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個人サロンを閉めた理由

多くのイメージコンサルタントの喜びは、
身に纏う物の力をかりて、お客様が自分自身の魅力を再確認して輝きだす事。お客さまが自分の自信を取り戻す姿』だと思う。
私の個人サロン『百花』も、それが一番の目的だった。
それぞれが、百あれば百通りの美しさがある。
自分自身を楽しんで欲しい。そう願ってのサロンだった。

お客様の魅力を発見し、お伝えすることが楽しくて、もっとトータルで素敵になるアドバイスをしたくなり、
着物のコーディネートの資格だけでなく、メイクや着物の着装のシルエットが美しくなるように補正についての知識も得た。

今でも、百貨店や呉服店の店舗に出向き、着物姿の美しさについてのアドバイスを伝え出来る仕事はとても楽しい。
その楽しさは、その短い時間の中での触れ合いに、お客様の求めるものと、自分の提供できるものが一致しているからだ。

ただ、個人サロンでは、もっと違う側面でアプローチがしたい。
せっかく個人で、時間もお金もかけてアドバイスと専門的な知識を求められるのだから、もっと内面的なものの側面からもアドバイスがしたいと、やればやるほど思っていった。

百貨店や呉服店などで数多くのお客様と向き合ううちに、座った瞬間にお客様の職業がわかる時がある。

ショートカットの髪型で、「私は、男っぽくて女性らしさがないから」と言うお客様に、
「そうでしょうか?。私には女性らしい細やかな心遣いや、女性ならではの気付きをプロフェッショナルにこなしてきたCAさんのような雰囲気を感じます。」とお伝えして、
「なぜ職業がわかるのか」と驚かれたり、
特に先生と呼ばれる職業の方は雰囲気でわかったりする。

そう、人にはその人の纏う雰囲気というものがある
外見上だけでない部分まで含めた、お客様だからこその魅力を的確にお伝えでできるにはどうすればよいだろうか?と考えていた時に、パーソナルデザインというものに出会った。

現在は、東京の品川にあった住居も湘南に移され、「イニシエーションコーチ」へと、イメージコンサルタントとしての活動から変化していらっしゃるが、

当時、品川にあったマチュアリズムで、本人の醸し出す雰囲気・持って生まれた個性に焦点をあてて分析するパーソナルデザイン・コンシェルジュの講習に共感し受講した。

人の魅力は姿形だけでつくられているのではない。

私の想いが明確になりそうで、パーソナルデザインの受講後は、ウキウキと帰宅したのを覚えている。

それがもう3年の前の事になる。

その後の3年の間にも、着物とは別の海外を拠点に活躍しているメイクアップアーティストのスクールを受講したり、メイク関連の本も大量に買い込んだ。

メイクももっと得意になってお客様の自信を底上げしたいという思いがあった。
自分自身の魅力を再確認し、お客様が自ら勝手に輝きだす事が1番の目的だから、メイクが上手になれば自信がつく手段となり得ると思っていた。

会員になっていたメイクアップアーチストのライングループでは、楽しげにメイクに関する情報や、美容医療の話だったりが行き交っていた。

次々と発売される新しいコスメ情報に、他のメンバーの様な熱量や楽しさを感じるよりも、
なりたいイメージやファッションにあわせたメイク・カラコンを楽しんでのメイク・おすすめのコスメ・おすすめの美容外科の情報等に、私は溺れそうになっていた。

毎月開かれていたグルコンも、時間が合わないのもあったが、最初に数回参加したのみ。
メイク情報が得られるからと、ずるずると2年の間に、ほぼ参加もせずに、けれどグループサロンの退会もせずにという幽霊会員状態でいた。

私は、心にストンと落ちてきたり、これだ!とピンと来た時の動きは速いと思う。

なので、行動的と言われる時も多いのだけど、自分自身のなかに少しでも引っかかる何かがあると、全く動きだせない。
基本的に、とっても時間をかけて自分の中から答えを見つけ出すタイプ。大事だと思う事には自分の中に沈み込む。

答えは自分の中にある。
これは、私が中学生の頃には、もう私の真ん中にあった真理のようなものと言えばよいのだろうか。

私の場合、この、自分の中にすんなりと、あたりまえに落ちてきた言葉のようなものが大事で、自分の中で明確な答えとして浮かび上がってくるまでは動きだせない。
自分の中で引っかかる何かに気づけない状態では動けないのだ。

そして、いつでも答えは、ストンと自分の中からの言葉として浮かび上がってくる。

「まずは動いて形にしたら?。やりながら明確になるよ」
「やってもみないで、考えているだけ時間の無駄じゃない?」
「人を相手にする仕事なのだから、お客様にあわずに何がわかるの?」
「変化を嫌がる潜在意識に邪魔されてますよ!」と、教えてくれた人もいた。
変化を怖がる潜在意識は、変化していこうとするのを邪魔するから、払拭するには行動すべきなのだと。

仕事として一向に個人サロンに力を入れない私に、友人達が心配して色々言葉をかけてくれる。
その言葉になるほどなぁとの思いもあったりするが、動き出してしまうと、動いている物を成立させる事に集中しすぎて、引っかかる何かを見失う予感が私にはあるのだ。
現に、仕事として正立させようと学んでばかりいる事にもモヤモヤしっくりこない何かを感じはじめている。
私にとっての答えは、私の中にしかないのだ。

相変わらす、催事でのアドバイスや、同行して実際の店舗でお客様にお似合いになるものを探し出すのは楽しいのに、
個人サロンでの診断となると「何か違うような?」と思うので、それならばと、個人サロンは一旦やめようと閉鎖した。

そして、昨年の冬、マチュアリズムのパーソナルデザイン勉強会に出席した後、何が違うかが、胸の中にはっきり浮かんできた。

ファッションに言及するような、ファッション性や美しさを求める人向けにサロンを作るのは、私の得意とする仕事ではないし、望みでもない

勉強会でご一緒した方々は、イメージコンサルタントとして人気の方ばかり。
講師として活躍されてたり、洋服を楽しみ、外見からアプローチしてその方が自ら素敵に輝やいていくのを、具体的にファッションを通して行う事を楽しんで見えた。
そして、やはりファッションを生業にする人とわかる装いをしていた。

彼女たちと同じ熱量と情熱と時間をかけて同じ事が出来るだろうか?

