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母子家庭で育ち、祖父の倒産を経験した田舎の貧乏少年が【6億円】を売り上げたストーリー

はじめまして。

私は、オンラインのZoom個別相談で無形の高単価商品を累計【6億円】売り上げ、主に法人や個人の販売に関する課題=「成約率UP」を支援をするコンサルタントとして活動している井上亮太(いのうえ・りょうた)です。

またオンラインだけでなく、対面販売のリアルでも1億円以上売り上げている実績もあります。

ただし、最初から上手く行った訳ではなく、元々はダメダメ営業マンでした。

この記事では

●成約率を「2倍」にしたい
●オンラインの「個別相談」販売数を増やしたい
●高単価商品を「売るコツ」を知りたい
●担当者による「成約率」のバラつきを改善したい
●毎月安定して「継続的」に売上を上げる営業の仕組み化をしたい

上記に当てはまる方に向けて書いています。

1つでも当てはまった方は、絶対何かしらのヒントがあるはずです。

ぜひ最後まで見てください。



■1、自己紹介

改めまして、井上亮太です。

現在の仕事は、

成約率を高める、営業マン育成講師
■講座・スクールビジネスの営業仕組み構築
■オンライン商談、個別相談売上UPコーチ
営業戦略から仕組み化〜営業チーム構築支援
セミナー集客から成約までのトータルサポート

など、営業の仕組み作りに特化したコンサルティングを提供しています。

これまでの実績として、手前味噌ですが・・・。

<<クライアントの実績>>
■3日の指導で3ヶ月で2000万販売した営業マンを育成
■クライアント企業の営業チーム成約率を平均30%以上改善
■成約率を2倍以上に改善する営業プロセスの構築


