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拝啓、原田亘選手へ

いつものnoteと違って、何のまとまりもない文章になる事を許して欲しい。

自分がサガン鳥栖を応援している中で、誰よりも大好きな選手との別れが来てしまった。

その選手の名前は、原田亘
2022年シーズンから加入し、現在では不動の右SBとして君臨している選手だ。

この度、柏レイソルへの完全移籍が発表された。

遡る事2021年、今治ホームの宮崎戦、今治のサイド攻撃が凄く脅威だった事を覚えている。
そのサイド攻撃を担っていた1人が原田選手だ。

「このSBの人、めっちゃ脅威やな...」
そうは思っていたが、この時はオフに自分が応援するクラブに来るとは思っていなかった。

2021年、所謂「血の涙を流したクリスマス」に原田選手のサガン鳥栖への加入が発表された。

・J3からいきなりJ1へステップアップ
・プロキャリアのスタートがJFL(当時)の苦労人

このストーリー性のある経歴もそうだが

・今治でキャリアをスタートさせた理由
・背番号42の由来(ジャッキー・ロビンソンの話)

これらのエピソードを知り、物凄く興味が湧いた事を今でも覚えている。

余談だが、自分は野球には疎いので、ジャッキー・ロビンソンの功績は全く知らなかった。
彼が付けていた42番という数字が、メジャー各球団で永久欠番になっている所に、彼の功績の偉大さが表れている様に思う。

Jリーグでも背番号に意味を持たせる選手は一定数居るが、原田選手のこのエピソードは、「彼が尊敬する人が由来」という所が、凄く素敵だなと自分は感じた。

2022年シーズンの開幕戦。
原田選手は後半から途中出場した。
J1のデビュー戦は僅か10分少々。
ただ、そつなくプレーする姿を見て「この選手は近い将来、チームの主力になる」と確信した。

実際、次の試合から少しずつ出場機会が増え、第4節で3バックの右CBに抜擢された。

最初の頃は慣れないCBに悪戦苦闘する場面も見受けられた様に思う。
当時の自分は、初めてのJ1挑戦という事もあるし、本職ではないから致し方ない所もあるよな...と思っていた。

ただ、試合後の原田選手のインタビューやSNSの言動からは、常に自分にベクトルを向け、次の試合に向けて淡々と準備する様子が伺えた。

ストイックに、自分が選手として成長するために努力する姿勢に、自分は更に応援したい気持ちが強くなった。

Pコースさんの動画でも、原田選手のストイックな一面に触れられていた。
(柏サポの皆様は、是非ともこの機会に見て頂きたい。本当に、人柄含めて好きになる。)

自分が人生のバイブルにしているSLAM DUNKという漫画で、主人公・桜木花道の成長スピードを新幹線に例える描写がある。

あくまでも個人的な感想だが、この描写を借りるのなら、原田選手の成長スピードも新幹線だ。

学生時代から積み重ねてきた姿勢が、試合を重ねる毎に成長を続ける所に繋がっていたのだろう。
それだけ、原田選手のプレーを見ているのがただただ楽しかった。

この時の安西先生の気持ち、凄く分かる。

試合を重ねる毎に存在感を増していき、2022シーズン後半からは名実共にチームの主力選手となっていた。

ただ、在籍した3シーズンを通して見ると、決して順風満帆にはいかなかった。
リスクを持ってボール運びをするチーム戦術の中で、時には失点に直結する様なミスも見られたのは事実としてあったと思う。

時に誹謗中傷とも取れる心無い批判に晒される事も多く見られた。
応援している選手だからとか関係なく、客観的に見ても必要以上に批判されていた選手だったとも思う(これは原田選手に限らない)。

結果、2023年シーズンの途中にSNSアカウントが削除された。
これは自分もショックだった。
上述の心無い言葉が、原田選手自身にも届いていたのだろう...
(この手の話題は思う所が沢山あるが、ここでは触れない事とする。)

それでも逆境を跳ね除け、このシーズンのホーム京都戦でJ1初ゴール。
そして今年2024年シーズンは3ゴール2アシストと、攻撃面でも数字を残せる様になっていた。

そして遂に、ゲームキャプテンを任されるまでになった。

感慨深い...

