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向日葵みたいなあの子の話

大学1年の春、当時必修だったスポーツ実技の授業で先生が誕生日順に並ぶよう指示を出した。
まだ入学したてで友達の誕生日すらろくに覚えていない中、「何月生まれ?」「○月だからこの辺?」「何日?じゃあわたしの後ろだ!」なんて言いながら並んでいる最中、わたしの人生を変える出逢いがあった。


7月8日。

同じ誕生日をもった彼女は、わたしと同じボブヘアで、太陽や向日葵が似合う、よく笑うひとだった。ありがたいことに、「ずっとかわいいとおもってて、話してみたかった!」なんて言ってくれて、わたしもその明るい人柄に惹かれておのずと仲良くなっていって、クラス内で1番背の低いわたしと1番背の高い彼女の凸凹コンビが生まれた。


時は過ぎ夏になって、蒸し暑い中バレーボールをしたり、休憩時間や授業終わりに冷風機の前を取り合ったり、わざとくっついてくる彼女を「暑い!!!」なんて言ってひっぺがしたり、自分にとって苦手な人に対してはっきりと「苦手だ、嫌いだ」と意思表示する彼女にすこしの呆れとすこしの憧れを抱いたり、そんな何気ない、側から見れば本当になんともない日々を送っていた。

7月8日、お互いの誕生日には、わたしは古着屋さんで買ったバッグをあげ、彼女からはポムポムプリンのヘアブラシをもらった。
インスタのDMでも「おめでとう」と「ありがとう」を言い合って、「来年はケーキ送り合う?」なんて話して、当たり前にふたりで未来の話を描いていた。


けれどある日を境に、彼女は大学に来なくなった。

彼女と1番仲の良い友達はLINEの返信もないと言っていて、心配はしていたけれど「実家暮らしだしなにかあったとしても大丈夫なんじゃない?」なんて、そんなことを話していた。


そして夏休み前、最後の登校日。
オリエンテーションが終わって帰ろうとするわたしたちをクラスアドバイザーの先生が引き留めた。
広い広い大講義室から他のクラスの人は全員いなくなって、開け放たれていたはずのドアはすべて閉められて、なんとなく張り詰めた空気を感じていたのを今でも覚えている。

クラスアドバイザーの先生は、「落ち着いて聞いてください。」という言葉のあとに、彼女が交通事故で亡くなったことを告げた。
あの、太陽や向日葵がよく似合う、明るくていつだって元気だった彼女が、亡くなった、と。

思わず涙が溢れそうになって、けれど咄嗟に我慢してしまった。
泣くべきなのはわたしじゃないとおもったから。
わたしよりも仲の良い友達もいたし、その子のほうが辛いんだから、わたしは泣いちゃだめだとおもった。

クラスアドバイザーの先生からの話が終わり立ち上がって後ろを振り返ると、彼女が「苦手だ、嫌いだ」なんて溢していたクラスメイトが泣いていて、周りには慰める友達が数名いて、なんだか、なんだかすごくやるせないきもちになった。


家に帰って親と話すわたしは何事もなかったかのように笑えていて、心底薄情だとおもった。
けれど、彼女と1番仲の良かった友達からの連絡を機に、わたしの涙腺は壊れてしまったかのようだった。

自分の部屋、ベッドの上でひとり。
泣いて、泣いて、声が漏れるほどに泣いて、泣いて、すこし落ち着いて、思い出して泣いて、泣き疲れてねむって、起きてまた泣いて、泣いて、泣いて、

目は普段からは想像もできないくらい腫れてしまっていたけれど、家族に彼女のことは言えなかった。口に出すのがこわかったから。


そんな日から約1年が経って、2022年7月8日。
彼女が亡くなってから、初めての誕生日。

こわかった、彼女と同じ年齢じゃなくなるのが。
彼女は19歳のまま、わたしは20歳になるのが、本当に、心から、途轍もなく、こわかった。

日付が変わる前の7月7日、大学からの帰り道。
真っ直ぐ帰っても何処かに寄り道をしても時の流れは変わらず明日は来るとわかっていながら、家に帰ることがこわくて、いつも通りの日常をこなすことがただただこわくて、途中の知らない駅で電車を降りてしまおうとしたけど自分の真面目な性格や理性に負けて、結局いつもの乗り換えの駅まで来てしまった。
でもやっぱりこわくて乗り換えの途中で立ち止まって、街中に設置されたベンチに座って道ゆくひとの目を気にする余裕もなくただ泣いていた。