めまぐるしくに移り変わる形・たくさんのブランドの名前や店舗の名前。
その中からお客様にぴったりの物を選び出して資料を作る事に、私は喜びを感じるのだろうか?

そもそも、私は、自分に似合うと思うものは、好きだと思う商品の中から、店舗で自分自身で試着して選び出したい。
その時似合う物は、実際の商品の中にあるので、店舗に出向いて試着しないと意味がないと思うのだ。

だから、襟の形にまで含めた細部の情報資料作りに情熱がないし、膨大なファッションと楽しんで向き合う事が私は得意とはしていない。

メイクにしてもそうだ。
新しいコスメや美容情報に他のメンバーの様な熱量が私にはないのだ。

メイクに関しても私は、
眉を整え、
もともとの自分の肌を傷めないようなスキンケアを丁寧に行い、
自分自身を否定しないような形や色で整えられたら、もうそれでよいと思う程度。

どこの商品の色番は何番のが使いやすいとか、ほくろを除去するにはとか、ハイフや糸リフトがどうとかヒートアップしていく美容情報に、心がまったくついていけないのだ。


外見を整える事は、気持ちに作用する。自分に自信を与えてくれる。
自分の輪郭を自分自身ではっきりさせる事のひとつだと思う。

その事に対して重要だと思ってきたし、今でもその気持ちはあるのだけど‥‥。

私が仕事として個人サロンを開くなら、女性が自分自身を心底楽しんで生きるお手伝いを目的としたい女性が心底楽しんで生きている事が、周りを明るくする事だと思うから。
外見を整える事で、簡単に私が大事だと思う目的にだどりつく事もある。

だからこそ、多くのイメージコンサルタントや、美容家はそれを喜びにし、日々膨大な情報を発信し続ける情熱を持つのだと思う。

自分をまるごと肯定出来た時に、人は内側から輝きだすのだと思っている。

けれど、かえってエスカレートして外見ばかりを重要視し、苦しくなっていく女性達が数多くいるように感じてしまうのだ。重要なのは見た目の形ではないのに、見えるという事にばかり重きをおく。その事が私にはとても気になる。

人は見た目ではない。心根の美しさがなにより価値持つ。それが日本人の価値観だと私は信じていたけど、

『どんなに心が綺麗でも、見た目でまず選ばれなければ意味がないでしょう?』そういう人も数多い。

そこに私の心は共感しない。
心が綺麗であるとは、他者を許容し、自分のまわり全てをあるがままに受け入れ、感謝出来る柔軟性の様に思う。
日本人の美徳だと私が思ってきた事だ。

風呂敷包みの様に、包む対象に合わせて変化する柔軟性。着物もそうだと思う。身体にあわせて包みこむ優しさが日本人の精神性を表しているように私は感じる。

見た目でまず選ばれたいという願いは理解出来るし、外見を整える事は自分にとっても、心地よくいる為に必要だと思う。

けれども、他人から見てもっと綺麗に、もっと素敵に見えたい!、誰かに選ばれる為に!と思う気持ちに、心の平穏と他人をあるがままに受け入れる余裕は生まれてくるものなのだろうか?

私も美しいものに惹かれる。造形の整って生まれた人を美しいと素直に思う。
けれど、やっぱり人の美しさは、心根なのだと。内側から目に見えにくい部分にもっとも宿っているものなのだと強く言いたい。心を磨く事を大事にしてきたのが日本人では無かったのだろうか?

なので、
個人サロンは、形を追求する事を求める人と繋がってしまうと
私が伝えたい事と、お客様の望みが一致しないのにお金を頂くことになりかねないので、ファッションについて言及しないと決めた。

パーソナルデザインを学んだマチュアリズムの奈保さんと、奈保さんの言葉には共感する事が多いのでLINEで話をした。色々話す中、

『自分が心底、人生を楽しむのは意外と難しくないですか?
人生を楽しむためにはどうしたらよいのかわからず、企業や投資に夢中になっている女性が増えてきているように思うのです。』
という奈保さんの問いに、私が答えたものを先日奈保さんがnoteのブログに「50代女性の生きにくさについて」という事で掲載してくれている。

そして、また、私の胸にストンと落ちてきたものがある。

他の国と比べて日本人って‥‥。と卑下して考えた事がない私なら、
小さな頃から日本が大好きだった私なら、私の思う日本人の良さを発信できる。

日本女性は自信がない人が多いとするならば、
私が思うことのひとつに、日本人という事に自信を失っているからではないだろうか。

その結果、私は日本の良さが消えそうになっている事に焦りを感じるのだから、その為に思う事を発信し、そのことが自信を取り戻す小さなきっかけとして、女性の喜びにつながるとよいなと思う。

女性が心底楽しんで生きている事が、周りを明るくする事。
母親が自分である事を楽しんでいないと子供達に悪影響。
私は自分の子供達はもちろん、大好きな日本の子供達が楽しんで生きてゆける事を祈る様な想いが、消えそうな日本の美徳を発信したいと思う気持に繋がる

銀も金も玉も何せむに 優れる宝子にしかめやも
             (山上憶良)

個人サロンより当面は、思う事を伝える事が今やりたい事だ。












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