現地で観戦した町田戦、幸運にも原田選手のアシストを間近で見る事が出来た。
誰よりも応援していた選手のアシストが嬉しかったのは勿論だが、それ以上に「本当に、頼もしい選手になったな...」と先程の安西先生にも似た感情を抱いた。

その翌週に行われたマリノス戦では、利き足ではない左足でのスーパーゴラッソ。

このゴラッソは、贔屓目抜きで今シーズンの鳥栖で1番のゴラッソだったと思う。

もう一度言うが、確かにこの3年間は順風満帆ではなかった。
それでもJ1という舞台で着実に成長し、チームに欠かせない存在となった原田選手。

ただ、「もうJ1が放っておかないよな...」とある種の不安に駆られてしまった。

そんな不安は、残念な事に的中してしまう事となる...

率直な感想だった。
勿論、色んな感情が寝起きの頭から湧き出たのだが、どうにも整理がつかなかった。

ただ、もう「鳥栖の原田亘」が見れなくなるという事実が嫌だった。
嫌だ、というよりは「これからも鳥栖での活躍を見ていたい」という方が正しいだろうか。

一方で、この報道が出た事で「そら個人残留するに決まってるよな...」と腹を括る事が出来た。

そして、何故かは分からないがこのnoteを書こうと思い、現在に至っている。

noteを書きながら、今回の移籍について考えた。

そうか、柏か...
監督リカルドさんになるんよな...
きっとハマるだろうな...
関根選手とのスタメン争いか...
代表クラスの選手とスタメン争うのか...
そのレベルまで上り詰めたんだな...
柏でも42番を付けるのかな...
...柏、今42番付けてる選手居たっけ?

この3年間を見てきたからか、色んな感情が溢れてきてnoteを書きながら何度も泣きそうになった。

それは、もう「鳥栖の原田亘」が見れなくなる事に対する悲しみだけではない。
まだJ1の舞台で躍動する原田選手を見る事が出来る、という嬉しさもあるからだ。

自分はあくまでも一サポーターでしかない。
どうこうする事も出来ないし、原田選手の決断を尊重して、快く送り出す事が務めだ。

頭では分かっている。
分かってはいる。
心が何度もゴネている。

それでも、最後は快く送り出すのが務めだ。
そうしよう...

...出来なかった。
原田選手のコメントを読むと、込み上げる何かが止まらなかった...

サガン鳥栖に関わるすべての皆さま
この度、柏レイソルへ移籍することになりました。
良い時だけではなく悪いときでも、僕のことを信じて、42番のユニフォームやタオルを買ってスタジアムに応援にきてくださったり、僕の名前を掲げてくれるファンの皆さんのおかげで、ここまで頑張ることができました。
また、健太さん、木谷さんをはじめとしたコーチ・スタッフの皆さんのおかげで成長することができました。ありがとうございます。
ゲームキャプテンを任せていただいて、1年間通して試合に出場し、このチームと来年も戦うべきだという意見もあるかと思います。
しかし、自分のサッカー人生を考えたときに、さらなる成長のために移籍を決断しました。
3年間応援していただき、ありがとうございました。

引用:sagan-tosu.net/news/p/36741/

最後まで、原田選手らしいなって...

成長のためか...
長くないサッカー人生を考えたら、少しでも長く上位カテゴリーでプレーしたいよな...

でも、スタッフやチームメイト、サポーターへの感謝の言葉が、何よりも原田選手の良さだよな...

これでやっと、自分の気持ちに整理がついた。



3年間ありがとう、原田亘。
人柄も含めて、「応援できて本当に良かった!」と心の底から思えた選手は初めてだった。
まだまだ成長を続ける原田選手のプレーを見ていたかった...
ただ、原田選手なら柏に行っても活躍出来ると信じている。
これからも、ストイックに、心のままに駆け抜けて欲しい。

このnoteが原田選手本人に届く事は、恐らく無いと思う。
ただ、原田選手の事を全力で応援していた人達が沢山いるという事も含めて、記録として残したい。



最後に余談。
#亘を守る会 」をはじめ、原田選手推しの皆様とやり取り出来た時間は本当に楽しかったです。

そして数々の悪ノリに乗っかっていただき、本当にありがとうございました。

クラブは変わってしまいましたが、「 #亘を守る会 」の本来の目的である「原田選手の活躍を見守る事」が、これからの使命なのかなと思っています。

そして、柏サポーターの皆様へ。
どうか、原田選手の事をよろしくお願いします。
本当に、応援したくなる選手だと思うので、柏で愛される事を願っています。

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