11/10 母という人
私は歳を重ねるごとに、自分の一番苦手な女であるところの母に順調に似てきていて、顔(若い頃は父にそっくりだった)も、言動も、食事の好みまで気がついたらよおく似ていてハッとする。
そして最近、あの時の母の行動はきっとあの人なりのSOSだったんだなとか、色々あったけどあれがあの人の愛情の掛け方だったんだな、とかじわじわ理解できている自分に慄いている。わ、わかる、あの時の母が何を考えてあんなキチガイ沙汰を起していたのか。やべえ。これはやべえ。
家庭を守ることに全く向いてなかった母。
やりたいことをやりきるまで、子供を産んだらダメよ、私みたいになるから、と幼い私に言い続けていた母。
数年前までこの言葉が呪いのように私の首を絞めていたような気がするけど、今ではあの時母がどんな気持ちでそんなことを言ったのかわかる。
これ、理解できてしまったのしんどいけれど、心の大きなつかえは取れたような気がするなあ。
きっと私のこと産まなきゃよかったなんてほんとうに心から思っていたわけじゃないんだろうけれど、そうやってこぼさないと自分の諦めた夢とか、うまくそれと家庭を両立できなかった自分とか、それを良しとしなかった義両親や時代、世間と、今これからの自分のバランスが取れなかったんだろう。
ここまで理解できてしまったからこそ(母にこれを話したらそれは違うと反論されそうだが)、私はおんなじ道を辿らないように前向きに軌道修正できたらいいなあと、思う。(今日、パートナーに母にそっくりの感じでキレ散らかしたけど。)
自分のやりたいことを見失わず、時間をしっかり作れるよう、このnoteを書ければイイっすね!
日々思っていることを文章にして吐き出す、ということも、私のやりたいことの一つなのだ。
よし、本日の日々の残りカス、つまりうんこは以上です!
散々泣いてぼんやりnote更新して、着替える気もめかしこむ気も起きないのでパシャマにコートを羽織って義弟(今日誕生日)の家に呑みに行ってきます!
母にも、素晴らしい飲み友達がいたら、何か違ったろうな。
それでは、また。