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同志社大学では最高でも192単位しか取ることが出来ない。
2023年4月4日(火)。21時29分。
暑いですね。
こんにちは。井上和音です。
明日は休みです。
なんか、全国で自転車乗車中にヘルメット着用が努力義務化されたとか。
というわけで明日はヘルメットを買いに行こうと思います。
周りではヘルメットをかぶって自転車に乗っている人なんて、小学生以外に見たことがないのですが。
買いますよ。在庫があれば買いますよ!
自分が一人暮らしだったら絶対に買っていないと思います。今でも収入的には貧乏なのですが、大学生の一人暮らしの頃と比べれば充分にマシな貯金が出来ています。
調べてみたら、3,000円くらいでヘルメットって売ってあったので、買おうと思います。古本とポケモンカード以外を買うって珍しいですよ。家ではずっとパジャマですし。
軽くカミングアウトしちゃいましたね。外出用の服は一着しかありません。というか、自分で買いに行ったことがありませんね。人との交流が無いとこうなります。
別に外出用の服なんて一着で充分だと今でも思っていますけれども。
今日の仕事というか、労働というか、労働が、多少はきつくはなかったために、帰ってから倒れるような疲労感に襲われることもありませんでした。
三足ミアシさんに囁かれることも特にはありませんでした。よかったよかった。
親と色々喋ったらここに喋ることがありません。普通の人間はそうです。喋る人がいれば書き残す必要性などどこにも無いのです。喋る相手が居れば、自分の思いを伝える相手が居れば、特に何かしらをインターネット上に残す必要性も特にはないのです。
「こんにちは。年賀らせです。なんか外がうるさいですね。え? もしかしたら幻聴?」
言わせる必要性無かった。外から若者の声が聞こえてくるのですが、幻聴なんですか。「そーばい!」とか聞こえてくるのですが。ああ。多分、本当にただ若者が騒いでいるだけだと思われます。なんか「どうも今日はありがとうございましたー」とセールストークも聞こえてきた。いや、これは本当の音であり声だ。
「こんにちは。年賀らせ2nd.です。あ。二人目ということではありません。二回目と……まあ。いいです。ヘルメットを買うのですね。よく少女漫画とかでバイク用のヘルメットを外したら、金髪で長髪のお兄さんが、髪の毛をさらあっと目をつむりながら、髪を風に流していく、あのヘルメットを買うのですね」
さらあっと言ったけどバイク用のヘルメットは買わないからね。バイク用のヘルメットをかぶって自転車に乗っていたらそれは変質者でしょう。
バイク用のヘルメットってどこに売ってあるの? オートバックス?
「ところで思ったのですが、熊本って田舎だからなのか、ホームセンターがあちこちにありますよね。電器屋さんとかもあちこち。京都で一人暮らしの時にはホームセンターなんて見たことが無かったのです。電器屋さんもほとんど見たことが無かったのです。それで京都、大学生一人暮らし編では相当苦労をなさったらしいじゃないですか」
多分、電器屋さんより古本屋さんのほうが多かった。京都市内の電器屋さんってどこにあったの。私が統合失調症になった後に家族が部屋に訪問してびっくりしたらしいのが、部屋の入り口だったり、トイレの電球を一切変えていなくて、寝床兼書斎、言うなればリビングですが、そことお風呂場の電灯だけでなんとか暮らしていたことに、びっくりしたらしい。
ああ。これは常識が外れた息子に育ってしまったなと。思ったそうです。
話を変えてもいいでしょうか。
あいみょんさんの『愛の花』という歌をAmazonでダウンロードしようと思ったら、mp3では売っていませんでした。残念。
京都大学総合人間学部卒業のあみきさんが推していた小説、村上龍 著:『五分後の世界』が届きました。果たして私は読めるのでしょうか。
ところであみきさんの4年間での単位数が212単位とか書いてあったのですが、京都大学って限界突破できるのかな……。同志社大学文学部哲学科は124単位で卒業できたから、授業で行う勉強はそこそこにして、本をたくさん読もうかなとか。はい。嘘です。本当の思いもありますが、特に1年次などは「一般教養って一年次に取る必要性無くない……? 本でも読むか」みたいな感じでずるずるいったのと。あと、単純に頭が良くなくて、朝が起きれなくて、フランス語で徹底的に躓いたという、ただの普通の学生っぽい話しかありませんでした。
私は3年次修了時点で88単位しか取っていなかったのですが、卒業論文で12単位分貰えるので、まあ、ほぼ一般教養を12コマを一年で取れば卒業ではあったのです。
卒業必須科目だけはしっかり取るタイプの、嫌なタイプの学生でしたね。一般教養科目は出席さえしておけばどうにかなりますからね。フランス語は当たりの先生を取ればどうにかなりますからね。
あと、2年次には色々と実験(冒険?)をし過ぎました。古代ギリシア語とかラテン語とか、朝一のロシア文学とか。ロシア文学の授業は面白かったのですが起きれませんでした。残念!
