オーストラリア留学中にコロナ陽性になった話
2022年1月15日。隔離期間を経て、やっと自由に外出できるようになりました。その喜びとともにこれを記します。
オーストラリアのコロナ事情
2021年12月18日から私が住んでいるクイーンズランド州の州境が開いて、シドニーがあるニューサウスウェールズ州やメルボルンがあるビクトリア州から人々が入ってこられるようになりました。長らくクイーンズランド州は鎖国状態にあり、2021年のほとんどの期間をマスクなしで快適に過ごすことができていました。生活はコロナ前とほとんど変わらず。変わったところと言えば、どこのお店や施設に行ってもQRコードが入り口に張り出されており、チェックインが必要になったことくらいでしょうか。
それが、ニューサウスウェールズ州と、ビクトリア州のワクチン接種率が90%を超えたこと、そしてクイーンズランド州も80%を超えたことにより、州境を開けることになったのです。オーストラリアでは、二大都市があるこのニューサウスウェールズ州と、ビクトリア州の感染者数がとびぬけて多く、ロックダウンを長い期間強いられてきていたのがこの二つの州でした。オーストラリアは、皆さんもご存じの通り、広大な国土を持っています。日本の20倍の面積のところに、日本の5分の一の人口しか暮らしていません。このことにより、州境を封じて人の行き来を無くし、コロナの感染拡大が防げていたのだと思います。州境封鎖により、クイーンズランドはかなり恵まれており、ロックダウンされた日数は、この二つの週に比べたら格段に少ない日数で済んでいました。普段とさほど変わらない生活ができていました。
州境が閉じていたことにより生じた弊害ももちろんありました。クイーンズランド州はゴールドコースト、ケアンズ、ブリスベンなどのオーストラリア国内でも有数の観光地がたくさん集まっています。そのため国内外の観光客に頼っていたサービス業の方々はかなり苦しい状態を強いられていました。
活気を失っていた観光地は待ちに待った州境オープンだったのです。
2021年12月。学校の一年の終わりが12月のオーストラリア。子どもたちは一年で一番長いお休み、クリスマスホリデーに突入。オーストラリア人にとって一年で一番大切な日であるクリスマスと、旅行ができるようになった人々の喜びと相まって人の動きはとても活発になりました。
クイーンズランド州はマスク着用の義務化を決定し、私たちクイーンズランド州の人々もマスクを着けて外出するようになりました。今までマスクをまったくつけてこなかったクイーンズランドの人々、そしていろんな国籍、人種が集まるオーストラリア。しっかりとマスクを着けて、アルコール消毒もしっかりする人々もいますが、もちろんそうでない人もたくさんいます。
ちなみに私はレストランで働いていますが、キッチンでは誰もつけていませんでした。もちろん、飲食する際はマスクを着用しません。外で飲み歩き、食べ歩きするときもマスクは着用しなくてもOKです。ハグや握手も日本よりも多く見受けられます。年末年始で人々の心も高揚しています。こうしてオミクロン株はどんどん広まっていきました。
知らぬ間にコロナは忍び寄っていた
私の近くで一番最初に陽性を確認したのは、一緒に働いている子のお姉ちゃんでした。12月31日のことです。12月31日も夜まで働いていた私は、仕事が終わった後、1月1日12時の花火を見て帰宅しました。日本よりも1時間早く年が明けたオーストラリア。興奮冷めやらぬ私は、そのまま家族にLINE電話をし、YouTubeでジャニーズカウントダウンを見ながら二度目の年越しを行いました。1月1日、2日ともにレストランで夜まで働き、その夜からのどが痛いことに気が付きました。夜更かしをして寝不足になるとすぐ喉から風邪をひくタイプなので、またやってしまったか。。。と反省しつつ、白湯を飲んで早めに寝ました。
1月3日月曜の朝、体が少しだるく、のどの痛みも消えていなかったため、職場に休ませてほしいと連絡をしました。OKという返事があったと、私は同僚からメッセージをもらいました。その内容は、従業員不足でレストランを二日間閉じるから今日はオフだよ!という内容でした。私が働いているレストランは、かなり大きく人気のレストランで、一年のうち12月25日しか店が閉まっている日はありません。そのレストランで店を閉じる決定をしたというのは私はびっくりでした。料理やお酒をお客様に配膳するフロントスタッフは、登録されている人で20人はいます。キッチンも15人近くいます。みんな同時に具合が悪くなり、店をお休みすることになったと聞いたときは、「私も具合悪いしラッキー!この間に直そう!」と思っていました。動画を見たり、眠ったりしながらだらだらと過ごしました。その日の夜は、マスクをして、濡らしたタオルを部屋の中に干し、のどを乾燥させないようにして早めに就寝しました。
