『契沖』大学のない江戸時代の学問のあり方は独立研究者だった(日本の歴史)
師説ならば誤りでも従うという江戸時代は学問から創造性が欠落した。その時代に万葉集という古典を自由に探求することで新しい解釈を試みたのが尼崎出身の契沖だ。
契沖はもともとは真言僧として高野山で修行をしている。その後、曼荼羅院の住職となるが、その頃父を失い山村の生活なる。しかし、母を養うため妙法寺の住職になる。母が亡くなると寺を譲る。
高野山の修行時代に、学僧以外に16歳年上の下河辺長流という親友を得ている。彼が徳川光圀に請われて『万葉集』の注釈を行っていたが病気がちで、それを引き継いだのが契沖だ。『万葉代匠記』とは下河辺長流の代わりに成したという意味だ。
私には契沖の文学的な功績を理解する素養はないが、彼の生き方は現代に必要性を感じるのである。
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