真面目で意識の高い人になりたかった...のだと思う今日この頃

さて、世間は3連休真っ只中。
各自どのように過ごされているのでしょうか?

私?
はい、もちろんすべて出勤です(3連勤)

仕事をしながら生き甲斐を感じている日々です。

時には自らが積極的に動いたり、また時には愚痴を聞いてあげたり…

基本的には仕事に染まった生き方をしているのだと思います。

そこで思うことがある。
「あなたってそんなに仕事熱心な人だったっけ?」ということ。

というのも私は元々、そんなに労働への意識が高かったわけではなく、どちらかというと遊びメインで考えていたというか、休みの日の暮らし方等常々遊ぶことだけを考えて日々を謳歌していたと思います。

「次の休みは何しようか?あっ、カラオケに行って採点でもしよう。そして定食屋でご飯をおかわりしながら腹一杯の食事をしよう。いやいや…ラーメンも食べたいな。後はアニメを見よう。そして寝よう」

そんな感じの休みメインに関することでその脳は意志決定をしながら動き続けていたと思います。

それがなぜ…
なぜ今のような仕事最優先のまるで社畜のような人生を歩んでいるのだろう?

もっとまったりとした生活を夢見ていたのではないだろうか?

そしてその意思の向かう先は…かつてのセカイ。

今から5年前、10年前…
その意識は過去のセカイを見つめることが多くなってきた。

「あの頃は楽しい生活をしていたなぁ… こんな私にも仲間がいて、いつもくだらない話題で盛り上がっていたっけ」

就寝中に過去のセカイが夢となって現れてくることがあり、深夜突然に目を覚ます。

そして”イマ”を見つめる…

気がつけばかつての仲間とは疎遠となり、まるで私一人だけが違う人生を進んでいるようなそんな感覚にふと陥る。

そこで思う。
「もしかして…辛いのかい?」
「あの頃のような楽しい日々に戻りたいのかい?」
「要は今の生活から逃げ出してしまいたいのかい?」

うーむ、どうだろう。

確かに遊び人だったかつての生活の充実度は高かった。
しかし、心の奥底ではどこかで「毎日遊んでばかりいていいのか?」と思っていたのかもしれない。

危機感を忠告する心の声にずっと無視をし続けて遊んでいただけではないのか?と自身に対しても懐疑的に捉えるようにもなった。

すると5年前の7月。
その時に起こった大雨によりそれまでの日常パターンは崩れてしまう。

そのまま”かつて自分がいた場所”と強制的にお別れせざるを得ない状況へと追い込まれたのであった。

そこからは…自分を見つめ直す旅のような日々を過ごした。

毎日必死に運動しましたよ。
それこそ他の人が仕事に行ったり学校に行ったり遊んでいたり、そんな時でもひたすら一人で意識改革の日々…

そうした日々を過ごしている内に「本当になりたかった自分」という姿を思い出したわけです。

私は本来、頭の良い立派な人になりたかったのだ…というかつての”夢”を…

私の名前は父親が「将来賢い人に育ってほしい」とそう願って付けてくれたことも…

そこからは意識が”そちら側”へと向いていった。

勉強に励んだり運動したり、かつての遊ぶだけの日々を過ごしていた姿が嘘のような人間へ変貌しつつ…

そして…仕事最優先の意識高いマンの完成である。

それからは毎日労働に全力を注ぎ、仕事が終わった後には毎回死にそうな顔をして天を仰いでいる…その繰り返し。

「癒しをくれ!」とかつての私が大好きだった”アニメ”を眺めながら…

あっ、ちなみにアニメは今でも好きです。
やっぱりアニメがない人生はあり得ないし、ここまで生きてこられたのはアニメがあったからだと思うし、過去について否定はしたくないため、全力でその時代も肯定している。

そのような”イマ”と”過去”を共に肯定しながらこれからの”未来”に向かって一歩一歩歩んでいる。

今後どうなるのか、自分でも予測がつかない。

でも楽しい未来を望んでいますね。

”大好きな気持ち”に正直で笑い合えるそんな空間を…

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