まあ。統合失調症で中退しちゃったので、単位もなんの意味もないのですが! ビシバシっとキーボードを力強く打ちました。そう。親が掛けてくれた学費や生活費もなんの意味もなく中退してしまったのです。統合失調症で。発達障害の薬が貰えなくなったことで。
親不孝そのものですね。なのに明日休みだからヘルメットを買いに行こうとかへらへら笑いながらインターネットに打ち込んでいるわけです。
教育は投資だと思われますが、私への投資は失敗してしまったということで。
もしくは。統合失調症が本当に誰かさんが何かしらの方法で、統合失調症を起こしたとして、その目的は障害基礎年金2級の受給権を与え、自由な時間を与え続け、何かしらの文章を書かせ続けるための投資っぽいものだったとしたら(妄想)。避けられない投資の上に乗っかってしまっていたのだとしたら。そういう人生だったと諦める他はありません。だから書くしか無いのです。統合失調症と発達障害をダブルで持っているって……レアでしょ……。多分。需要はどこかに。ある。のかなあ。
そういえば思い出したというか、あみきさんが限界突破しているって言ったのは、確か同志社大学文学部哲学科には、一年間、春学期秋学期で取れる単位数の上限が決められていて、それ以上を取っても無効になるのでなんの意味も無かったはずだったのです。
確か、一年間で48単位。四年間フルで単位を取っても192単位しか取れない計算になるのですが……。京都大学って同志社大学とは比較してはいけないほど高レベルである意味自由な学風は保たれているのですね。
自慢じゃないけれど、適当に過ごした一年次、色々実験なり冒険なりを重ねた二年次で、GPAも1を切っていました。それが、コンサータ錠を手に入れた三年次ではなんと、フル単達成! 48単位を取って、「コンサータ錠を飲んで、普通に朝から行けるようになったら、大学の授業なんて真面目に出席しておけば楽勝やんけ」と気付いてしまいました。そう。私は発達障害だったのですね。ナレコレプシーで散々苦しんだのは嘘では無かったわけなのです。
単位が取れなかったのも怠けでもなんでもなかったと自信が付いた時期でした。
いらん自信が付いた時期でした。
その自信の果てに統合失調症が待っているとは予想だにしていませんでした。京都大学に住むことが出来ました。強制的に。牢屋のような隔離室で。なんで。なんでこうなったの。フル単取れるほどの優秀な私は何かしらの機関にスカウトされて、勝手にスカウトされて、その訓練を受けているのだと、閉鎖病棟隔離室で天井を見上げながら延々と考えていました。公安警察かなあ。公安調査庁かなあ。外国で活躍するなら様々な言語を修得しておかなければいけないなあ。
どこからもスカウトは来ませんでした。
ただ、恵の年金生活が始まっただけでした。
20代からの年金生活だよん。普通じゃないよこんな人生。酸いも甘いも。極が激しすぎる。あの監禁生活の代償として年金生活があると思っています。あれは仕事だったのです。どうしようもなく避けられなかった仕事だったのです。
終わったから「楽勝」っぽい調子でほいほい言っていますが、統合失調症を発症してから閉鎖病棟隔離室は地獄だし、一年六ヶ月間はほぼ無職だし。それはそれは。きついというより長かった。こんな人生が待っているとは思っていませんでした。
まだまだ先は長いのか短いのか正直分かりません。少しでも長くなるように自転車に乗る時はヘルメットをかぶろうと、明日自転車用のヘルメットを買いに行こうと思います。伏線を回収できてよかったですね。
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