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vol.10ボヘミアンラプソディ

DJ・ナレーター鈴木まゆ

プロのナレーターといっても縁のない人がほとんど。そのくらい実力と運に恵まれないとたどり着けない。それがゴールデン番組だ。

番組を華やかに彩る快いリズムとハスキーで伸びのあるナレーション。その声は彼女、鈴木まゆである。

この秋、深夜番組から繰り上がったのはTBS「内村とザワつく夜」。、テレビの主戦場、ゴールデンに躍り出た。

「いっきに現場の人数が増えたんです。それまではディレクター、ミキサーそして私の3人だったのに。3倍くらい。緊張感もいっきに増しました(苦笑)」

といいながらも以前と変わらぬスタンス。のんびりとしていながら謙虚に語る。

「まだまだ自信を持てたことなんてありません。毎日、苦闘してます」

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ボヘミアン。誰も知らないところへ

福岡に生まれ、短大卒業後アメリカに留学。理由は『誰も知らないところに行きたかった』から。

カナダ近くのミネアポリスを選ぶ。そこでちょっとした興味でジャーナリズムとDJを学ぶことになる。
「ふらっと行ってしまって、たまたま面白そうだなと思ってDJに出会って。DJ実習はずっとフリートークをやらされてました。あとは…アラブ人に追っかけられたことですか(笑)」

同級生のアラブの富豪が彼女にゾッコンでアタックしてきたのだ!かなりおいしい話!

「自分の鷹が腕に止まってる写真を見せるんです。それがステータスみたいで。アタックに来るたび『アッラーの神が見てるわよ!』って言って逃げてました。さすがにイスラム教の敷居が高かったので…無理でした(苦笑)」

「DJを学んでるということで、母が地元福岡のラジオ局の募集情報を教えてくれました。そこでアメリカからエアメールでオーディションテープを送ったんです」

そのエアメールで見事、福岡の名門FMラジオ局のDJオーディションに合格。

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ラジオデイズ

週一の番組から始まった。

「アメリカで実習したと言ってもほとんど素人の状態。それからも若手の中でも選抜が行われるんです。決め手になったのは遊園地のレポートで思いっきり三枚目で行ったことでしょうか。周りは可愛らしい喋りの娘ばかりだったので、これしかないと」

その後は順調に、有名DJの番組のアシスタントに。やがて自分の番組をもつようになった。順調なステップで階段を昇っていく。

「ラジオの良さってアットホームなところなんです。福岡というのもあるかもしれないけど、イライラカリカリしてない。そうしたらきっとそんな空気が出てしまうからかな」

恵まれた環境で愛されていた。

途中ボヘミアン的に休みを取ってロンドンへ遊学したりもした。それでも彼女は朝の帯番組の大役を任されるまでになっていた。DJとして王道の出世コースである。

「親しいスタッフとやりたいことをやれた。充実の日々。自分にとって理想の番組を作れたんです」

ところがその番組が一年経った頃、気持ちの中で異変がおこった。

「体力的にも精神的にも出し尽くした感があったんです。駆け抜けたというか燃え尽きてしまったというか…なんだか青春が終わったと感じたんです」

周りが驚くほどスパッと辞めた。

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ナレーションと冷蔵庫

ラジオだけの生活から抜け出し、ちゃんと働いてみよう、しっかり学んでみよう。愛し愛された博多の街からふと離れて生きてみようと感じた。それもボヘミアン気質だったのかもしれない。

喋りもきちんと学んだことはなかった。

まず、ナレーションを学ぼうと思い立ち。バーズの門を叩く。

「ナレーションのイメージは美しく正しい日本語だったんです。それを教えて欲しかったのに…でもぜんぜん違った。テレビのナレーションを聴いて、こんな喋りでもいいんだと初めて気付いたくらいで…」

違和感はそれだけではなかった。

ナレーターを目指す生徒たちの熱い情熱に囲まれ、それに圧倒された。暑苦しかった。苦手意識から教室でも居場所はなかった。

「でも、とにかく2年間だけは頑張ろうとだけは決めてました。どうせ博多に帰ればいいから。いま思えばナレーターになるというビジョンがなかったんですね。お稽古感覚というか…」

ラジオ以外で一度もきちんと働いたことはなかった。そんな彼女にとって、東京での暮らしは辛いものだった。

スーパーで働き生活を支えていたが、時間に追われ練習もままならない。ラジオスターからの落差は厳しかった。

「スーパーの商品陳列は辛かったです。冷蔵品を一日中並べてると体の芯まで冷えてしまって。それに品質に厳しいお客さんの接客に、神経をすり減らしました。やっぱりラジオしか出来ない人間なのかと、ふがいなさに涙が出ました」

バーズを卒業してもナレーションの仕事などなかった。華やかな番組とは縁遠いスーパーの日々。

「その時は、自分の可能性が信じられなくなってました。もうそろそろ限界かなって。これから売れていくなんて想像できませんでしたから」

全てが灰色に見える街。東京。

そんな時、お客さんから接客をほめられた。

「その褒美に会社からシールをもらったんです。小学生みたいでしょ(笑)人から見たら、バカバカしいくらいささやかですけど。でも自分が働いて認められる嬉しさ、生きていけるって感じたんです」

迷いながら2枚のサンプルを創ったが、かすりもしなかった。

もうこれで最後にしよう。皆が待つ博多へ帰ろう。最後に自分の原点であるDJの喋りを活かしたサンプルを創って。

『強みに絞り込まないと勝てない』と腹をくくった。そう決めての3枚目のボイスサンプルだった。

それがたまたまキャスティングに引っかかった。

深夜番組が決まったのだ。その番組がトントン拍子にゴールデンへ。

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現場のシビアさ

ゴールデンのバラエティ番組。立ち上がりはどの番組でもそうなのだが、ピリピリとした緊張感に包まれている。

毎週、視聴率という成績表が発表されるシビアさ。数字が悪いとなおさらだ。寝てないDやADが隣にいるなかでのナレーション。

「テレビの現場はADからPまで身をすり減らして、みんなガンバってるんです。そうした熱気のなかで仕事をしてると自分もガンバらなきゃって。いかに自分のパフォーマンスをあげて番組を良くできるか。そればかり考えてます。それで数字が少しでもあがるとヨシッ!って叫んじゃいます」

そういえば”熱い”のは苦手じゃなかったんですか?

「いつのまにか自分にも熱が移ってたんでしょうね。ナレーションをもっとやりたいって欲が出てきたからかも。テクニックすら消化できてない部分があって。バラエティはとにかく難しいです。とにかくまだまだ、もっともっとです(笑)」

ナレーションのパフォーマンスをあげる。いまの彼女はそれだけを考えているように思えた。

それまでの環境に留まらず、あえて厳しい場所で芽を出した。風にまかせるタンポポの種のように。

それがボヘミアンの生き方。彼女はきっともっと大きな華を咲かせるはずだ。

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