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自分の積み重ねてきたことが、実は罪を重ねてきただけなのではないかとずっと不安になっています。
2023年2月26日(日)。20時43分。
はい。こんにちは。井上和音です。
激ねむなんだけど。
花粉のせいだと思うけれど、激ねむなんだけど。こんな文章を書くくらいならば早く寝たほうが良いような気がするけれど。
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今日の統合失調症のコーナー。
ツイッターのトレンド欄に、なぜか毎日『めだかボックス』が出てきていますね。
「引用するなら西尾維新のめだかボックスにしろ」と神さまから言われているのか。
それとも。
「ワンピースの先取りネタバレブログで文章だけでもネタバレをしていた人たちは、損害賠償を請求されたのだから、引用で名言を集める行為も違法だ。だから人気が出ないんだよ馬鹿め」
とでも言われているような気がします。
確か著作権法では、「公表された文章」だったら引用してもオーケーだったような気がします。逆に「公表されていない文章」を引用したら違法に当たるような。
しかし。まあ。「引用の主従関係をはっきりさせる」の箇所だけは、私は主従関係は取れていないのかなとはっきり分かります。別に善悪とか思っていないのですが、やりたいことが、「名言をみんなで集めよう」なので、主従関係も何もありません。ただ出典元が書かれた「名言」と思われる文章を、ただ集めているだけです。
ずっと思ってきましたが、自分から言うのも馬鹿なのかなと思って言っていませんでしたが、「引用」の条件の「主従関係をしっかりさせる」の用件だけは満たしていないと思っています。では「名言を集める」ということは正しいことなのか悪いことなのか。名言を集めた者は裁かれてしまうのかそうでないのか。正直分かりませんが、やりたいことをやっているつもりです。
世間様に迷惑をかけないように。可能な限り、【書籍】であれば、ネタバレなどせず、短い引用で、ただ紹介したいというそれだけの思いしかありません。
しかし。約一ヶ月続けてみて誰もメンバーシップに入ろうとしないのは「これは法に触れるのでは」という危険性から誰も入らないし、入ろうともしないし。だからと言って、井上和音さんが楽しそうに活動をしているのを見ると、忠告するのも水を差すようで悪いのかなと。とにかくこういう場合には関わらないのが一番、ということで、誰からも止められずに淡々と名言図鑑に名言を登録する作業は毎日続いています。
☆☆☆
「こんにちは。年賀らせです。言いたいことは言えましたか。井上さんが不安に思っていることは言えましたか。言わないほうが吉と思っていたけれど、言ったほうが良いのかなとか。とりあえず井上さんは馬鹿だから『やりたいこと』と『やっていいのか分からないこと』との境目が分からずに、『やらないほうがいいんじゃないのか』と自分に言い聞かせながら、見境を付けずに世にある言葉全てを、記号化された全てを、名言だと思ったら集めてみたいけれど。
けれど。
一ヶ月やってみて思ったのが、『名言図鑑』って運営だけでも結構面倒な作業が続いていくな、というのが実感としてあるのでしょう。
名言をちゃんと出典まで調べて、毎日一投稿するだけでも結構時間が掛かる面倒な作業なので、『続けてなんの意味があるのだろうか。どころか自分の人生に悪影響しか及ぼさないのではないのか』とか思って。
要は続けたいけれど、法律的にはどうなのか。
続けたいけれど、時間的にはどうなのか。
続いた先に、記事とかにまとめる作業は楽しいのかもしれないけれど、これってどうなのだろうか。誰か見ている人がいるわけでもないし。そもそも誰もメンバーシップに入っていないし。
誰もメンバーシップに入らないのは、法的にアウトなのではと、みんなしれっと思ってはいるから関わらないだけなんだろうな。
ということは続けていっても悪影響しか及ぼさないのかな。
とか。そんなところでしょう。
