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向精神薬の薬物依存を満たし続ける以上の幸せな人生というのは実は存在しないのかもしれないが、それは教育上良くないので日本のタブーとされている。

 2023年3月10日(金)。21時52分。

 はい。こんにちは。井上和音です。

 無事にルギアSRが70,000円で買えました。買えない理由が分かったので(自動で打ち込むようにしていたら、不審なクレジットカード決済と判定されていたそうです。)買いました。

 はい。なんで買ったかと言うと二つほど理由がありまして。

 はい。今日は。

 の前に。ツイッターでポケモンカードが買えなかったのは統合失調症のハッキングのせいだとわあわあ言ってしまい申し訳ありませんでした。ツイッターのネタのようになってしまいました。

 結局70,000円で買えました。買わないほうがよかったと、そのうち近いうちに後悔するのかもしれません。

 で。買った理由ですね。

 二つあると言いましたが実は三つほどあるような無いような。

 一つは、今日、トリプレットビートというポケモンカードの新しい拡張パックが販売になりまして。一番の当たりがキハダSARというものなのですが。

 中古の売却価格、120,000円。12万円です。初動の価格でこれなので、もっと人気の高いはずであるナンジャモSARとなると、本当に20万円を超してしまうのではないかと思ってしまい。

 簡単に言えばナンジャモSARをもう既に諦めました。

 じゃあ、その買わない分を貯金に回せばいいじゃないかと思われがちですが、ここにも理由がありまして。

 昨日の夜に、私は本当に死にたいというか、「統合失調症になってすぐに死んでおけばこんなに苦しい人生を歩むことは無かったのではないか」と思ってしまいました。本当に死んでおけばよかったと勝手に思いました。

 一人暮らしの頃だったら死ねたはずというか、死ぬか実家に帰るかの2択しかなかったので、今になって死ねばよかったなと本気で思ってしまいました。

 それなのに、今朝もまた起きて仕事に行きました。仕事というか労働ですが。

 そこで、ルギアSRを買うのをためらわずに買おうと決めた出来事がありました。

 同じ職場でうつ病になってしまった人と友達になりました。そこで昼休みに「統合失調症になってすぐに死んでおけばよかった」と言ってしまいました。

 ドン引きですよ。もう私は普通の人間ではありませんよ。

 その人は友達と思っていたのですが、徐々に話しているのが私だけというか。徐々に分かってきたことは、私の話も話半分で特に聞いてはいないという感じを徐々に感じました。

 それに、その方は「心療内科でうつ病の診断書を一応貰ってきている」と言っていましたが、私と話しているうちに、徐々に徐々に、なんというか。元気になっていっていったというか。多分転職もしないだろうし、休職もしないだろうなと、私の勝手な判断でそう思えるくらいに安定してきていました。

 これは性格の悪い、私の勝手な判断というか評価なのですが、恐らくうつ病のその友人は、《《本物の精神疾患患者、というか、精神障害者と間近に話してみて、「あ、自分はここまではないな」と判断されたというか。「自分は井上さんよりかはまだマシだ」と思われたのだと思います。》》要は、《《精神障害者の本物を見て聞いてしまった》》、という機会を私が与えてしまったのだと思われます。

 こんなことを言っては失礼千万に値するかもしれませんが、「ここまで《《下》》の人間には出会ったことがなかった」といった驚きがあるかもしれません。私の職場は優秀な人が多いので、「昼間が眠い」とか、まあ、本音で言う人はほぼいないというか。そんな中に井上和音という異分子が混ざり込んでいたわけです。「こんな人間がこの職場にいるとは思いもしなかった」と思われていると思います。勝手に思っています。

 そして。そんな《《下》》の人間の井上さんが遂に「死んでおけばよかった」とか、他人に言う言葉ではないことを口走ってしまい、「マジかよ」と思われてしまったのだと思います。

 そこで言われたのが、ルギアSRを買おうと思った二つ目の理由。「お金を使うと楽しいですよ」と言われました。

 もう。唯一の鬱から、ないしは「死んどけばよかった」とか思う感情から逃れる最終手段。出費。もうこれしか無いのかなと思いました。

 というか。「死んでおけばよかった」と極に走るかのような発言をしてしまった後の感情としては、「『死んでおけばよかった』と極に走るくらいならば、貯金しているお金を使えばいいのでは」とこれまた極に走るかのような思考に陥ってしまいました。