<<私個人の実績>>
■無形高単価商材、累計6億円の販売実績
■リアル販売1億円以上の実績
■200万以上の商材を単月成約80~100%を記録

これらを通じて、多くの方の「売れる仕組みづくり」を支援してきました。

ただ、この実績だけ見ると

「めちゃくちゃ出来る営業マンやん!」

と思うかもしれませんが・・・。

もともとは、どこにでもいる普通の営業マンでした。

いや今思い返せば、普通以下のダメダメ営業マンでした。

失敗や苦労を思い返せば、冷や汗を流す事も多々ある営業マン人生でしたが、、、

「売れる営業のコツ」や「売れる営業の仕組みとは何か?」を知り、それらを実践したら驚くほどバンバン売れるようになったのです。

今回は、私がどのように「【億】を売れる営業マンになったのか?」個人としてだけでなく、営業チーム全体「どうやって【億】を売れ続けるチームや組織を作ったのか?」

その「真実のストーリー」を人生で初めて、ここでお話ししたいと思います。


■2、これまでのストーリー

▽「生まれ幼少期」

私は、田舎である新潟県南魚沼郡(にいがたけん・みなみうおぬまぐん)で生まれ、生後すぐに埼玉県大宮市(さいたまけん・おおみやし)へ引っ越しました。

母と二人、焼き鳥屋の2階で暮らしながらのスタートでしたが、生活は決して楽なものではありませんでした。

むしろ、欲しいものは普段なかなか買ってもらえず、生活レベルは普通の家庭より貧乏でした。

3歳の私。

▽「祖父の会社倒産と、家族の苦境」

その後、再び新潟に戻った私たちは、自然に囲まれた祖父母の家で暮らす事になりました。

裏庭には広い田んぼと池があり、池に泳ぐたくさんの鯉を見るのが私の日課でした。

ですが、幸せだった日々は長く続きません。

なんと・・・。

小学1年生の時、大好きだった祖父の建設会社が突然「倒産」したのです。

幼い子供ながらに、大変ショックな出来事でした。

家や土地、田んぼをすべて失い、残ったのは「3,000万円の借金」とバラバラになった家族でした。

この出来事から母と私は隣町の古い団地に引っ越し、生活を再スタートすることになったのです。

▽「学生時代(小学生〜大学生)」

小学生時代の私

田舎の団地暮らしは、決して順風満帆ではありませんでした。

母は、朝から工場、夜はスナックで働き、私にとって「おふくろの味」は、ほっともっとの唐揚げ弁当。それが当たり前の毎日でした。

当時の私は、幼い子供ながらに「欲しいものをお願いしても無駄!」という現実を早々に理解していました。

周囲の友達が新しいゲームやおもちゃを持っている中、私は何も言わない性格になっていきました。

でも、そんな中でも母が一番大切にしてくれたのは「笑顔」でした。

どれだけ疲れていても、「ごめんね。。。」と謝る母の姿を見て、子供ながらに「自分がもっと頑張らなきゃ」と思ったのを覚えています。

▽田舎の中学で鍛えられる日々

その後、私たちはさらに小さな田舎町に移り住み、私は地元の中学に進学しました。

新しい環境で、最初に飛び込んだのはバスケ部。

ですが、当日太っていた私は練習についていくのがやっとで、同期からは「トン(豚)」とあだ名される日々…。

それでも「負けたくない」という気持ちで、必死に練習を重ねました。

シュートが入らない時、体力が足りず倒れ込む時、何度も諦めそうになりましたが、厳しい先生の言葉が私を支えました。

「お前がやると決めたんだろ。それなら、やり切れ。」

バスケットボール部時代(画像は過酷な練習で痩せた姿です)

その言葉を胸に刻み、2年間の努力の末、ついにスタメンの座を勝ち取ることができました。

試合で初めてシュートを決めた瞬間、チームメイトが駆け寄り、みんなで抱き合ったあの感覚は今でも忘れられません。

▽感動と笑いがあった幼少期から学んだこと

振り返れば、私の幼少期は決して華やかではありませんでした。

でも、苦しい中にも少なからず、ほんの少しでもいいから「努力すれば報われる」という教訓があり、母や周囲の人々からたくさんの愛をもらいました。

いくつもの困難を乗り越えたからこそ、今の自分があります。

「笑顔を忘れないでいること」
「どんなに辛くても諦めないこと」

この2つは、幼少期の経験から私が学び、今でも大切にしている信念です

▽「専門学校での迷いと【合コン】での転機」

高校を卒業後、私は整備士を目指して新潟の専門学校に進学しました。

幼少期から車が好きで、「手に職をつけたい」という思いで選んだ道でした。

ところが、潔癖症だった私は、整備士の現場がどうしても苦手で…。油がつくたびに手を洗い、汚れた服を見るたびに気分が沈む日々。

「これは……向いてないかもしれない。。。」

そんな迷いを抱えた中で迎えた、ある日の合コン。

友人から「頼む、場を盛り上げてくれ!」と頼まれた私は、得意のトーク力をフル稼働させました。

相手の反応を見ながら話題を変え、笑いを引き出し、みんなが楽しめる雰囲気を作る。

その日の帰り道、私はふと思いました。

「俺、こういうの得意かも!?」

これが、自分の適性に気付いた瞬間でした。

▽「青春時代から得た教訓」

振り返れば、私の青春時代は試行錯誤の連続でした。

整備士の夢で感じた「自分に合わないものへの気付き」。

合コンで発見した「自分の適性」。

すべてがつながり、今の私を形作る大切な経験となっています。

笑いと苦労の入り混じった青春時代は、人生においての“宝の地図”だったのだと思います。

▽営業職への挑戦と成長

専門学校で整備士の道を諦めた私は、新しい挑戦を求めていました。

そんな時に目に留まったのが「営業職」という仕事。

対面営業マン時代

最初に魅力を感じたのは、シンプルな仕組み。

「成果に応じて報酬が変わる」という点でした。

努力した分だけ評価される世界に、自分の可能性を試したいと思ったのです。

最初に勤めたのは、大手メーカーのカーディーラー。

「車が好きだから楽しそう!」と軽い気持ちで始めたのですが、実際には想像以上に大変な仕事でした。

入社直後に待ち受けていたのは、厳しい現実。。。

飛び込み営業で門前払いをくらう日々、パンフレットを受け取ってもらうだけで喜ぶ自分…。

苦悩する日々

ある日、訪問先でお客様に「また営業?いい加減にしてよ!!!」と一喝され、その場で汗だくになった事もありました。

帰り道、真っ赤な顔でパンフレットを抱えながら、「俺、本当にこれで大丈夫なのかな?」とリアルにつぶやいたのを今でも覚えています。

▽「目からウロコが落ちた上司の”ある一言”」

そんな中、私を救ってくれたのが当時の上司、Sさん。

Sさんは一見厳しい人でしたが、営業成績は常にトップ。

私が落ち込んでいると、そっと一言こう言ってくれました。

「お前、自分が売りたいものじゃなくて、相手が欲しいものを考えてるか?

