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”頭の良い人”と”頭の賢い人”

いきなりですが質問です。


頭の”良い”人と頭の”賢い”人。

そこには何が異なると思われますか?


…といった感じでいきなり謎の問いから始まった今日のnote。

「”良い”と”賢い”?どっちも似たような意味として捉えているけどなぁ…」

まぁそこには個人間によって色々な考え方があり、きっとこの問いに明確な答えはないのかもしれません。


さて、ここからは私が捉えている”頭の良い人”と”頭の賢い人”の違いについて色々と言語化していきながら自分なりの答えを提示していきたいと思います。


※あくまで私個人の主観によるお話です。決して間に受けすぎないようお願いします。


まず”頭の良い人”について。

頭の良い人は自分の事を”客観的”に捉えることができ、またそれを”定義付け”させることに長けている。

例えば自分の長所や短所、自分の趣味や日々に対する生きがい等…
このように様々な項目に対する答えを自分なりに持っていて、またそれら一つ一つを明確に表現できる”言語化能力”が備わっている(ここに示している言語化能力とは”言葉”のみに限定しているわけではありません)

よって頭の良い人の情報量はそれは実に膨大。
常々言葉として(もしくは”アート”として)自分の感情を表現していく能力が優れているのです。

要は”言語化のプロ”と…そう捉えております。


次は”頭の賢い人”について。

頭の賢い人は頭の良い人に比べて自分の気持ちを表現することがどちらかというと苦手な人が多い。

自分から何か事柄について積極的に話はじめる…といったケースは比較的少なく、どちらかといえば”受け手”に徹するイメージが強いですね。

ただ、これは決して”表現する能力が劣っているから”といった意味ではありません。

頭の賢い人もまた”とてつもない情報量”を兼ね備えているケースが非常に多いです。
むしろ”頭の良い人”よりも事柄について詳しい可能性が存在する…

いや…”頭の賢い人”の方が”頭の良い人”よりも確実に深い教養を身に付けていらっしゃいますね!(※当社比)

しかしそれを”表現”することが苦手…
もしくは表現しようと思えばできるけど、そこには何かしらの”できない理由”が存在し、その経緯からあえて”やらない”という選択肢を取っている…と。

つまり頭の賢い人は”シャイ”なのです。
恥ずかしがり屋なのです。

シャイであると同時にその言葉の持つ”意味”をきちんと理解していて、また言葉として表現した後の世界に対する”イメージ”まで事前に予想することができる”賢さ”がある(この言葉を発信したら見ている人がきっと傷ついてしまうだろうな…だから自分から発言するのは控えておこう…等)

そのような人が”頭の賢い人”です。


「頭の良い人と賢い人の表現方法の違いについて」

まず頭の良い人は”自身の感情について言語化することが上手な人”という前提から物事を考えていきます。

頭の良い人は自分から話題を発信することが上手いのです。

仮に何か話したい事がある。
そこで先陣を切って話題を提供する力が頭の良い人には備わっている。

これってシャイな人…つまり”賢い人”の視点から見ると、とてもありがたいことなのですよ。

「自分にも語りたい事はあるんだよ…でも色々と理由があって語れない…だから先陣を切ってその話題に切り込んでいける頭の良い人の存在は自分にとって本当に助かるんだ」

これはあくまでも推測の域を出ませんが、おそらくこれが頭の賢い人から見た頭の良い人に対しての捉え方に対する”真理”なのだと思っています。

では、頭の賢い人は普段どうやって自分の気持ちに対し”処理”を行っているのでしょう?

それは自分以外の人の発言に対して同意・反意・異議をすることによってその気持ちへの処理を行っている。

SNS上で見かけたことはありませんか?
「自分からは滅多に発言はしていないけどRT(今はリポスト?)を連発し、TLを埋めている人」を。

私はそのような方が所謂”頭の賢い人”であるとそう推測をしていますね。

「なぜそれが賢いと言えるのか?」

それは他の人に対して同意をすることで自分の気持ちの代弁を図っていて、またそこに何かしらの問題が発生した際でも「私は何も発言はしてません。あくまでもこの方が言ったことですから」と責任から逃れられることが容易なため…なのですね。

いやー本当に”賢い”ですね。

そしてその”賢さ”は相手を”否定をしない”事によっても成り立っている。

賢い人はむやみやたらに他人を攻撃したりはしないのですよ。
それが自分にとって不利益に当たることを理解しているから。

むしろ”嫌味”みたいなカタチ(ただし当の本人は悪意無しで語っているつもり)でいちいち一言言っちゃう”頭の良い人”の方がよほどタチが悪い。

そう、まるで”この記事”のようにね…(これは自虐としての壮大なネタ振りだったのだ)


”頭の良い人”ってめんどくさいですよね。

そんな事いちいち言わなくても…といったことまでつい”言語化してしまう”から、時には”KY”として嫌われることもある。

ただし、一つ示しておきたいのはこの”つい言語化しちゃう”という行為には相手側が想像している以上に”そこに悪意は存在していない”ってことなのです。

なので”頭の賢い人”は「なるほど…そうなんだね!」と肯定的に捉えていただきながら”頭の良い人”に対して寛容に接していただけると…頭の良い人からすればそれは”助け舟”となったりするケースもあるのです。

「うーん…でもそれは頭の良い人の”甘え”ではないのですか?」

まぁ確かに…頭の良い人は”わがまま”ですからね…
でも意外と心は脆いので安易に否定されたら割とすぐに傷つくことが多いです(めんどくさい人種ですなぁ…)

優しい視線で見つめ、かつ優しく見守っててあげないとすぐ苦しそうな表情をしてしまうので…(やはりめんどくさい)



というわけでここでまとめです。

人にはそれぞれ”得意な分野”が存在し、またその相互作用によってコミュニケーションは初めて成立するため、「頭の良い人と賢い人のどちらの方が優れているのか?」といった問い等は実に不毛なことで、それこそ”太陽と月”、”昼と夜”、”光と影”、”陽と陰”、そのような感じでそのどちらも”必要不可欠な存在”だということ。

きっとそれが”答え”なのだろうと思いました。

少し長くなりましたが、以上で終わります。
「頭の良い人&頭の賢い人の違いとは?」という事柄に非常に興味を持ったため、この記事を執筆いたしました。

実に突発的なお話でしたが、自分でも書いていく段階を経て色々な事に気づくきっかけにもなりましたし、それが学びにもなったし、何より楽しめたこと…

収穫の多い内容でした。

もしも不快に思われた方がいらっしゃったらごめんなさい。

それでは、以上です。



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