2月号に載らなかったエピソード
実践みんなの特別支援教育の2月号の原稿に書いたけど、
字数の関係でカットされたエピソードです。
この回は、
通常級に在籍していた女の子の事例を中心にして書いたのですが、
書いている時に強烈に思い出したケースがあります。
当時、私は通常級担任で、
「学びにくさ」について、全く知識がない状態でした。
この「今にして思えば」という反省は枚挙にいとまがないのですが、
あの時の自分の対応が本当に申し訳なくて。。。
もしかして同じ思いをしている子が今もいるかもしれないと思い、
書き起こしたのですが、掲載されなかったので、
ここで紹介したいと思います。
そんなAさんの姿を見ながら、かつて通常学級時代に担任していたBさんのことを思い出していた。
BさんもAさんと同様に、みんなのお姉さん的な存在として慕われていた。私がヤンチャな男子の喧嘩の仲裁をしている横で、危なくないように他の子が近づかないように止めたり、散らかった筆箱やノートを拾って片付けたりしてくれる、そんな子だった。「彼女に頼んでおけば大丈夫」と担任でありながらずいぶん甘えていた部分もあるような存在だった。
そんなBさんもまた、算数の計算で大きくつまづいていた。当時はまだ私も若かったが、1年生担任は何度かしていて、「算数苦手」という子も何人も見てきたが、Bさんは初めて出会うタイプだった。ブロックで操作をすればできるが、それでは時間がかかりすぎる。しかし、8+3のような問題でも、さっと11が出てこないのだ。「あと2で10じゃん?だから3から2をあげたらいいんだよ」と言ってみたり、さくらんぼの図を書いたりしてみても、ピンとこないのだ。さくらんぼの図は綺麗にかけるのに、3を幾つと幾つに分ければいいのかが、さっぱり浮かばない、そんな感じだった。
そんな彼女に戸惑いつつも、私は「今まで担任した子にしてきた指導」をただ繰り返していた。真面目なBさんは、私が横について説明すると、一生懸命その通りに作業して、なんとか正解できる。しかし、1人では解ききれない。そんなことが続いていた。
「じゃあ、丸を書いてやってみよう」苦し紛れにそんなことを提案した。8+3なら8個丸を書いて、その続きに3個書いて、それから数えればいいと。真面目にBさんはその通りにやってみる。「先生、これならできる!」と彼女の顔が明るくなる。よかった。これでいい。引き算も丸を書いてから引く数だけバッテンをしていって残りを数える方法なら行けそうだと、嬉しかった。
今思い出しても、申し訳ない。当時の自分を引っ叩きたいくらいの気分になる。
それからというもの、真面目なBさんのドリルやプリントは、丸で埋め尽くされていく。「これならできる」と嬉しかったのは本当に一時で、友達の何倍も時間がかかるのと、丸の数が増えればどうしても数え間違ってしてしまうのが現実だった。
それでも、「丸を書く」しか、Bさんに方法を手渡してあげられなかった私は、苦しそうに丸を書き続ける彼女の姿を「これでよかったんだ」「慣れていけば暗算もできるようになる」「だってこんな簡単なこと、Bさんができないはずないし」とスルーした。最低・・。
「どうして計算だけあんなに苦手なんでしょうね」という保護者からの相談にも、「指を使うことは悪いことではない」と同じようなテンションで「丸を書いたらできるなら、全く問題ないですよ」と言っていた。
今思えば、ツッコミどころしかない。
せめて、書くならタス数だけでもいいのに、それすら思い浮かばないほど、私の方に知識がなかった。
Bさんの真面目さや丁寧さを思えば、数えたしでも数のバーでも、きっとすぐに使えるようになったはずなのに、「丸を書く」という時間がかかる上に間違いやすい方法しか提案できなかったことで、きっと彼女を追い詰めた。「しっかり者のBさんならこのくらいきっといつかできるようになる」という謎の言い訳をして、私は逃げたのだ。
困っている子に「方法の提案」は絶対に必要。
でも、「その方法にかかるコスト」の検討も重要。
「これならできる」が
・継続できる方法か
・過度の負担になってないか
を考えること、そして、
・複数の手立てを提案して、それを比べて選択する
を保証していくこと。
今もしBさんのいるあの教室に戻れたら、
「これも試してみよう」が言えるのに。
それは叶わない。
だからこそ、同じ思いをする子がいないように
同じ間違いをする先生がいないようにと、
願うばかりです。
ぜひ、掲載されたAさんのケースとあわせて
お読みいただければと思います。
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