その瞬間、目からウロコが落ちた気がしました。

無我夢中で「営業とは?」何かを日々学ぶ時期

営業は「物を売る」仕事ではなく、「お客様のニーズを引き出して、それを叶える提案をする仕事」だということに気づかされたのです。

▽「失敗を糧に、成績が急上昇」

それからの私は、お客様との会話を見直すことにしました。

商品を説明するのではなく、「何に困っているのか?」「どんな車が必要なのか?」をじっくりヒアリングするようにしたのです。

すると、驚くほどお客様の反応が変わり始めました。

「この営業さん、話を聞いてくれるね」と言われることが増え、提案に対する信頼感も高まっていきました。

さらに3年目には、営業エリアとターゲット層の見直しに取り組みました。

若者が多い地域ではなく、家族連れや年配層、法人が多い地域に絞って訪問を重ねたところ、契約率が飛躍的に向上。

お客様のライフスタイルに合った提案を心がけた結果、累計444台を販売し、売上8,880万円を達成しました。

売れる営業とは何か?に少しづつ気づき始めた時代

▽「1人で戦う営業マン時代、正直・・・気づけば限界を感じていた。」

しかし、どれだけ自分だけ頑張ってもチーム全体での売上が安定しませんでした。

「俺が頑張らなきゃ、売れない」
「目標が達成できず、毎月未達になる」

そんな状態が続き、気づけば心も体も限界に…。

自分だけ必死に頑張ってもダメだ。。。

またもや営業とは何か?にもがき苦しむ

■3、独立後の挑戦と失敗からの学び

カーディーラー時代に個人競技としては成果を出していた私は、「もっと自分の可能性を広げたい」と考え、ついに独立を決意しました。

美容機器の販売や投資スクールのセールス代行、さらには居酒屋経営。独立後の私は、さまざまな分野で挑戦を続けました。

セミナー講師時代

ですが、最初の数年間は苦労の連続でした。

■美容機器販売

最初に挑戦したのは、美容機器やスキンケア商品の販売。

高額商品を扱うことの難しさを初めて経験しました。

特に直面したのが、「商品の認知度」や「価格」に対する顧客の抵抗感でした。

そのたびに「もっと価値を伝える方法を工夫しなければ」と試行錯誤を重ねましたが、うまくいかない日々が続きました。

■投資スクールのセールス代行

次に取り組んだのは、投資スクールのセールス代行。

この仕事では、初めて「無形商材」を販売することに挑戦しました。

お客様が手に取れる商品ではない分、「将来の可能性」をどう伝えるか?がカギでした。

成功もありましたが、初期の頃は「話が難しすぎる」「不安を感じる」という理由で断られることも多く、挫折を味わいました。

▽失敗の連続が教えてくれたこと

独立後の数年間は、いわば「挑戦と失敗の繰り返し」。

居酒屋運営も含め、さまざまな挑戦をしましたが、どれもうまくいかず、「自分の限界」を痛感する日々でした。

そんな中で気付いたのは、「すべてを一人で抱え込むのは無理」ということ

当時の私は、「誰にも頼れない」「すべて自分でやらなければならない」と思い込み、周囲に助けを求めることができませんでした。

▽転機となった講座との出会い

そんな私の考え方を変えてくれたのが、とある講座との出会いでした。

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「成功する仕組みには、再現性がある」
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その一言に衝撃を受けた私は、自分の営業プロセスを根本から見直しました。

そこから学んだのは、誰にでも成果を出せるようにする「仕組み化」の重要性です。

250名規模の経営者コミュニティで、セールス講師としてセミナー開催

■お客様の悩みを引き出すための質問設計
■価格に見合う価値を伝える提案手法
■購入後のフォローアップで信頼を築くプロセス

これらを営業活動に取り入れたことで、売上が飛躍的に伸び始めました。

▽累計6億円の販売実績を支えた“仕組み化”

その後、美容機器や投資スクールの販売経験を活かし、オンラインセールスに転向しました。

今までの経験をバネにして、一人で頑張るだけではなく「再現性の高い仕組み」を作り、チーム全体で成果を出す必要性を感じていました。

挑戦から学んだ教訓

その時の気づきは、「売るのは営業マンではなく、仕組みだ」という考え方です。

営業は、

売れる営業マンのトークスクリプトを”見える化”する
成約率を可視化し、原因を数値で分析する
誰がやっても成果が出せる標準のフローを作る

これらを実現することで、「1人のスーパーマン」ではなく「チーム全体が売れる仕組み」が作れることを知りました。

▽「累計6億円を売り上げた3つのポイント」

仕組みを作り始めてから、私の営業成績は大きく変わりました。

その結果、2022年12月までに120万円の無形商材を186件販売し、2023年からは216万円の商品を98件成約させることに成功しました。

■これまでの累計売上は6億円超

これを実現したポイントは、以下の3つです。

⇒① 「誰でも売れるトークスクリプトを作成」

営業の場面では、“その場のひらめき”に頼るのではなく、再現性の高いトークスクリプトを作るようにしました。

■使う言葉を1つ1つ改善
■お客様の反応が悪い言葉を削り、反応が良い言葉を残す
■伝える順番を精査する

これを繰り返し、A/Bテストを行うようにスクリプトを改善していきました。

⇒② 「成約率の可視化でPDCAを回す」

多くの営業マンは、成約率を自覚している人が少ないのが現実です。(もしくは軽視している。)

