【論考:歴史】「2014年にクリミア侵攻があったのに、なんでロシアで2018年にサッカーワールドカップが行われたの?」と子ども達に聞かれる未来がやって来る。
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タイトルから書いています。話が逸れていったら申し訳ございません。また、私は小学校教師でも国際情勢専門家でも歴史認識専門家でもありません。ただ一市民の考察に過ぎない考えてもらえれば嬉しいです。
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2023年5月11日(木)。21時17分。
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「2014年にクリミア侵攻があったのに、なんでロシアで2018年にサッカーワールドカップが行われたの?」
「それはね。クリミア侵攻があった当初はそこまで大事だと世界は捉えていなかったからだよ」
「やっぱ平成の日本人って平和ボケしてるね。誰でも分かることなのに」
「日本人だけの問題じゃないと思うよ」
「それにやっぱサッカーってダメなスポーツだね。なんであんなに流行っていたの。今は金持ちの見世物みたいになってるじゃん。なんであんなのにみんな憧れていたの?」
「いや……戦争の代わりにサッカーワールドカップがあっていたようなものだったから。昔は貧しい国も活躍するようなスポーツだったんだ。お金持ちの国が帰化選手ばかりになるなんて、そんなスポーツでは無かったんだ」
「国際連合ってロシアと中国が入っているのになんで今でもあるの? 主要国首脳会議だけでよくない? ロシアと中国が拒否権を使いまくって何も決定できない会議なのになんで今でもあるの? 教科書にも『残念ながら国際連合は機能していません』って書いてあるのに」
「昔はG7って言っていたんだ。主要7か国首脳会議だったんだけど。いつの間にか名前が変わったのだろうか」
「国際連合っていらないよ。馬鹿じゃないの?」
多様な国の声を聞く国際会議の時代は終わりを告げました。ちゃんちゃん。
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2023年5月11日(木)。21時36分。
☆で区切りました。
こんにちは。井上和音です。
あくまで未来の話なので、適当に流して頂けたら幸いです。
書いていて気が付いたのですが、G7が主要7か国首脳会議から主要国首脳会議に和名が変わってしまったのはいつからでしょうか。いつの間に。
調べてみたのですが、G7にロシアを加えた会議を主要国首脳会議と呼んでいたというホームページ「三井住友DSアセットマネジメント」(https://www.smd-am.co.jp/glossary/YST1113/) もあれば、首相官邸のホームページ「G7広島サミット」(https://www.kantei.go.jp/g7hiroshima_summit2023/index.html) においては、G7をそのまま「主要国首脳会議」と訳していました。
あやふや!
歴史の転換点に立っているのかもしれませんね。
そうですね。タイトルにあるように、未来の人からしたら「なんで! なんでこんな一見矛盾だらけの歴史が普通に流れているんだ! 当時生きていた人間たちは馬鹿だったのか!」と言いたい歴史ってそこそこあるような気がいたします。世界恐慌の後の浜口雄幸内閣とか。「ま、アメリカで起きた経済不安もすぐに良くなるっしょ」ぐらいの気持ちで金解禁したらしいですが、今の時代の「世界恐慌」という言葉がある視点から見れば、「これさえなければ日中戦争も始まらなかった可能性も高いのに……どうして、どうして」と疑問に思ってしまう人も多くいるかもしれません。高校の歴史教諭も説明に迷ってしまう状況も多いかと思われます。
全ての歯車はここで狂ったというか、誤解を恐れずに言えば全ての歯車はここから始まったと言うことも出来てしまうでしょう。現代の地球全体のバランスが変わっていたかもしれません。日本が世界の歴史に根強い影響を与えてしまった判断の一つと言えるでしょう。
こうやって、矛盾と言っては言い過ぎなのかもしれませんが、論理的に考えてみたところ、矛盾という言葉を使いたくなる瞬間は私たちが生きているこの現代でもしっかりと起きてしまいました。
なぜだ! 歴史の裏には誰がいる! そうだ、お前だ。顔を見せろ!
「こんにちは。私は歴史の矛盾マイスターです」
という裏で暗躍するようなキャラクターは……どうでしょう。いるかもしれません。いないとは言い切れません。例えばスパイとかは名も知れず歴史に影響を与えたまま、歴史に影響を与えたことを知られることなく消えていきます。歴史は何事も無かったかのようにただ矛盾する現実を時と共に進めていくだけです。
ウクライナ侵攻が始まってから、どの報道機関も「ロシアが軍事的に動いた。ウクライナが軍事的に戦略されてしまうのも早いだろう」と最初は思っていましたが、ウクライナが耐えました。そのおかげで元西側諸国はアメリカを中心に経済制裁と軍事支援を徐々に推し進めることが出来るようになりました。NHKのニュース7でも、ウクライナの市民がロシア軍を爆撃したことは「抵抗」という言葉を使うようになり、ロシア軍のミサイル爆撃に対しては「悲惨な戦争犯罪」という言葉を使うようになりました。
市民が軍に攻撃することは「抵抗」で正解なのかもしれませんが。
ウクライナの春の反転攻勢が行われることをどこか明るい調子で報道しているように感じます。
ここで大事なのは、NHKニュース7の報道に疑問を持つことではなく、日本という国の立場が完全に固まったので、私たちはウクライナがどのような攻撃を行ったとしても、我々は日本人なので日本人としての立場で物事を見なくてはいけなくなったことです。そういう風にある物事に対して正しい視点がしっかり固まったので、ロシアに対しての見方を、例えばサッカーワールドカップロシア大会があった2018年頃の平らな視点から我々自身の捉え方をしっかりと変えなければいけなくなったということです。令和に産まれた子供たちと、例えば平成時代を生きてきた私たちとでは、ロシアという国に対する態度が、恐らく教育課程の教科書レベルで思想の根本から変わっていくであろうということが想像できます。
大事なのは変わっていく世界に自分の思想も変えていかなければいけないと、そういうことです。私たちが受けてきた歴史認識や、教育、国の在り方、国際的な枠組みの重要性の変化。それらを誰からも教わることなく、自分たちの自己認識で変えていかなければいけないということです。
これは結構勇気がいることだと思います。私は勇気がいります。高校時代に習ってきたことや、国際連合の素晴らしさなどを、またフラットな視点で見直して、ある意味で常識として教えられてきたことを自分一人でひっくり返さなければいけないからです。教師という他人が教え、教室内の仲間たちと共有してきた歴史認識を一人で変えるのです。教えられた時には「みんなも同じことを教えられているから、この歴史認識で正しいんだ」と自信を持って記憶することが出来たのですが、大人になった私などは、誰からか教えられることも無く、誰かと共有することも無く、徐々に変わっていく報道の在り方や、国際的な枠組みの和訳の変化。そういう変化を奇妙だと思ってしまうことを乗り越えて、自分の歴史認識が間違っている可能性があると自分の学んできた常識をアップデートしなければいけません。こういう歴史認識の心理的変化を現実として初めて感じています。人が生きている時の中で、生きていながら生の時間で変えていかなければいけないというのは、あらゆる時代の中でもそうそうあることではないのかもしれません。だから私は焦っているのかもしれません。ただ、貴重な、珍しい時代を生きていることは確かかもしれません。この時代に生きていることを受け入れて、次の時代を生きる子どもたちにもスムーズに歴史認識の変化を説明できるようになれれば良いのかなと思っています。