第二章:中国古代文献に見る①
*この記事は、約10年ほど前に父が書いた全6章で構成されている原稿を順番に公開しています。
北東アジア諸国の地理上の配置
孤高の民間歴史研究家に、山形明郷氏と言う人がいた。
彼は、中国「正史」二十四史と清史稿四十八冊五百二十九巻を含め、総数二百八十九冊三千六百六十八巻に加え、これらの注釈本や地理系の文献などの大量の中国原書を収集し、かつ気の遠くなるような時間と根気をもってこれらを読破し、本章で紹介する古代北東アジアの国々の正しい位置関係をつきとめた。
白川静氏が、殷・周初の甲骨文字、卜辞、金石文の研究によって、「説文解字」の誤りを正す発表を行った時、権威ある漢学の大先生に「馬鹿者」呼ばわりされたと聞く。しかし、多くの研究者による甲骨文字、卜辞、金石文の研究が進むにつれ、白川氏の説の正しさが明白となり、やがて2004年(平成十六年)、文化勲章を受章する所となった。
山形氏の研究成果は、白川氏のそれに匹敵するものと、言っても良いかも知れない。
山形氏が研究成果を公に発表したのは、一九九五年「邪馬台国論争終結宣言」であった。この研究結果を読んだ、中国吉林大学教授であった林昌培氏の論評とその取材文が、平成二十二年に出版された氏の絶筆本「卑弥呼の正体」に掲載されていたので、その一部を以下に紹介する。
この様に、文献研究・遺跡の学術研究からも、定説とは違う東アジアの古代が浮かび上がって来ていたのである。
本章は、以下の各節で、古代朝鮮、高句麗、百済、新羅、前三韓の在りかを、それぞれ山形氏が得た資料文献の一部と結論を紹介し、併せて、日本書紀の内容を加味して、古代の人たちが認識し記録していた、北東アジアの国々の正しい位置関係を、確認して行こうとするものである。
一、東北工程騒動
二○○○年以降中国では、同国東北地方の歴史検証活動が活発に行われていて、この活動を東北工程と呼んでいる。黒竜江省、遼寧省など、いわゆる満州地域の歴史検証である。この歴史検証によって、古代高句麗が前漢時代の玄莬郡内の一県として出現している事が、高句麗の末裔を自任する韓国を痛く怒らせている由である。つまり、東北工程においては、高句麗は中国東北地方の一県で、そこに展開した人々の中国国内史と言う位置づけで語られているのである。
二○○五年、明治時代の東洋史の権威であった那珂通世氏の研究によって成立し、日本に定着した事実検証が不十分な通説を根拠に、中国は朝鮮の歴史を歪曲し、半島に展開していた高句麗を、中国国内史に取り込むという暴挙を行っていると、韓国が国会で取り上げ、激しく中国に抗議していると言う騒動が発生していた。
日本にても一九九五年、古代高句麗の存在した地域は通説とは違って、鴨緑江の北西部であったと発表した民間歴史研究家が居た。既に鬼籍に入っているが、その研究者は中国古典に幅広く当たり、明治・大正時代に通説として定着した那珂通世氏の説が、間違いである事を論証していた。
図らずもその論証の結果は、現在の朝鮮半島内にあった古代国家郡の地理上の位置関係が、日本書紀に記されている半島諸国の位置関係に整合するものでもあった。本人の意思とは関係なく、日本書紀の歴史書としての真実性を高めるものとなっていた。この民間歴史研究家の名前は、本章冒頭で紹介した山形明郷氏である。
彼の研究結果によれば、古代朝鮮国である箕氏朝鮮は中国東北地方に存在した国家である。紀元前3世紀頃には戦国時代の燕に国土の半分以上を占領された後、遼河の支流である太子河の北、鴨緑江の北西の、卒本地方と呼ばれる地域に存在したとの事である。強調されるべきは現在の朝鮮半島にあった国ではないという事である。
この箕氏朝鮮は、前漢が王朝を立てた後におこなった重臣の粛清から逃れて、箕氏朝鮮の家来となった衛氏によって、後に王権を簒奪されている。衛氏朝鮮の版図は箕氏朝鮮とほぼ同じで、遼河の東、卒本地方を中心とする地域であった。前漢の武帝が紀元前一○八年に衛氏朝鮮を攻め滅ぼし、この地に楽浪郡、真番郡、臨屯郡、玄莬郡を設けて統治した。後漢時代には真番郡、臨屯郡、玄莬郡の各郡は楽浪郡に一括され、遼寧省東部、黒竜江省南部地域全体が楽浪郡と呼ばれるようになっていた。
日本書紀は、崇神天皇六十五年(紀元前三十一年、中国の前漢時代の頃)の項に、任那の位置を筑紫から海を越え北に二千余里、鶏林(後の新羅)の西南にあると記している。日本書紀の記す任那の位置は、鴨緑江の黄海河口域東部から広がる現在の朝鮮半島北西部の平野地帯となる。明治時代の東洋史の権威である那珂通世氏の説を正しいとする人々によって、日本書紀のこの記述は全くの作り話として扱われていた。
しかし、最近の研究結果が導き出した、古代朝鮮は中国東北地方に在ったと言う説は、日本書紀に記された任那の位置を、歴史上の事実であると認識しても矛盾を生じさせないものとなった。山形明郷氏の研究結果によれば、中国側歴史書においても、歴代の王朝の中で、現在の朝鮮半島に軍勢を送り込み、これを征服した王朝は、元王朝と清王朝だけと言う事である。前漢の武帝が軍勢を派遣し滅ぼした朝鮮は、中国東北地方に存在した衛氏朝鮮である。
吉林大学林教授の見解も、「唐は鴨緑江を越えて韓半島深く進行していないと判明している」と、その研究成果を基に断言している。これは、天智天皇下で唐と戦った白村江は、朝鮮半島中央地域沿岸ではなく、鴨緑江河口域周辺にあったことを示唆している。ともあれ、古代北東アジアの国々の地理上の位置関係に関する限り、古代文献との矛盾の多い従来の定説は見直しが必要である。
図1説の方が、定説よりも日本書紀と中国古典に整合し矛盾なく受け入れられる、正しい説と考えられる。従来の定説構成の功労者、那珂通世氏は、古代朝鮮国が十四世紀末に成立した李氏朝鮮と同じように、朝鮮半島に存在した国だと考えて、それを前提に、限られた古代文献解釈を以って地理的位置関係の推定を懸命に行った。日本書紀と中国古代文献の中の、氏の推論に反する記述を、誤記ないし根拠のない伝聞の記録と断定し、自己の東アジア古代史を紡ぎ上げたのであろう。
従来の定説に則り教えられた、日本書紀の記す朝鮮半島関係記述は、当時の編者の政治的作り話であると言う考え方は、山形氏や中国の東北工程が明らかにした研究結果等によって、完全に覆るものとなった。
以下の各節にて、山形氏の論考を要約引用して、それぞれの国の正しい地理上の位置関係を確認して行こう。
つづく……
*父が自費出版をした1冊目の本*