それから1年後、2023年7月8日。
彼女は19歳、わたしは21歳になる日。
彼女と1番仲の良かった友達は、ストーリーに彼女のことを投稿していた。「おめでとう」という言葉を添えて。

進めてないのはわたしだけなんだとおもった。
ずっと彼女のことを引きずったまま、悲しい記憶のまま、消化できずに。
大切な人を失ったことを歌った曲を聴くたびに思い出しては、“彼女の死を音楽で涙を流すための道具にしているんじゃないか”とおもった。「故人のことを思い出すと空の上にいる故人の周りに花が咲く」なんて話を耳にしてからも、“わたしは彼女の周りに綺麗な花を咲かせられない”と苦しくなった。

わたしだけあの日のまま、1歩も進めないまま。


それでも忘れることのほうがこわかった、苦しくなくなることのほうがこわかった、もう大切じゃなくなったことになる気がして、ただひたすらに憶えていたかった。声や、顔を思い出せなくなっても、胸の痛みで彼女を憶えていようとしていたのだとおもう。


そしてまた1年経った、昨日。
2024年、7月8日。

7月に入ったら苦しくなること、わかっていた、わかっていても耐えられないほどに苦しいこともまた、わかっていた。

彼女は大学1年生、19歳という若さで亡くなったのに、同じ夢を抱いて大学に入学したはずの彼女に
もう未来はないのに、
わたしが生きていていいんだろうか。
わたしは幸せになってはいけない、幸せを望んではいけないんじゃないか。


なんで、死ぬのがわたしじゃなかったんだろう。


ずっとずっと考えてた、でも1人じゃどうにもできなかった。苦しくて逃げてしまいたくて死にたくて消えたくて堪らなかった。


けれど、今のわたしには大切な恋人がいる。
恋人に、「幸せになっていいんだよ。幸せでいてほしいし、そのとき隣にいるのがおれであってほしいとおもう。幸せを望んでいいんだよ。」と言ってもらった。

通っている心療内科では薬をいつもより多めに処方してもらって様子を見ることになったし、
最近行き始めたカウンセリングでは、「思い出してくれたら彼女もうれしいと思うし、もしわたしが彼女の親だったとしたら、自分の子どもの誕生日に思い出してくれるひとがいるってすごく幸せなことだと思うよ。」「誕生日が同じってこともあるけれど、同じクラスだった子たちの中で彼女の誕生日まで覚えているひとは少ないと思う。」と言ってもらった。
彼女がどう思うか、彼女に申し訳ない、というきもちばかりだったわたしに、彼女の親からの視点を持たせてくれたり、誕生日を覚えていること自体が大切に想えている証拠だと感じさせてくれたり、そんな先生の言葉にすこしきもちが楽になった。


1番は恋人と会ったとき。恋人はわたしを抱きしめて、

「苦しかったね。」

と言ってくれた。

わたしにとってその言葉は、心を溶かす魔法のような言葉だった。

ずっとずっと、苦しむべきはわたしじゃないとおもっていたから、わたしより苦しい人がいるからと涙を堪えたあの日があったから、わたしの抱いた苦しみを認めて、身体も心もやさしく抱きしめてくれる恋人に、すごくすごくすくわれた。

7月7日から誕生日の8日にかけては、プレゼントやケーキを用意してくれて一緒に過ごした。
幸せだ、とおもった。

わたしと彼女の誕生日に心から幸せだと思えたのは、彼女が亡くなってから初めてのことだった。

やっぱり夜は泣いてしまったし苦しいきもちがすべて拭えたわけではないけれど、今年はようやく、彼女に「おめでとう」を言うことができた。

もう、“彼女だけが19歳のまま”という考えは捨てることにした。
わたしも彼女も、今日で22歳。
これからもいっしょに歳を重ねていけるように。


お誕生日おめでとう。たくさんわらっていてね。
なんて言わなくても、きっとあなたは何処にいてもたくさんわらって周りのひとを幸せでたのしいきもちにさせてくれているんだろうなあ。

いつかあなたの周りに、綺麗で大きくて太陽を真っ直ぐ見上げた向日葵を咲かせられますように。

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