1月4日火曜日、まだのどが痛く少しだるかったです。この日のハイライトとしては、人生で初めてウーバーイーツをしたことです。今まで使ったことがなかったので家の前に注文した食べ物が届いていた時は興奮しました。(笑)コロナにかかっているかもしれないから利用したというよりは、だるくて外出したくなかったからです。
1月5日水曜日。私は2階建てシェアハウスの2階に住んでいるのですが、シェアハウスの住人から、「下の階の2人が陽性になった」と言われました。私は1階に行くことはないのですが、洗濯機を共有していること、そして2階のシェアメイトがよく下の階に行き来して、下の階の住人と仲がいいことを思い出し、「まさか」と困惑しました。職場の人にPCR検査に行くことを勧められ、違うとは思うけどなーという思いで一応行ってみることにしました。
検査を行っているクリニックに行ってみると、5人ほど並ぶ列ができていました。行列に並ぶとすぐに、問診票のようなものを書くようにとバインダーを渡されました。名前、性別、生年月日、電話番号、住所などを記入して、看護師さんが回収し、10分ほど待ったころ、私の名前が呼ばれました。個室に誘導され、電話番号等の間違いがないか再確認をし、いよいよ長い綿棒が私の目に飛び込んできました。「怖いです(I’m scared...)」というと、「大丈夫よ。そこによりかかったほうがいいかもね。(you will be fine. You can lean there.)」と壁に頭をつけるように促されました。まず舌の上を綿棒がなぞり、そのまま鼻の奥へ突っ込まれます。「うぐっ!!」と声を上げると、「終わったわよ!あなたはラッキーよ。ほかの人はもっと奥にいれるんだから!It's done! you are lucky! Other people put even deeper」と言われました。慣れないことはなんでも怖いですね。結果は72時間以内に、私の電話番号にショートメッセージで届くとのこと。ありがとうございました!と言って検査は終わりました。私はオーストラリアの永住権を持っているわけではなく、ただの留学生なので、オーストラリアでいうメディケアカード、日本でいう保険証を持っていません。身分を証明するものは何一つ持っていきませんでしたが、もちろんお金もかからず、スムーズに検査してもらうことができました。
そしてこの日、同僚から、レストランが10日までクローズになったということを知らされました。なんとレストランのキッチンの従業員が全員具合が悪くなったからだということです。「これはやばいやつかもしれない」と思い始めました。
1月6日木曜日。昨日のウーバーに味を占めた私は、今日もウーバーを注文しました。今日は特大ハンバーガー。たまに行っていたバーガーショップなので、おいしいことは知っています。今思うのは、だるいだるいと言いながら、食欲は落ちていませんし、味覚の変化も感じていないということです。なんなら年末年始で忙しく働いていた疲れを発散するホリデーを楽しんでいました。
1月7日から9日。まだのどの痛みとだるさが続きながらも遅めのお正月休みを楽しむかのようにだらだらと過ごしていました。
1月10日月曜日。ついに検査結果が届きました。陽性。同時にクイーンズランドヘルスというところから、「検査を受けた日から7日間隔離してください。一緒に住んでいる人にもその旨を伝えてください。もし、急に具合が悪くなったり、呼吸がしにくくなったら救急車を呼んでください。」という内容のメッセージが送られてきました。とうとうなってしまったかというショックで、急に少し具合が悪くなった気がします。日本の家族に陽性の報告をすると、日本人との文化の違いを指摘され、なっても仕方がない、治ってもまたなるぞと、ぐうの音も出ないことを言われ、少し気を落としましたが、まぁこの調子だと悪化することはないだろうと構えていました。
私が陽性のメッセージを受け取り、近くに住む友達たちに連絡してみると、たくさんの私の友達も陽性になり、具合が悪くなっていました。私の住むシェアハウスも5人全員かかってしまいました。自分の周りのほとんどが同じタイミングで具合が悪くなっていたことも、そこまで気を落とさずに楽観的でいられた要因かもしれません。
このころから、異常な眠気と疲れに襲われ、一日13時間以上寝ていました。これはコロナによるものなのか、私特有の症状なのかはわかりませんが、確実にいつも以上に倦怠感と眠気がありました。