しかし、私は成約率を週ごと、月ごとに計測し、なぜ成約したのか、なぜ失注したのかをチームで振り返り分析し続けました。

これにより、2022年の成約率15~20%→2023年には成約率35%まで改善させ年間売上を数千万〜億単位の業績向上に繋がるPDCA改善が出来ました。

⇒③ 「売れた後のリピートを仕組み化」

営業は”1回の契約”がゴールではありません。

リピートが起こる仕組みを作りリピート率30%の向上を実現しました。

▽「今の思考や価値観」

今では、平均単価200万円を超えるような無形高額商品を人に直接会わずオンラインだけで累計6億円以上販売してきましたが・・・。

元々は、営業という仕事をしようとは一切思わなかった私です。

しかし・・・。

営業職ほど、自分を磨くことができて、
目の前のお客様を、感動させられて、
しかも自分も、成長していきながら、
その成長が、そのまま収入につながる仕事はない。

その事実に、気づいてしまったんです。

そんな中、ある言葉に出逢います。

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『営業とは、目の前の人の【問題解決】と【願望実現か】のお手伝いを、扱っている商品サービスを使って行うものである。』
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もうね、震えました。。。

売れる人は「こうやって考えるんだ!」ということに気づけた瞬間です。

売れる人は、売るものが違っても売れるんだ。ということですね。

そして、私の大好きな研修講師(スーパーセラー)の方が言っておられました。

大ヒット映画、ドラマ、スポーツ選手(今だと大谷翔平選手とか?)を見て感動してもいいと思う。

でもさ、他人の人生に感動するよりも、自分の人生に感動する生き方をしないか?

「人生のグラウンドに立たないか?」

当時24歳?くらいの私には、ドンピシャで刺さりました。

この言葉を聞いて以来、

「人生のグラウンドって、なんだ?」と考えるようになったんです。というか常に考えながら生きています。

あなたにも、ご自身のグランドに立ってほしい。
そして、全力でプレーしてほしい。楽しんでほしい。

営業は、人生を変えます。

その人生を変えるための「ノウハウ」を届けたい。

これを読んでいる方の「人生を変えるお手伝い」ができれば最高です。

▽「営業の仕組み化で広げる未来」

現在、私は営業支援コンサルタントとして活動しています。

今、私の果たすべき使命。

それは・・・。

「誰でも高い成約率を出し、売れるチームを世の中に輩出していく」

そして私が、セミナーや講座で皆さんに手に入れて頂きたい結果は

「セールスが苦手でも、専門知識がなくても、驚くほど簡単に結果が出せるセールスメソッドを提供し

メソッドを通じて、セールスパーソンやチーム全体で売れる力を育て、ワクワク(お金・時間・場所・人)を手に入れていただく。」

です。

現に、私も皆様と一緒に、学ばさせて頂きながら
日々クライアントと共にワクワクを手に入れる事に取り組んでいます。

こんな感じでクライアントと共に日々成果に繋がるPDCAを回しています。

営業は、単なる「物を売る」仕事ではありません。

顧客の課題を解決し、未来を切り拓くための「価値創造」の仕事です。

私が目指すのは、「営業=売る仕事」という常識を変え、営業を仕組み化することで、誰でも安定して成果を出せる未来を実現することです。

営業マンの感覚やカンではなく、誰がやっても再現できる”仕組み”を作ることが、ビジネスを加速させるカギだと考えています。

もしこの記事を読んで、

■「成約率を高めて売上を安定させたい」
■「社長やTOP営業マンに依存する属人型の営業から脱却したい」
■「勝てる営業の仕組みを作りたい」

と感じた方は、ぜひ一度ご相談ください。

きっと、少なからず私の今までの経験がお役に立てると思います。

まだ見ぬあなた様に、お会いできる事心から楽しみにしております。

ワクワクした人生を共に歩みましょう。

DMでも気軽にご相談をお待ちしております!

また日々、X(Twitter)でも情報発信しておりますので、見に来て頂けると嬉しいです。

<公式X(Twitter)>
https://twitter.com/ryo_inoue

長文になりましたが最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。
心より感謝申し上げます。

これからどうぞよろしくお願いします。

井上亮太(いのうえ・りょうた)

■PS.
今なら下記サイトより井上流仕組み化営業「しゃべらない営業術」解説動画をプレゼントしています。

ご興味があれば、ぜひ受け取ってください。


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