過小評価を恐れるわたしは、今日もひとりコンビニスイーツを喰らう。
一昔前の携帯小説的タイトルを引っ提げてみました。
わたしは最近になってちょっとした気づき、いわゆるプチ発見をした。それは、わたしなりの機嫌がいい時と悪い時のバロメーターを言語化してみましょうという、心理学的アプローチに基づいて自身についてリスト化していた時のことだった。
うきうきメーター
7(MAX) じっとしていられない、どこかに行きたくなる
6 本やグッズをどかどか買う
5 やたらと人と話したがる
4 丁寧な生活をしようという気になる
3 発想力が発露する
2 歌い始める
1 コンビニスイーツを買う
どんよりメーター
7(MAX) この世の全てが生産性のない行為に思える
6 映画を観ようという気にならない
5 音楽を聴いてもテンションが上がらない
4 睡眠が荒れ始める
3 食が荒れ始める
2 人と連絡をとらなくなる
1 コンビニスイーツを買う
わたしはもともと気分がいい時と悪い時の差が激しいほうだ。どうしたって人が変わったレベルで行動パターンや好みも変わる。しかし分類をしていて気が付いた。
気分が良い(躁状態)も、悪い(鬱状態)も、全ての階層の根源にコンビニスイーツが鎮座しているのである。
これではわたしの全てがコンビニスイーツを求めているようなものではないか?そこでわたしはこれまでの行動を思い出せる限り遡ってみた。アマゾンの奥地へと求まらない答えを出しに行くように。
疲れたな、今日は頑張ったな、そういう時にご褒美的名目で買ったシュークリームのレシート。
またある時は、やってられねぇよ!とヤケになりながら車内で貪るようにして食べたどらもっちの記憶。そしてわたしは悟るのだ。
あ、わたしコンビニスイーツが好きだったんだ。
このコンビニスイーツ、良くも悪くも気分の振れをいち早く察知する、わたしの中のバロメーター的存在を果たしている。コンビニスイーツ様々で、わたしは今を生きている。
そもそも何故こんな階層構造を作ろうと思ったのかというと、それはわたしがバランスを取ることに異常に固執するという気質に起因する。
荷物は両手で持ちたい。
誰かとスーパーでお菓子を買う時はできるだけ値段を同じにしたい。
というどうでもいいごくごく些細なこだわりから、
できれば、中性的でいたい。
どちらかの意見だけでなくどちらもの意見を中立的に取り入れた上で判断したい。
という比較的わたしのパーソナリティに関わるような問題まで、色々である。とかくこのような性格である以上、自分のより良い、ベストな状態を保つために、もっと言えば、可もなく不可もない状態(でありながら、どちらかと言えば人から見て良い状態)を保つために、まずは清濁併せ呑むといったところで、小手調べ的に自分の気が振れているサインを作ってみたのだ。
この「バランスを取る」という思考は本当に厄介で、誰かと買い物に行ったり、プレゼント交換をしたりすると、雪だるま式になってやめられなくなることがしばしばあったりする。こんなことはきっとまだいい方で、例えば苦しい例を挙げると、自分の心地良さを追求できるがあまりに、完璧なパフォーマンスをしようとし過ぎてしまうという思考に繋がることがある。しかもそれがわたし自身を窮屈にしている。もうどこに向かっているのかわからない。考えなくてもいいことを日頃から頭に詰め込んでいるせいで、自分で自分の首を絞めているのはわかっている。
そして、その状況を楽しんでもいる。
なるほど、事態はそう単純なことではないのかもしれない。
しかし、単純なことを複雑に考えすぎているだけかもしれない。
とりあえず言えるのは、今日のコンビニスイーツもおいしい。