シェアハウスの住人たちが元気になり始め、Rapid Antigen Test(簡易キット)を手に入れて再検査をし始めていました。私はまだ少しのどが痛かったのですが、そろそろ外にも出たかったですし、働きに行きたかったので、再度PCR検査に行くことにしました。流れは前回とまったく同じです。並んでいる人の数は三人くらいだったでしょうか。個人情報の紙を記入し、今回は男性の看護師さんが担当でした。「緊張してますー」と言ってみましたが、容赦なく綿棒を突っ込まれてあっという間に終了。3~4営業日で結果が届くよと言われ、検査人数が増えているためでしょう、結果がわかるまでの日数が1日増えていました。その帰り道、シェアメイトに教えてもらった薬局に行って検査キットを購入しようと思っていたのですが、バケツをひっくり返したような大雨が降り始め、なかなか止まなかったため断念して帰宅の途に就きました。
1月11日火曜日。私が働くレストランの上司から、働けるか?と連絡がありました。私が最初に不調を感じてから1週間以上たっていたことに気が付きました。まだのどが痛いこと、そして検査を昨日受けたばかりだったので、その旨を伝えると、また働けるようになったら教えてほしいということでした。先週一週間レストラン全体が感染していたのに、もう復活していることを確認しました。こんだけ働かずに寝ていただけだったので、だるいのか、ただ体がなまってしまっただけなのかわからなくなっていました。でもまだ少しのどの痛みがありました。
1月12日~13日。ひたすら検査結果を待ち続けていました。相変わらず眠気はありましたが、数日前よりは軽い眠気なのが感じられ、30分ほどのお昼寝で復活できるようになってきました。食欲は相変わらず旺盛で、動いてもないのに3食きっちり食べる生活(絶対太った)をしていました。
1月14日金曜日。やっと検査結果が届きました。なんと陽性。。。私はもう働きに行ける前提で考えていたのにもかかわらず陽性。。。というかシェアメイトたちはもう続々と仕事に出始めています。そこで、陽性検査結果とともに送られてきたメッセージの中に書いてあった電話番号のホットラインに電話してみました。
私:「最初に陽性の結果を受けてからもう10日間隔離して、症状も無くなったのですが、今日再び陽性結果を受け取りました。いつになったら陰性になりますか」
ヘルスケアライン:「一度陽性になるとそれから6か月間は陽性の反応が出てしまいます。陰性の検査結果が必要な場合は自身で検査キットを購入して検査してください。そちらで検査すると陰性になるはずです。最初の検査結果から7日間の隔離が終了し、無症状になってから48時間経っていれば家を離れることができますよ」
私:「1月5日に陽性を受けてもう症状はないので、私は外出していいってことですか」
ヘルスケアライン:「外出しても大丈夫ですよ!」
私:「やったー!ありがとうございました!助かりました!」
というわけで晴れて外に出られるようになったのです。一度陽性反応が出てしまうとPCR検査で6か月間は陰性にならないというのはびっくりした事実です。二度目の陽性結果を受け取った時は、「シェアメイトはもうすでに外出してるけど拡散しまくってるってこと?!そんな人ばかりが外を出歩いていたらまたかかっちゃうじゃん!いつまで隔離されてなくちゃいけないの?!」といろんな考えが巡って不安になりましたが、24時間体制で対応してくれるヘルスケアラインの看護師の皆さんの柔軟で親切な対応で私はとても救われました。私のつたない英語でも優しく対応してくださいました。ありがたけんたい
というわけで約2週間私は全く働かずに、回復するために自宅隔離をしていましたが、私の場合はのどの痛みと倦怠感くらいのとても軽い症状で済みました。同じタイミングで陽性になっていた友達は、咳が止まらなくて苦しいと言っていた子、息苦しい気がすると言っていた子もいました。私たちが受けたPCR検査ではオミクロンなのかなんなのかはわからず、陰性か陽性かのみがわかるものでした。今までコロナとは無縁だった身の回りが一気に飲み込まれて少し焦りましたが、重症化している人が周りにいないこと、風邪だろうと信じ込んでいたこと、知り合いの大部分が同タイミングで具合が悪くなっていたこと、まとまって休める!とポジティブでいられたこと、などがあり、精神的にも元気でいられたことは回復力に少なからず影響していたと思います。
これから、オーストラリア政府が実施している、コロナによって収入に影響が出てしまった人への補助金制度に申し込みたいと思います。オーストラリアで留学生という立場で、一定期間収入を失って、どれほどのサポートがされるのかも記事にできたらと思っています。長い文章読んでいただいてありがとうございます。皆さんもご自愛ください。