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成人に成り切れなかった大人から、幼い私へのメッセージ。
──『鬱にご注意を』──
☆☆☆
2024年1月8日(月)。15時57分。成人の日。
成人になられた方々おめでとうございます。
こんにちは。井上和音です。
起きたのが10時半過ぎだった。朝ごはんを食べ終わったのが11時過ぎだった。
今日は特に何もしていない。LINEでメッセージを送ったら、返事が返ってこない。
友達がいない。話し相手がいない。
と書くと「いい加減にしろ」と幻聴が聞こえる。
苦しい。苦しい。セパゾンを飲んでなんとか生きている。
今日の夕飯はガストに行く。夕飯に行く前に髭を剃らなくてはいけない。
苦しいな。「書いたら負け」とか聞こえてくるけれどなんなんだ。
友人は0人だ。熊本高校時代の友人はいなくなった。
キャリアについての話ならばしてもいいと言われた。私はパートタイマーなのでキャリアデザインとかそういう土台に立てていない。
要するに土台が違った。話す意味がないと言われてもその通りだと感じた。
こういう人間は生きる意味がない。本当だ。本当に言っている。死にたいと言っているわけではなくて、生きる意味がないのだ。
統合失調症だったら公務員にもなれない。生きているだけで親の負担にしかならない。負債だ。自分はお荷物の負債なんだと言い聞かせようか。
そう言い聞かせた結果、どういう人生が待っているかは何日か前のLINEで知っている。何の意味もなくデイケアに行き、時間をつぶして帰ってくる。何の意味があるのだろうか。
色々な人を敵に回してしまいそうな文章だ。生きている意味がない人間にとって、生きている意味を探すとなるとこれは非常に難しい。
ずっと寝ていたい。暇があっても意味が無い。ところが忙しいことも嫌う。ゆっくりとゆっくりと文章を打っている。
もう16時09分だ。3連休が終わりそうだ。生きる意味って何なんだろうなと思っていたら、朝に寝坊した。仕事が暇つぶしとしてちょうどいいのかもしれない。意志を以って休日を過ごすことは難しいらしい。
父親はシンクを拭いていた。今は洗濯をしている。私は高校サッカー選手権大会決勝を見ながら、心臓が苦しくなってきたので、寝ようとした。
寝たら風邪をひくのではと、極力寝ないことを意味不明な定義に当てはめた挙句に、寝るくらいならばとなんの意味もない文章を打つことに決めた。
太陽が嫌いなんだ。
日が照っていると眠くて仕方がなくなる。人生が嫌な人生を送ってきたので、日が照っている時間に行動してきた幼い頃からの人生で、日が照っている時はただの苦しい人生だったので、自然と日が照っている時間帯が嫌いになっていった。
私は不幸だと思う。せめてもの同志社大学に逃げて、自由に生きていたら、お金もなく自由に生きていたら、栄養失調か孤独に耐えきれずに統合失調症になった。
「に」という因果関係の助詞を使ったが、統合失調症には意味が無い。因果関係など存在しない。統合失調症というのは症状であり、治ることは一生ない。
公務員の正職員になることも一生ない。一生追い続けて一生ない。別に働きたいわけでもない。まるで私はデイケアにいるのと同じような人生なのかもしれない。統合失調症で足掻く意味はある。意味というか、可哀想に時間だけはあるので、意味を考え続ける因果はあるのほうが正しい。
因果を考え続けて、因果がなく、更に苦しくなっていく。
友人もいない。ねえ。なんで親に隠して生きていかなくてはいけないの。何も隠さずに話すことの出来る人が一人いれば、それだけで人生は生きていけるのではないのかなと思うのだけれど。
会話相手がいない。いつも拒否される。統合失調症を恨んではいけない。統合失調症になる前から、特に幸せな人生だったというわけでもない。誰一人として私のことなど知らないだろう。
キャリア形成とかそういう問題に立てていることが羨ましい。私はパート代の時給が70円上がっただけで、人生の中で最大級の喜びを感じた人間だ。
居ても居なくても変わらない。その通りだった。30まで生きたがその通りだった。23で統合失調症になったのは、「もう生きていても仕方のない人生になったから、死んでも統合失調症が苦しかったんだね」と他人に因果関係を与えるためだけに私を統合失調症にしたのかなと思ってしまう。
実際に死ぬには充分すぎる不幸を味わってきた。統合失調症になって檻の中に入れられたのだから。そのあとも統合失調症が治まることを知らなかったのだから、あの時に死んでおけばよかったと思う日がきっと来る。その代表例が今日のような1日だ。
私の周りには拒絶しかない。否定しかない。貧困しかない。選択肢もない。
ここは東京じゃねえんだ。東京だけが日本だと思うなよ。大卒だけが人間だと思うなよ。障害者だっているんだよ。日本に。田舎に。熊本に。時給1020円で働いている30手前の人間だっているんだよ。
死んで、人生に選択肢を与えてくれなかった親に最後の復讐を遂げたいと思っていたが、もう既に遅かった。大学時代はそう思っていた。親より先に死ぬことだけが、親に対する自分の意志の最初で最期の表明だったと思っていた。
遅かった。どうでもいい世界が転々と流れていく中で、何もかもがどうでもいいと思うようになってしまった。
苦しい。死は救いという言葉が流行ったことがあったが、私もその世代だった。借金しまくって死ぬのが一番いいのかもしれない。コスパのいい死に方。
しかし死ねない。こうやって鬱の頂点を極めても、まだ幻聴が聞こえてくる。「なんやお前」と。統合失調症ってもしかして死ぬ間際まで続くか、もしくは死んだ後も続くんじゃないのか。本気で思い始めた。
幻聴のタイプは「否定」。現実世界に生きる人間たちと同じように、毎日、毎分、毎秒否定の言葉を浴びせてくる。
褒めることは一切ない。HSK3級で合格点まであと2点だったことも、誰一人として褒めることはなかった。
どうでもよくなったな。ありがとう。この文章を読んで不愉快に思われた方は申し訳ありません。
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