vol.8アタシスイッチ
ナレーター逸見友惠
「ナレーションの現場で心がけることですか?”おもいっきり自分らしく読む”。それだけなんです」
本格的にナレーションと向きあいはじめてから5年。
バラエティではシャープで鮮やかに。現代ドキュメントの大胆なまでのウィスパーがみずみずしい。“豊かな声の表情“がテレビから聞こえてくる。
そこには彼女が持つ、ある華やかさがある。
この春、ゴールデンを含む3本のレギュラーを持つことになった。一躍女性ナレーターの先頭集団に躍り上がって来た。女性らしい言葉使いの芯の部分にコツリとしたものが見える。
いまできる全力
初めて生放送に抜擢された時も、思いきってしょっぱなから声をはりあげた。CMでは極端に抑えた表現でしっとりと解け合っていく。
その表現は決して器用という言葉ではあてはまらない。直観でつかんでいるものだからだ。ディレクションで作品を理解するより前に、ぱっとみた感覚のまま”映像に飛び込む”。
「考えはじめると余計な力が入るし…といっても考えないことも難しい。なので現場にいる時は”フラットなわたしでいること”を目指してます。それがいまできる全力なんだろうなって」
現場の緊張感に飲まれず、普段どおりにのびのび表現していくために。
逸見は日常でもフラットな状態を保っている。淡々と自分の生活を営んでいくことを大切にしているという。
生きていける。いや生きていきたい
学生時代から、展示会でのMCや式典司会でそれなりに稼いでいた。型どおりの表現でも充分に評価してもらっていた。
「自分の力以上に稼がせてもらっていたかな。でも何か物足りない。こんなことじゃいけないって思いが強かった」
それは自分の表現ではないことの違和感が、いつもつきまとっていたからだ。
そんな焦燥感からか、小劇場やお笑いにも飛び込もうとした。
しかしあれもこれも中途半端に終わった。
「いま思えば司会もなにも人生全部が腰掛け気分だったのかもしれない。テキトーに生きて来たんだっていまは思う」
そんな漠然としたなかを漂う彼女に苦い挫折が待っていた。友に裏切られ結婚を誓った彼は去っていった。
自分の中で何かがポキリポキリと折れていったのだ。
「そんな時、子供のころのカセットテープを聞いたんです。そうするとTVのナレーションをひたすらマネてたんですよ(笑)」
見失った自分を探すようにナレータースクールにたどり着く。
「ナレーションはすべてがしっくり来たんです。読むことで自分を表現できるのはホントに楽しい。これで生きていける。いや生きていきたいって」
しかしスクールではさーっと読んで「だいたいOK。はい次の人」。
勢いだけはいいが、可もなく不可もないそれまでの延長の読み。そして生き方だった。
(その頃の逸見はスクールバーズのインタビューに詳しい)
卒業間際『ここで何かをみつけないと』とサンプル収録に臨む。
できたものは自身では「平凡なサンプル」。
基礎部分の甘さを指摘され徹底的に鍛え直した。二度目のサンプル録り。
好きだったバラエティで、思いのまま振り切ったプレイを表現にぶつけた。それが逸見にとっての”自分らしさ”だったのだ。同時に”勢い”をも自分のものにした瞬間だ。
やがて幸運は舞い降りた。
映画のCMが決まり、その後すぐに深夜のバラエティ番組のレギュラーをつかんだのだ。トントン拍子に仕事が決まっていく。
「あ、これでやっていけるのかもしれない」という思いで舞い上がった。
しかし現実は甘くはなかった。
自分の舞い上がった思いと裏腹に、現場での手応えはいまひとつ。番組の息吹を表現できない。ディレクターの気持ちをつかみきれない。
半年後、そのレギュラーは終わった。
真空の時間
ぽっかりと何もやることがない時期が1年ほど続いた。
仕事がない。プレイヤーならば誰もが焦りと恐怖にとりこまれがちな真空の時間。ベテランプレーヤーでも気持ちを安定に保つのは難しい期間だ。
バイトも極力控え引きこもった。精神的にも金銭的にも自分を追い込んでいったのだ。
「その頃はお金も尽きてサバ缶ばかり食べてました」
自分との対話を繰り返す毎日。
「次に何をするべきか考えたり、オンエアをみかえし自分の弱点をみつめたりしていました。あの頃はナレーションの練習しか考えることがなかったし、やることもなかった」
そんななか自分の周りはみな華やかに思えた。
「焦りもあったけど人と比べたりはしませんでした。それをしちゃうと、いつもの自分でいられなくなっちゃいそうだから」
寂しく一人で声を出しながら過ごす部屋。
やがて気管支炎を起こし、まったく声が出なくなった。
「といってもたったの2週間ですよ。それでもびっくりするくらい喋れなくなっていてショックでした。それから基礎や体のケアの大事さがわかったんです」
病が癒えると、しゃべれることの快感に驚いた。あまりの楽しさに夜通し原稿を読んだ。練習を含めて、ナレーションへの取り組みかたがガラリと変わったのだ。
「学んでいたころは、あわせようあわせようと焦るばかりで、きちんと原稿に向き合えてなかったんだと思います。今は”私らしくあればいいんだ。それしかないんだから”と、シンプルに原稿に向き合えるようになったのかな」
覚悟
さまよいながらつかんだ”私らしさ”。
それでも仕事はまったく不安定だった。
年末には無理して都心に引っ越した。ナレーションの仕事に集中したかった。同時にいろんな過去を振り切るためでもあった。
「もしダメでも、どんなバイトをしても生き抜いていくって腹はくくってました。案外覚悟の女なんですよ。みんなからはチャラチャラした風にしか見られてないんですけど(笑)」
それから「なぜだか」いや「だから」なのか春の番組が次々と決まり始めた。
逸見はいま、さまざまな声の現場にたっている。
毎週スタジオに20時に入り26時まで読み続ける。レギュラー番組のMAなのだが、2時間特番を収録するくらいの分量だ。
「さまざまなジャンルの原稿を大量に読むんです。もう読みっぱなし。この経験は自信にもなったし、力もつけさせてもらえたと思えるんです。本当にありがたい。ナレーターって番組の最後の色づけを任せられていることが、ホントに嬉しいんです。そこに自分の持っている色や響きを乗せることができていれば、なにより最高です」
最後に振り切ることに怖さがないのか聞いてみた。
『自分らしく読んで失敗したら”他の人に替えられると考えちゃうことはないんですか?』
「いまの自分が勝負できるのは飛び込みですから(笑)もしそれで作品に合わないのなら、それはそれでしょうがないって。いつでもその覚悟はしています。それがバーズで学んだ一番大切な事なのかもしれない」
瑞々しい等身大の感性と飛び込む覚悟。
新しい読み手が、いまテレビで羽ばたいている。
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