限界。
せっかく生きているのだからやりたいことをやりたいけれど、これが本当にやりたいことなのか。当たり前だけど、人生、というか人間は生きていたら変わっていくのが人間で、名言を集めるという趣味をメンバーシップにしてサークルみたいな感じにして、サークルならいいのだけれど。いや、法律的には有料無料関係ないとは思われるけれど、更に悪いような感じがするのが、メンバーシップというお金が絡んでくるところに『名言を集めたい』というサークルを立ち上げたけれど。メンバーは自分一人で、ただ虚しく。積み重ねてきた時間は、運営さんの『苦情が多いのでメンバーシップを停止しました』のメール一本で、がらがらと崩れ去ってしまうのか。虚しいなあ。誰か入る人とかいないのかな。いないよな。法的にアウトか、グレーか、分からないけれど、自分からそういうところに関わっていくほど自分達は馬鹿ではないよ、という人が大半というか、そもそも興味ない人が大半で、知らない人が大半で、ひっそりと『名言図鑑』は、井上さんの精神的な体力や、名言が底をついて終わってしまうか、運営さんが先に終わらせて、文字通り集めたデータが全て消えてしまうか。結局のところ消えてしまう運命にあるのか。そもそも人生に悪影響を及ぼして、後々『名言図鑑』のせいで大変で、なおかつ地味で。特に話題にもされずに自分が思い重ねてきた作業は全て終わりになってしまうのかなあ。とか。終わりになればまだマシなのかもしれませんが。終わらず延々と続いていくことも、また地獄のようで。正しいと思い続ける精神状態も限界を迎えて。そう、限界です。限界を迎えてしまったら、もしくは他人から強制的に終わりを告げられたら終わるのでしょうね。終わらなかったらすごいですね。この世は名言の坩堝なのか、どうなのか。法律というのはどこまで人を守ってくれるのか。自由というのはどこまで制限なく生き抜くことが出来るのか。表現の自由とは一体なんなのか。引用とは。大量に転がっている本のまとめ動画などは違法ではないのか悪質では無いのか。
そもそも法律を語る際に、善か悪かは関係ないのです。
合法か違法か。それだけをロジカルに。思いとかそういう抽象的なことは置いておいて。
井上さんは一体どうなるのでしょうか。井上さんが言っていることは、言った後に『優しく聞こえますが、犯罪者の言葉です』という注釈が流れるようなブログの人生になってしまうのでしょうか。そもそもブログは続いていくのでしょうか。精神科病棟に入院したらブログは終わり。正職員になってもブログは終わり。何になってもブログは終わり。今の。フリーターの今でしか出来ないからブログを書いていて、いつかは勝手に終わっていく。井上さんが笑顔で先へと進んでいくその中で、心の中で『ずっとブログを続けたかった』という思いも何もかもふたをして、笑顔で先へと進んでいき、その先で後悔しながら普通という人生を歩んでいく。誰もがそうやって生きているので井上さんだけ例外とかそういうことは一切起きないのですよ。
井上さんは特別でもなんでもないのですよ。
井上さんだけ治外法権とかそういうことは一切無いのですよ。
ただ生きているだけで年金が貰えるような人生にはなりましたが。なっただけであって、そこに何かしらの意味を見つけていくのは井上さんの仕事になるわけですが、何も意味を見つけられずに淡々と過ごしていっても、何も残らない。何も残らない。その恐怖で嫌になって。人生を終わらせていいのではないかとか、そんな風に思ってしまうのですよ。おかしな人です。何も残らないことに恐怖を抱く、本当におかしな人です。自分の生きた人生を遺せる人なんて数握りほどで、ほとんどの人が忘れ去られて死んでいく。井上さんも例外ではなく、誰からも覚えられずに死んでいく。例外ではありません。特別ではありません。
井上さんは特別ではないことを、よーく覚えておいてください」
早めに寝ます。明日からも淡々と続けられたらいいなと思っています。
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