「学校のための努力」「自分のための努力」
今年のLD学会で、一番刺さった言葉です。
昨日今日と、神戸で行われたLD学会に参加しました(⌒▽⌒)
お久しぶりの方、初めましての方、
たくさんの方にお声をかけていただいて、
いっぱい刺激を受けた時間になりました(⌒▽⌒)
やっぱり学会は対面が楽しい!!
と、つくづくと噛み締めています。
中でも、初日の午後に参加した、
アクセシビリティ委員会・研究委員会ICTワーキング 企画シンポジウム
学習や研究に関する活動をLD等のある人にとってアクセス可能にするには?
が、本当に良かったです!!
当事者のお二人の大学生、大学院生の方のお話がもう・・・。
色々な子の顔を思い浮かべながら聞いていました。
研究を進めているお二人、
それだけ聞くと、
読み書きの困難を克服した(?)姿のようにどうしても見えてしまいますが、
現在進行形で、研究者として活動する際の情報取得の困難や
日常生活の困難について、とてもわかりやすくお話ししてくださいました。
中でも、
「LD学会にLDの当事者がアクセスしにくい」
というお話は、かなり衝撃でした。
・文字情報過多なHP
・バラバラになっている情報を照らし合わせて行く困難
・読み上げさせて行くにも「当たりをつける」ことが難しく、手間がかかる入力フォーム
・配慮申請のわかりにくさ
などなど(^◇^;)
出る出る(^◇^;)
実際、私も予約を入れる際に
・プログラムの一覧
・タイトルと内容
を行ったり来たりしながら考えるのは結構大変だったので、
「ああこれを読み上げさせながら行き来するのは、
確かに大変だったろうなあ」と思いました。
また、「都道府県の一覧から選ぶのも、上から全部読みあげさせて行かなくてはいけないので、とても手間がかかって大変」
というお話には、
目から鱗でした。
LD学会であればこそ、
誰にとっても情報にアクセスしやすい状態でないと!
きっと今回の彼女達の提言が、今後に生きてくると信じています。
「当事者の目線」の重要性
ですよね。
「これでいいだろう」という判断を、
そこに困難がない人がしてしまうことの危うさに、
自分も気づかずにいたなと、反省仕切りです。
当事者のお二人は、穏やかに、
でも、理路整然と、そうした彼女らが学ぶ際や生活する際の
社会障壁について語ってくださいました。
たくさんの示唆に富むお話の中で、
特に刺さったのが、
タイトルに書いた
「学校のための努力」
「自分のための努力」
という言葉でした。
・学校から求められる「繰り返し書く」学習や提出物
・やってもやっても自分にとって情報を得ることにつながらない課題
・やればやるほど疲弊して、成果も感じられない苦しい時間
・「みんなと同じ」ばかりを求められていた時代
これらを「学校のための努力」という言葉で語ってくださいました。
ドキッとしました。
「学校のための努力」をいくらしても、自分には何も残らない。
それどころか、「自分のための努力」をするエネルギーも残らなくなる。
そんなお話でした。
学校は「頑張る」ことにとても価値を置く場所だと感じます。
もちろん、それ自体は大事なことだと思います。
でも、
・誰のために
・なんのために
が置き去りになって、ただ「頑張る」ことだけを求められ続けたら、
それは「理不尽」そのものですよね。
そして、それに誰も気づけないでいる。
なんなら、「あなたのため」「将来困らないように」
という「善意」でコーティングして、
「頑張る」を求め続ける。
「頑張る」では解決しない課題を抱えていても、
「頑張る」を求める。
確かにそれは、「学校のための努力」だなと。
そして、こんなに辛い努力はないなと、
胸が締め付けられました。
「こうすれば情報が得られる」
「こうすれば自分の力で解決できる」
という手立てを持って、
・知りたいこと
・学びたいこと
・解決したいこと
に向かっていく。
「自分のための努力」
こそが、学ぶ喜びを支えます。
学校が、
「そういうものだから」
「今までそうしてきたから」
「これでみんなできるようになったから」
と、
・誰のために
・なんのために
を考えないまま求めてしまっていないか、
改めて自戒していかなくてはと思いました。
今は、「学校のための努力」しか手立てがなかった時代とは違います。
補い、解決に向かう方法の選択肢は本当に増えています。
「学び方は多様」という価値観が、もっともっと当たり前になってほしい、
そのために自分にできることはなんだろうと、
自問しながら聞いていました。
そして、これも話題に出ました。
「iPadがあれば解決ではない」
まさに!!
そうした機器を
・どこで
・どう使うことが自分に必要か
を探り、身につけていく。
スキルにして行くためには、やはり、「頑張る」が必要です。
ただそれは、「自分のための努力」なんです。
「学校のための努力」でない「頑張る」を
彼女たちはたくさん重ねてきて、
「今」の姿になっておられるのだなと、
胸が熱くなりました。
教えられることばかりの時間でした。
「学校のための努力」を求めていないか、
問い直しつつ、
「自分のための努力」の道筋を、
子ども達と一緒に探していきたいと思います。
本当に貴重な話題提供をしてくださり、
ありがとうございました。
神戸まで来て良かったと、心から思いました(⌒▽⌒)
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