
『イスラエルボイコットとパレスチナ』(10−11)日本経団連でのパーティー
私はイスラエルとのビジネス経験で深く感動したことがある。それは、当時イスラエルの首相だったイツハク・ラビン氏(6日戦争のイスラエル国防軍の参謀総長)が、1994年12月14日にノルウェーから日本に立ち寄った際に歓迎パーティーが経団連で行われ、そこに参加したときのことだ。
日本に立ち寄ったラビンさんは、その席上で、イスラエルは経済的に自立している。日本はパレスチナの自立支援をして欲しいと語った。オスロ合意以前のPLO(PFLP)はハイジャックを行うなどのテロ組織で、イスラエルとは激しく敵対していた。元軍人であるラビンさんは、ノルウェーから日本に立ち寄り、以前の敵に対しての支援を懇願したので ある。当時の情勢を理解している人は、感動し涙していた。当時の日本経団連の会長は豊田章一郎さんで、ヘブライ語で乾杯を意味する『レハイム』で乾杯の音頭をとった。ちなみに『レハイム』の『レ』 は『ために』、『ハイム』は『命』意味する。しかし、ラビンさんは来日した翌年の1995年11月4日にテルアビブの平和集会で、至近距離より銃撃され亡くなった。 『あたらしい死海のほとり』より
以前のPLOは、今で言うアルカイダやダーイッシュ(IS)のようなものなので、ラビン氏のメッセージは強烈で、それ以来、このメッセージは私の心に残ってしまった。
たまにパレスチナ料理(=イスラエル料理)を食べたくなり、江古田のシャマイム(閉店)や十条のBisanに立ち寄ると、ラビン氏やアラファト氏の写真が飾られていて、その時のメッセージと状況を鮮明に思い出してしまう。
しかも、当時60代、70代の参加した経団連のメンバーは今は現役を退き、ラビン氏がわざわざ日本に立ち寄り伝えたこのメッセージを聴いた人は、ほとんどいなくなってしまった。
今の私にできることは、たまにパレスチナ料理を食べたり、パレスチナ産オリーブオイル(パンとのマリアージュは最高)をネットで購入したりすることぐらいしかできないが、これがTiny Delightsであることも確かだ。
1994年12月14日にパレスチナ問題についての研究をはじめてから2024年に至り、「人生24時間法」で1日に少しづつ30年間研究していることになる。日本人としては次の3つのことが考えられる。
1)パレスチナには独立のためのリーダーが必要
それは、マルワン・バルグーティだろう。
2)パレスチナにはコントロール可能な水が必要
それは、アカバ湾の海水を死海に送り込み、落差400mから電力を生み、海水を淡水化することで水を生むRed-Deadプロジェクトだろう。(拙著『あたらしい死海のほとり』にまとめた)
3)パレスチナ問題には中立的に関わる日本が必要
それは、日本企業へのイスラエルボイコットを防ぐシステムを構築することだろう。詳しくは(10-20)イスラエルボイコットとトライアングルシステムで解説予定。
ちなみにこのシーズン10は、イスラエルとパレスチナと日本のトライアングルシステムを解説するために1990年代初頭からのイスラエルビジネスの経緯をまとめている。
Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。