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東大VS医学部ではなくて理系学科VS医学部である

noteの教育系カテゴリでは、東大と医学部との比較が盛んである。
常に、結論は、医学部である。
しかし、この比較論には違和感がある。
私が高校生のころに考えていた選択とは、「非医学理系学科にするか医学部にするか」というものだ。
数式とかグラフとか機械とか電子回路とか化学実験装置とかをいじってみて、それがそのまま生活手段になったらいいとボンヤリ思っていたのだが、現実はそんなに甘いものではなかった。

興味だけでは金にならない

たとえば、
「無目的なお絵描きをダラダラやっていたら、絵を描くだけで金をもらえるようになる」
と思ってる美術学生がいたら、甘すぎるだろう。どうやったら絵が金に代わるかを調べ、能力を開発し、営業に走り回らねばならない。
理系学科では、そのような常識がない。
金になる方面の専攻を選択するということがない。
学生は、興味本位でキャリアを作ることを推奨されている。
「興味を持ち給え」
である。
しかし、興味本位の学習と研究の果てに、ポストにありつく可能性はひどく低いのである。
就職があるのは、数学なら電算機、物理学なら物性物理、化学ならば合成化学だ。生物学は全く何もない。
興味本位で専攻分野を選ぶと、人格も能力も職務態度も問題ないのに、17年も大学助手を続けた末に学部長を殺害してしまうような隘路に入り込むのだ。
広島大学学部長殺人事件 - Wikipedia
この人が素粒子物理ではなくて物性物理だったら、大学でも昇進できたし、企業就職もあっただろう。

生活不安を抱えたままでは長期間の学習も研究もできない

対象が好きでなければ、長期にわたる学習や研究はできないから、興味は必要だ。しかし、生活費を稼げる見込みがなければ、生活不安が出てきて、興味だって続かない。
理工系技術者や研究者になるには、少なくとも大学学部4年、大学院修士2年で6年間かかり、アカデミアを狙う場合は、さらに博士3年を要する。合計9年である。その間、学生支援機構や日本学術振興会から金をもらうことはできるが、ギリギリ生活できるレベルだ。
私の実家は太いのだが、チャールズ・ダーウィンのように、一生、仕送りしてもらえるほどの太さではなかったので、いずれは就職しなければならなかった。
だから、私は医学部に再入学して医師になった。
就職できて、生活は確立したし、資産も貯まり、もはや働く必要すらなくなっている。
しかし、残念ながら、キャリアが終わりかけている現在ですら、医学にも医療にも興味が持てない。医師のキャリアも大したことがない。

それでも、自分は医学部→医師というキャリアを選んで良かったと思っている。3億円の豪邸を建てるとか、3人の愛人と6人のこどもの面倒をみるみたいなことさえしなければ、生活費に困らず、平穏に生活ができるのだ。

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