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第9夜 僕の中にある柔らかい部分
それは、衝撃の一夜だった。
声業界の女帝と呼ばれる伝説の女マネージャー「極細木(ごくぼそき)スガ子」に、業界の現状を教わった私は、帰りのタクシーの中「既存のナレーター教育」の問題点や、新人がぶつかる壁について考えさせられることになった。
結局教われなかった「3つ目の壁」とはなんなのか…?
私はどういう“私”になりたかったのか…
極細木によれば、私たち新人の悩みのほとんどは「プレイヤーがひとりひとりが自立していくこと」で解決されることになる。
将来が見えず「いつまでもこのまま」を感じてしまうレッスンも、自分自身のために変わらなければならないはずのところを、事務所や養成所のために言うことをきかねばならない状況も、全部、誰かにぶらさがっているからだ。
「3つ目の壁」がなんであれ、答えは分かっているつもりだ。
自立…。
『自立が必要なことはわかった。でもいったい、“どうすれば”?』
自立とは、自分の意志と力で前に踏み出していくことだ。
だが正直いえば私は、あまりに自分に【自信】がなかった。
養成所に通っても通っても、一向に見いだしてもらえなかった事実が「本当は才能なんかないんじゃないか」という不安を、確実なものにしていく。
そういえば過去数度だけあったチャンスを、わざと見逃したこともあった。
今思えば怖かったのかもしれない。
自分を試す場で、わざわざ他人に、自分の才能がなさを教えてもらうのはとても嫌だった。
でも夢を諦めるのはもっといやだ。
ん…夢?
夢ってなんだっけ?
そういえばぼんやりとしていて、はっきりと想い描いたことがなかった…
私はどういう“私”になりたかったのか…。
私は、タクシーの窓の向こうの空に自分の心を映しだし、自分自身に問いかける。
やりきってもないのに、なぜそれがわかるの?
黒い霧のような、イメージの世界で極細木が私に言う。
『逃げるのネ。ま、別にワタクシは困らないけど』
「逃げるんじゃありません。ボクに才能はなかったという結論を受け入れる事にしたんです」
『才能のあるなしなんて、他人が決めればいいことヨ』
「【プレイヤーの自立】は、ボクには理想的すぎて、手が届かないんです。だから誰かに頼るしかないのに、依存心が悲劇を生むというなら…早目に諦めるのが正しいってそう気づいたんです。身分不相応というか…とにかく【自信】がないんです。だってぼくには…“ぼく”がない!」
『やりきってもないのに、なぜそれがわかるの?』
「ははは、”ぼく”がないのに、なにをやりきれるというんです?」
『描いてもない“ぼく”には、なれる訳がないでしょう?』
「売れるナレーターになりたいとは願っていますよ。でも“ぼく”がないから、売れることができないんです。悪循環なんです!』
『売れてる人は全員最初から売れてたの?違うでしょう?』
「売れる部分を、誰かに見いだしてもらったんだと思います。売れることで“自分”ができていったんだ」
『違う。“自分”で“自分を”作っていたから、自分を売ることができたんだと思うワ。依存心と戦いなさい』
「充分戦いましたよ、養成所にあちこち通ってレッスン頑張って。でも売れませんでしたから。なら“ダメな自分”じゃないですか。売れないはずだ」
『きちんと”売ったこともない”のに、わかったような事を言うわネ』
『山ちゃん、結局売れるかどうかは誰にもわからないし難しいことだワ。でも今のあなたは、いくつかの問題をわざとまぜごぜにして、言い逃れしてるんだワ』
「そうかもしれません。でも仕方ないじゃないですか、そもそも全部ダメなんですよボクは」
『あなたがナレーターになりたいという思いすら、封印したいというならそうした方がいいわネ。ワタクシには関係ないし』
「【自信】がないんです!」
『文字通り信じればいいのよ、自分で』
「先生なら信じてくれますか」
『ワタクシはいつも、伸びようとするプレイヤーを信じています』
「ダメだったんですよこれまでのボクは。それでも?」
『過去がダメであれどうであれ、あなたがナレーターになりたいと本当に思えば、また違ったものが出てくるでしょうね』
「…ナレーターに、なりたい!」
そうか…私は、ナレーターになりたかった。
それだけで…それだけで良かったのだ!
極細木という『環境』が私に自問自答をさせ、変化を怖がる本当の理由、「【自信】のなさ」を見つけ出してくれた。
これが3つ目の壁の正体だったのだろうか?
私はもう恐れない。
極細木という『環境』が一つの【答え】を導き、自立への一歩を踏み出させてくれたのだ。
明けない夜はない。
そう、あの極細木との長い夜は明け、再び会う時はお天道様の下で、きっぱりと私は“私”をアピールできるだろう。
(第1部完/物語は『第2部・プロ向け編』へ続く)
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