 統合失調症あるある。双極性障害あるあるなのかもしれません。すぐに考え方が極に走る。死んだように生きるのはいいのかもしれませんが、《《それすら出来ない。》》死んだように生きるのは格好良いと思いはしますが、死んだように生きるのはかなり難しいです。私の場合は難しいです。困難です。死んだように生きるくらいならば死んだほうが。いや、死ぬのは怖いので、死んでしまった後の状態になってくれさえすればそれでいいのですが。

 いや。しかし。死んでしまったあとの状態というのは実は疑似体験しているじゃないかと思ってしまいますね。閉鎖病棟の隔離室とか、死んでしまった後の疑似体験そのものだったかと思います。

 そんな状態を経験してもなお、死んだように生きることが出来ない。

 もう貯金も諦めましたし。なんならポケモンカードゲームClassicの予約抽選にも参加しましたし。もしかしたら、ナンジャモSARもなんだかんだ言って買うのかもしれません。もう人生はどうでもいいのかもしれません。

 紙切れ一つに70,000円も使っていますからね。馬鹿も程々に。

 私は統合失調症患者なのですね。将来後悔するでしょう。将来何も食べることもできずに、生きることに疲れ。もう生きるのが嫌になるでしょう。鍵は親がいつまで生きてくれるかです。もしくは、自分がいつまで閉鎖病棟や刑務所などで監禁状態になるのが早まるのか。そこらへんが鍵かと思われます。

 閉鎖病棟や刑務所には入りたくありません。特に悪いことも、他人に迷惑をかけていることも、法に触れるようなこともしてはいません。しかし運命というもの。なんか。いつかは。縛られるのでしょうと思います。行きたくないのですが。仕事とかで縛られるのも程々に。今くらいがちょうどいいのかもしれませんが。それすらも行けなくなって。

 最終的には自殺でしょうか。死にたくないのですが。私は……。私は。一体。

 クズも程々に。散財も程々に。貯金も程々に。頑張って生きてとも言いません。無駄な抵抗もしないで良いです。今日も職場では倒れる寸前でした。休憩室で倒れました。

 もうどうでもいいというか。急に極に走るような感情になったので言いますが、明日はITパスポート試験です。恐らく落ちるでしょう。今日も何もしていません。朝早くに出発なので、明日も何も出来ません。結局落ちて、また親から自由を奪われるのでしょう。

 私に自由を与えてはいけないのかもしれません。私はなんなんでしょうか。なぜ私は私を守るような行動に出ることが出来ないのでしょうか。私は本当の恐怖というのをまだ味わっていないのでしょうか。閉鎖病棟の日々は一体何だったのでしょうか。

 コンサータという薬に執着して、飲めるだけでも幸せなのに。トラマゾリンやエメダスチンといった鼻空孔を広げる薬を毎日服薬できるだけでも幸せだというのに。

 もしかしたら。本当の幸せというのは、合法的な薬物依存に陥り、合法的かつ医療目的で使われるので、依存した薬を延々と飲み続ける。それ以上の幸せって実は無いのかもしれません。タブーで大体の人の人生が壊れるので、日本の教育上は薬物依存=悪、という教育で一致しているというか。私ももちろん賛成で、私の生活を小学生が見て一言「可哀かわいそうだね」と言われても仕方がないです。

 薬が無いと生きていけない。薬があると幸せになる。本当に可哀そうだねとしか思えませんが、ああなって、こうなって、そうなったような人生になって。統合失調症とかいう意味不明な一生治らない病気になって。最悪ですが、それで薬物依存が強まってというか、薬物依存の欲求を満たすことの出来る、薬物依存を続けるためだけの人生になってしまって。もう、医者からも、社会的にも抜け出すことの出来ない最高の幸せの中で生きていくことが決定してしまったので。それが神の導きであろうと、自分の努力した結果であろうと、そういう風に人生が決まっていたという予定説であっただろうと、私は薬物依存の人生を一生を駆けて歩んでいくのだろうなと思っています。

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井上和音@統合失調症・発達障害ブロガー
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