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統合失調症は「頑張ることをやめなさい」と運命から言われているような感覚になってしまう
2023年4月8日(土)。16時41分。晴天。
こんにちは。井上和音です。
と挨拶をするのは良いことなのか悪いことなのか。
「小説を書こう!」とか思っていたら、もちろん挨拶とか無いし、小説を書くとなると、自分を捨てなければいけなくて。どちらかというと、インターネット上では自分を捨てるのが当たり前のことなのかもしれないと、小説を書こうとしたらそんなことを思いました。
私は、まあ。統合失調症ということで間違いがないのですが、普通に人間でもあります。ただの人間なんだということの自覚は時として残酷な気がします。自分が世界の主人公でもなんでもなく、どちらかというと人間の中でも醜い方に立っている──これは統合失調症や精神障害とは関係なく私自身が醜い(見た目等)側に立っているという自覚があるようになってきました。
例えば、もう何回言ったか分からないぐらいに、休日は有益なことをしたほうが良いのではないのかとか思ってしまいますが、今日は本当に何もしていません。何をしたかと言うと、PokémonGOのGOバトルリーグで延々とスマートフォンの画面をタップしていました。
本当に無意味。ただの時間の無駄。しかし、PokémonGOのGOバトルリーグで延々とタップしている間は、幻聴等は何も聞こえませんでした。ただ夢中でタップを続けて、一時間くらいずっとGOバトルリーグをやっていました。
CP1500までの大会で、実は色違いの最強のトドゼルガや、ハードプラントを覚えたフシギバナや、ぼうぎょ、HP、が共に最強のピクシーなどを持っていて、戦っていても簡単に勝てました。
対人戦で勝てるときの喜びって結構強いものがあるのです。
それに、なんの策略も無く。ただ続けていった先にある、続けていったからこそ簡単に勝てる領域にいつの間にか立っていて、それに無料で延々とやれるので、ただ延々とやっていました。
要は続けていっても最終的にGOバトルリーグで戦って勝つという、続けていった先に意味はあるけれど、人生全体で考えてみたら特に意味のない継続だったということが多々あるということを学んだような……学んだというか経験したというか。
最初からPokémonGOに興味も何もない人間にとってみれば、GOバトルリーグで勝とうと負けようとどうでもいいこと甚だしいというわけです。ここに自分の価値観を持ってきて、「GOバトルリーグで勝ったことは、人生で負け組に属している証拠では無いのか」とか思ってしまうわけです。結局のところ人生の意味って他人との交わりが無くしては、何をしても無意味というか、虚しく感じてしまうところに存在していて。何かしらを孤独にして、何かしらをしたときに、果たして虚しいと感じるか、そうでないか。何かしらを達成したときに、虚しいと感じるのかそうでないのか、そこが人生の勝ち組なのか負け組なのかの差なのかなと。知ってはいたのですが。ええ。私も馬鹿ではないので知ってはいたのですが、GOバトルリーグで延々と時間をつぶすくらいにしか、特にやることのない休日《《しか》》過ごせていないことが、私が負け組である所以なのかもしれません。
他に選択肢が無かったような気がするのです。何か有益なことが出来たかと問われれば、何一つとして有益なことは出来なかったのではないかと振り返っています。
たった数時間前のことなのですけれども。
虚しさという、ずっと体験してきたこの感情からはどうして逃げられないのか。「私をここから出して」と天井に向かって言っても、「もう自由なのに何を言っているんだい」と神さま辺りから言われそうな気がします。
もう君は閉鎖病棟にも、隔離室にもいないのですよ。
インターネットが繋がっている部屋に居られるのですよ。
空調も自由。薬も自由。スマートフォンだっていくらでも触っても自由。
なんなら、休日だけコンビニのアルバイトでもやってみますか? でもそうじゃないのでしょう。お金が無いなら稼ぐのではなくて、お金が無いなら使わない派なのでしょう、貴方は。とでも言われそうな気がします。
自分の理想とする世界はここでした。
「読書はすればするほど旅に出られる」と言われることがありますが、恐らく読書をしていたとしても、虚しい気持ちは変わっていなかったと思われます。熊本に本屋さんは無いし、もう大学ともおさらばしています。大学図書館に通えた日々、コンサータ錠を飲みながら大学図書館に通えた日々は一生の中で最高の時間だったでしょう。有益な時間だったと思います。
今が有益な時間ではない。そう感じてしまうのは、大学でアルバイトもせずにただ本を読んで、自分が賢いとか思っていたあの時期が未だに忘れられないからそんなことを思ってしまうのだろうなと思っています。
今日のこのテンションで小説の続きを書いたところで、何を書いても「面白くないな」と思ってしまう予想が簡単についてしまうので、小説は……書くのでしょうかね。書かないのでしょうかね。自分でも分かりません。ただ、こういうエッセイっぽいところで、面白かろうと面白く無かろうと、とにかく書く場所を設けてくださった過去の自分には感謝を申し上げなければいけませんね。
というか。こういう記事になることも予想して、「何でもいいから続けられる場所で続けていきなさい」と過去の自分はこの場所を創り上げたのだと思います。恐らく過去の自分は今の自分よりもだいぶ優秀で、本とかも貴重品のように読んでいたのかなと思っています。
ちなみに、この『とうおこ』の主旨から言っておくと、GOバトルリーグで延々と画面を見ていた時には、全くと言っていいほど幻聴はありませんでした。で。今。何かしら書こうとしている時は幻聴が聞こえてきています。「言うな」「やめろ」とか。結局統合失調症ってストレスと栄養失調で解説されても納得するしか無いのかなとか思います。
統合失調症って悪魔だなあと感じます。頑張ったらダメな人に選ばれてしまった感じがします。「頑張るのをやめなさい」と言われて「やったー!」と喜ぶ人は大勢いそうな気がしますが頑張ることをやめたら、何一つ残ることはありません。何も無い中で生活していく様は、何もない海の中を理想に向かって泳いでいる様子に似ているかなと思います。理想に近付いて理知的に泳いでいるように見せて、理想だったはずの場所に泳いで着いたとしても、全然心は満足できなくて絶望してしまう感じです。そしてまた泳ぎ出さなければいけないのです。考えている理想の到着点に到達したとしても、ただ虚しいことを知っていながら。人生においてマイナスにならないことだけを考えて慎重に泳ぎながらも、満足することは無し。そんな感じの泳ぎをずっと続けているようなそんな感じがします。
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