意地を張った 言い訳で無視をする
「未だ終わってない」いつか分かりやしないのに 無謀を』
まさに私の現状を指している。統合失調症になり、就職をあきらめ、パートタイマーとして働き始め、だからといって、作家になる夢をあきらめきれない自分が、「せめて利益が出ないようにブログのような作家活動を続けよう。いつかは分からないけれど、書き続けよう。いつか書けなくなるから」という気持ちと、歌詞『「未だ終わってない」いつか分かりやしないのに 無謀を』がぴったりと重なる。私がやっていることはただの『無謀』としか言えないやり方なのだ。
いったん社会から断絶してしまうと、復帰するのにえらく時間がかかるし、このまま復帰することなく、人生は終わってしまうかもしれない。統合失調症が徐々に治まってきていた頃に聞いた曲だった。『いくら足掻いても変わらない 意味はある?』という歌詞に、「もう作家活動なんてやめようぜ」と言われているような気がした。
しかし、この後の歌詞に。
『挫けて先を追う姿をこの身捨てて今 あなたに捧げてる』
とある。この言葉にどれだけ救われたことか。
作家、というかブログ活動は成功に終わらず、失敗で幕を閉じるかもしれない。ブログ活動がこんなにも結果が出ずに、挫折の連続で続いていくかもしれない。この世はネットだろうと現実だろうと厳しいことは嫌というほど知ってきた。自分の思い通りにならないことなんて、たくさんあることを知ってきた。
それ故に、この歌の、この歌詞に救われたような気がするのだ。「私も現実を知っている。だからこそ、『この身を捨てて今 あなたに捧げてる』という言葉のプレゼントをしたい」そのように言われているように感じるのだった。
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