花に関する小噺エトセトラ
小学生の頃。わたしの家の庭には、たくさんの花が咲いていた。
小さなかわいらしい花から、大きく荘厳なものまで、種類はいろいろだった。その全ての世話をしていたのはわたしの祖母だ。
教室には、花瓶がひっそりとあった。誰でも花を持って来て良いことになっていたが、わざわざ買ってまで持ってくる子はいなかった。しかしわたしはひとり、祖母が育てた花を、新聞紙でブーケのように包んだ花を、定期的に学校に持って行った。先生は毎回褒めてくれた。それが(自分のことではないのに)どことなく誇らしかった。
今、わたしの家の庭は、かつての状態と比べると、ほとんどの植物が刈り取られ、寂しい姿となった。祖母の状態も芳しくない。以前は午前と午後一度ずつ庭作業に表に出ていたものだが、ベッドの上で静かにテレビを観ている時間が多くなった。
全て、過去の話だ。
花の芳香も、わたしが抱いた微弱な誇りも。
「女性に花束を送るのが男の嗜みだ」
そう言ってタクシーの乗り際に小さなブーケをプレゼントしてくれた男性がいた。まだ幼かったわたしは、それだけで大人になった気がして嬉しかった。
その男性とは中学生の頃、友人を介して知り合った。「食べ物を美味しそうに食べるお友達を連れておいで」というお誘いを受けて、友人によってわたしが指名された。昔から食い意地だけは1人前だったのだ。二つ返事で承諾すると、友人と共に料理の美味しいお店に連れて行って貰った。
肉も、魚も、簡単なコース料理もあった。いつも羽振りよく、しかし懇切丁寧で温厚篤実、嫌味な部分の無い紳士的な方だった。わたしたちも高校を卒業する時にはお金を出し合って白いチーフをプレゼントした。
20歳になってお酒が飲めるようになり、再びお会いした時には、かつての元気が心做しか薄らいでいるように感じた。後で友人から、自身が事業で稼いだお金を身内に持ち逃げされたと聞いた。栄枯盛衰は世の習いなどと言ったりするが、さすがにこの時ばかりは悲しかった。
あの時のブーケの色は、今でも覚えている。
そのブーケをどうしたかは、もう忘れてしまった。
高校生の頃付き合っていた恋人は、よく折り紙をしていた。なんでも折れるが、中でも印象的だったのが薔薇だった。薔薇と言っても平面ではなく、紙を2枚使って立体的に折り込む仕様になっている。手先が器用な人だった。花が咲く頃に出会い、何年か後の花が散る頃に別れた。色々あって上手くはいかなかったが、あの頃2人で折った薔薇だけは、今でも変わらず手元に残り続けている。
紙で作った花たちは、育たないが、枯れもしない。
つい先日、無事に大学を卒業した。お世話になった教授にと花束を用意したのだが、お話をすることは出来たものの準備が間に合わず、直接お渡しすることが出来なかった。教授室のドアノブに紙袋を下げ、メールを送って、大学をあとにした。
暫くして、「また、お会いしましょうということなのでしょう」と返信が届く。教授らしいと目を細めつつ、寂しさが少し、胸を掠める。
花はわたしにたくさんのことを連想させる。
花は往々にして、人の人生にも喩えられる。
「花は散るから美しい」そう言ったかつての人々は、自らの死に際に何を思ったのだろう。
花はやはり、咲いているのが美しい。
そろそろ近所の桜並木も、綻び始めた頃である。
映画「花束みたいな恋をした」
https://hana-koi.jp/
「何かが始まる予感がして、心臓が鳴った──」
麦と絹の出会いは偶然だった。しかしそれにしては出来すぎなほど、趣味が合う。好きな映画、音楽、本、芸人……終電の間際まで語り合う2人。惹かれ合うのは時間の問題だった。一度は重なり合ったように見えたが、麦の就職活動を機に次第にすれ違うようになり……
サブカル風味の2人の姿に、オタクの痛々しさと青春の全てが詰まっている。「花束」という言葉が、本当にこの恋路の全てを物語っていますね。共感できるなぁ〜という部分が出てくる出てくる。ひりつくような焦燥と匂い立ちそうな青春のひとときに、やられます。
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フィルマークスで好きな映画、観た映画について元映画館勤めが好き勝手喋ってます!
悲しいユーザーネームですが基本的にいつでも孤独です!良かったら仲良くしてやってください!定期的に覗いていただける方も大歓迎です♡
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『休日は孤独』さんの映画レビュー | Filmarks
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