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葬儀に出て年下の親戚と話してきましたが、社会人になると人は一度死ぬのかなと思いました。

──『「個性ひとが死ぬ残酷な世界に どうか一つ希望の歌を」(Seeka .)』──
☆☆☆

 2024年4月21日(日)。14時57分。

 こんにちは。井上和音です。Season7もよろしくお願いします。

 昨日は葛城ミサトさんに人生って何なのだろうかとかとにかく書きまくっていたら、気付いたら10万字を超えていました。もちろん累計で10万字ですよ。葛城ミサトさんに人生のヒントを頂いている途中で「ハイカット! 10万字行ったので打ち切りです!」という感じになってしまいました。

 Seasonが変わるとやらなくてはいけないことが増えるので、こうやって書くことない時にも書かなくてはいけなくなるようです。Season7のリンク貼りをそれぞれのSeasonにしなければいけないので。作品を書かないとリンクって作られないのですよ。一話も無い小説が存在しないのは当たり前ですね。章も、キャッチコピーも何もかも一から考えなければならない。ChatGPTにでもキャッチコピーを考えてもらうかなと思っています。嘘です。ChatGPTの使い方知りませんし。知ってはいるけど自分が考えたキャッチコピーというか、過去に思い付いたメモ帳をそのまま書けば、そっちのほうが自分が思い付いたことをみんなに広めることができるという、本来のとうおこの方針からしたら、そちらのほうが適切です。適切で的確な運用方針。ChatGPT使ったほうが楽だと思うよ。

 こんな昼間から何があったかと言われても、親族の葬儀に出ていましたとしか言えません。葬儀といえども、自分からしたら遠縁の方だったので特に大変ということもなく、どちらかというとお客様として扱われました。

 しかし、日々孤独で特にメンターとなる人物もいない中で、年下だったはずの親戚と久し振りに会ってみると、みんな成人になっていました。というか、みんな社会人のような雰囲気になっていました。老けたと一言で言ってしまえばそれまでですが、自分が延々とパートタイマーをしている間に、皆さんはやるべきことをちゃんとやって、社会人として立派に生きているようでした。親戚の大学生になりたての人としか話せませんでしたが、自分の精神年齢は大学生で止まっていることを往々にして感じてしまいました。

 仕事は人を変えるのですよ。社会人になったら個性ひとは死ぬのかなと思いました。個性ひとが死ぬ残酷な世界に どうか一つ希望の歌を」という歌もありますが、社会人になったら自分のワガママとか関係なく、組織の為に自分を殺すのが当たり前なのかなと思いました。特に若者は大学生か、高校生時代から社会人に変わると変化が大きすぎて適応するのが大変なのかなと感じます。大人で尊敬できると思っていた人が、いざ自分が大人になってみたら、実は無能というか、大した大人ではかなったという絶望感とか、感じる人は感じると思います。私は実家暮らしで、食費も親近者が負担しているので、多分、雰囲気はガキのまんまなのだと思います。

 もうすぐよわい30よ。どうするよ。

 30になってもNISAがどうたら言っている親戚っていませんでしたよ。NISAのNIの字も誰も語っていませんでした。おじさまたちの年金の話に加わろうかと思いましたが、齢30の人間が年金の話をしてどうするんだという雰囲気も感じてしまいました。皆さま、熊本の田舎で生きるのはやはり大変──今よりも格段に大変──なので、今聞いても「それは苦労話では」と耳を疑いたくなるような働き方をしていて。どんなことを言おうとも「私はクズです」という結論に至っていきそうで、怖くなっていきました。

 親戚との関係性は良好を保って行きましょう。血縁は大事だと、出会いのない大人になってからよく気が付きました。人との縁は大切です。特に今の情報化した社会。情報はインターネットで手に入れることが出来ますが、本当に助けてくれる人は、親戚しかいないと感じています。これから先、友人やパートナーができる可能性もミリ単位でしかないので、今あるネットワークを絶たないことが大切なのかなと思いました。

 障害年金とパートタイマーが続けば、ある程度のことはどうだっていいのかもしれませんし。井上和音とはこういう人間です。Season7から読み始めた方、どうかよろしくお願いします。

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井上和音@統合失調症・発達障害ブロガー
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