見出し画像

学問とは「問いを学ぶこと」

おはようございます。ゐのせです。

本日は若宮和男さんのnoteを読んで自分なりに考えたことを書きます。今回取り上げる若宮さんのnoteはこちら。

私自身もつい5ヶ月前までは大学生だったのですが、はるか昔の記憶のように感じられます。大人になるってこういうことなんですかね。

たしかに現在の日本の大学は悲惨です。「入学したら卒業確定」と言われても仕方のない状況にあります。これは大学を運営する側だけでなく学生側の責任も少なからずあるでしょう。

結局、私は大学で何を学んだのだろうかと考えると次の二つに収束されます。

①問いの立て方
②問いに対する答えの探し方

道具の使い方を学ぶ

大学というのは自分なりのクエスチョンを立てて、それに対するオリジナルの回答を導き出す方法を学ぶ場所です。ただ単に知識を学ぶ場所ではありません。若宮さんがおっしゃっているように知識はあくまでも道具であり、大事なのは使い方なのです。

私のゼミの教授は常に「あなたの問いは何?」「それに対するあなたの考えは?」ということを繰り返し質問してきました。質問に答えるのは大変でしたが、今振り返ってみると本質的なことを教えてくださっていたことが理解できます。

問いを立てる上で大切なのは「疑う」ことです。前提条件を疑い、世間の常識を疑い、自分の感覚を疑う。当然だと思われていることの中に問いは生まれるのです。

勉強は大学でなくてもできます。私自身も大学生のときよりも社会人になってからの方が勉強時間は増えました。(大学生のときにほとんど勉強していなかったというのもありますが…)

私は大学ではろくに勉強していませんでしたが、一番大切なことはしっかり持ち帰ることができたと思います。

大学は学問をする場所

大学は学問をする場所です。「問いを学ぶ」と書いて学問。この一言にすべて詰まっています。

「大学ではビジネスに役立つ知識や専門的な実学を学ばせるべきだ」という議論がありますがお門違いもいいところです。すぐ役に立つものほどすぐ役に立たなくなるのが現代。そのような短絡的な考え方は愚かとしか言いようがありません。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

それではまた明日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?