noteのほうに画像や音楽やなんでもかんでも載せるようになってきた

 この手記がnoteに出ている頃には、もう、カクヨムの「統合失調症(本物)になると、起こること(雑記ブログ)」の総PV数をnoteの総PV数が圧倒して更新しているだろうと思われる。

 正直に言うと、私は完全にnoteにはまってしまった。今までだったら「統合失調症(本物)になると、起こること(雑記ブログ)」に書いた記事をただリサイクルして載せるだけだったが、時間もあるからなのか、画像や、昔に創った音楽なども載せ始めた。著作権などが怖かったが、もうどうでもよくなった。過去の、読書メーターに引用文をそのまま載せていた時期の心情に戻ってきてしまっているのかもしれない。

 罪が起こったから、統合失調症になったわけではない。
 そう、思いたい。

 何か罪を起こしたから統合失調症になったのだと考えているが、統合失調症のほうは、私がいくら品行方正に努めたからと言って、統合失調症である事実は変わることは無い。

 一生、スマホのハッキングは起こるし、パソコンの画面を誰かに操作されているように感じてしまう状態は、もう一度言うが一生治ることは無いだろう。

 この世の地獄を経験したわけではないが、閉鎖病棟にいた頃の記憶も薄れてきている。高卒になり、パートタイマーで何をしているか分からずに、自分の時間を縛られ続ける労働も3年目を迎えた。

 パートタイマーで永遠と時給制の中で働き続けるのも、実は地獄の中にいるのかもしれないが、処方された薬物を飲めば、そういうのはどうでもよくなる。私は鼻炎アレルギー持ちで、発達障害により疲れやすい、先天的にそういう気質を持って生まれた人間である。

 そのうえ、統合失調症にもなった。
 全てが暗号に見える体験をしたことがある人はいないだろうと思われる。

 しかし、時間が経った。統合失調症になってから4年が経った。

 その間、何もしていない。資格を取ることも、何もしなかった。
 親の言う通りにし、車も一気に来た自分の障害年金と親が出してくれたおかげで買うことができたが、「車を買う」という出来事は、その後、自分が自立をせずに一人で暮らすことを親が許さない、という別の見方からすれば、そういうことになる。

 (私は一人暮らしは一生できないのだな)と感じた。

 東京の神保町辺りで古本をあさりながら、国際情勢がどうとか、そういうことを語り合うことは一切無くなった。このブログがその残滓ざんしを保っているようだが、本来ならばテレビのニュース以外でこの世のなかを語るような、そんな人間になりたかった。

 話が逸れまくっているが、冒頭に戻ると、noteに完全にはまってしまった、ということだけを伝えたかった。音楽などを載せているが著作権的に大丈夫だろうか、と思うことも無くなった。自分がかつて探し続けた感動を、皆に共有することの何がいけないのか、とも思うようになった。

 そういう態度でいたから統合失調症になった、という因果は私のなかでは成立していたが、その因果もただの思い込みに過ぎず、結局「統合失調症になったから統合失調症になった」というトートロジーや「栄養不足から統合失調症になった」など色々な因果説が思い浮かぶが、罪を行ったから統合失調症になった、という因果からは一旦離れようと思う。

 幻聴は今でも聞こえる。
 思考もおそらく普通ではない。

 お金が少し貯まった。それで最新型のスマホを買った。

 仕事をパートタイマーながらも継続した。なんの意味もない数年間、いや、これから先も含めて数十年間になるのかもしれない。ただ、継続した。それだけが事実で、結局はカクヨムのブログも、継続した。それだけが事実。そして、noteも90日以上毎日投稿し続けている。画像だろうが音楽だろうが、はたまた、「統合失調症(本物)になると、起こること(雑記ブログ)」の転載だろうが、とにかく継続した。

 神はそれ以外を許さなかったのかもしれない。
 私が普通の道を歩めないのは、継続できるか否かのテストを与えられていたからかもしれない。

 自分でも何を言っているかよくわからないが、結局、PV数が伸びているのはnoteのほうなので、noteが楽しい。ただそれだけだ。

 なんでもかんでも。思い付いたもの。創り続けたもの。noteにどんどん載せていこうと思う。

 どんな音楽を創ったのかなど気になる方は「井上和音 note」(https://note.com/inouekazune)で検索して来てみてください。こんな人だったのかと思うはずです。

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井上和音@統合失調症・発達障害ブロガー
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