コンプレックスの肉塊
私は”コンプレックスの塊”である。
様々なコンプレックスを抱え、そこから目を背けるように現実逃避した10代、20代を過ごし、そしてその体は実に醜き”肉の塊”へと変貌を遂げ、それはまさに”コンプレックスの肉塊”と呼称するにふさわしいほどお粗末な生き方と言ってもいいだろう。
突然の”告白”
上記のとおり、私は人生に失敗した醜き肉塊でございます。
例えばどんなコンプレックスがあるの?となった際に思い付くのが…
・運動コンプレックス
・勉強(学歴)コンプレックス
主にこの2点が挙げられます。
運動をしてこなかった→膨れ上がったお腹
勉強をしてこなかった→人様に話せないほどのお粗末な偏差値
それらはまぁ…実にひどいものです。
例えばその”知能の無さ”というのは”語彙力の無さ”として文面の表面にも現れているし、毎度稚拙な発言を繰り返し、その度に周囲の人からは笑われて過ごしてきた人生だと自分でそう思っています。
そして…その悪しき習慣を断ち切るため、毎日自分なりに必死で生きている…といった感じです。
例えば”朝活”
毎朝5時起床(出勤日・公休日問わず)
それから約2時間ほど勉強をして、その後ウォーキング(ランニング)へと出掛け、体を動かし汗をかいている。
その朝活を知った他者は言う。
「いやー素晴らしいです!自分も見習わないと!」
しかし、その”褒め言葉”を受けて、それを真に受けることもあれば、逆に自己肯定感が下がってしまうこともしばしば存在する(褒め言葉を”単なるお世辞”だと捉えてしまうことも)
褒められたのに自己肯定感が下がる?
それは何故?と言えば「今更どれだけ運動や勉強をしても10代の時にサボったという”事実”は決して消えることはないから」なのですね。
つまり私は”猛烈に過去を悔やんでいる”ということ。
なので「今更運動しても勉強しても無駄」だという”呪縛”から逃れられないのであれば、せめて”人間関係は変化させよう”と思ったわけです。
ここで突如出てきた人間関係のリセット…
付き合う人を変化させるということですね。
(ちなみに以前の人間関係が嫌になったというわけではありません【ここは強調しときます】それぞれの道を進んだ結果、お互いの話題が噛み合わなくなってきたから…という意味での”リセット”です)
そこで自分自身の意識も”変化させよう”という魂胆もあります。
そしてこのnoteを書き連ねるということもその自己成長の一環としての作業。
あくまで傾向として「文章を書ける人」というのは総じてそこに知性が備わっている可能性は高い…といった自分の仮説から選択した結果です。
心掛けていることは主に2点。
”自分の気持ちに正直な文章”を心掛けること。
”思う存分に想いを書き連ねる”こと
”自分自身の姿勢”に対して他者は関心を抱いたり、またその逆として興味を失うこともあるだろうし、自分なりにちょっとした心理テクニックを駆使しながらこうして文章を書いている…というわけです。
もちろん、突如noteを書いたところで「自身の語彙力の無さ」が突然消えることはないし、それでも何かしら書き続けていけば”それなりの成長”は見込めるものだとは思っています。
なのでこれからも「自分が抱いた想いの言語化」は意識していきたいですね。
そして…いつの日にか…”肉塊コンプレックス”を解消できる日が来てくれることを望むのみです。