『地域創生の失敗研究』(9−5)イスラエルのキブツ
(9−2)小さなモデル「新しき村」の失敗研究の失敗研究をベースに山間部の地域創生として、(9−3)石徹白村の水力発電と比較し、海辺の(9−4)久米島システムを比較してきた。次は日本から離れ海外、イスラエルの地域創生拠点であるキブツと比較考察してみる。
キブツとは何か
イスラエルにあるキブツというコミュニティーは、新しく村と同じような共有財産制で無報酬の労働提供と平等を前提としている。キブツとはイスラエルの集産主義的協同組合だ。キブツとは元来ヘブライ語で、集団、集合を意味する言葉で、1909年、帝政ロシアの迫害を逃れた若いユダヤ人男女の一群がパレスチナに渡り、最初の共同村デガニアをガリラヤ湖南岸に設立したのがはじまりである。
キブツは新しき村に似ている
彼らは、自分たちの国家建設の夢を実現させようと願って、生産的自力労働、集団責任、身分の平等、機会均等という4大原則に基づく集団生活を始め、土地を手に入れ、開墾していった。迫害のために世界各地からユダヤ人がこの地にやってくると共に、キブツの数や人口は増大し、学校、図書館、診療所、映画館、スポーツ施設などの建設も進められた。元来は農業が中心であったが、現在では工業や観光業も営み、独立した自治体的な側面も有している。当初、生活の全てが無料で保障されるとともに構成員の労働は無報酬であったが、現在では給与が支払われるようになっている。
キブツの歴史
キブツのはじまりは1909年だ。キブツは、1948年のイスラエル建国前からパレスチナの地への移民(アリヤー)が、個人的なパレスチナへの定住が難しいことから生まれた集団的定住の仕組みの一つになる。したがって、当時のキブツのミッションは、ユダヤ人国家をパレスチナの地へ建設するシオニスト的目標と、搾取と迫害や不平等から開放された新しい社会を創造するという社会主義的目標の2つがあった。
ユダヤ人の多くは、商売人や医者や弁護士、芸術家であり、農民という底辺が存在しない職業構成をなしていた。その反動からか、パレスチナでは国家の基礎を築くためにも農民になることをシオニストたちは目指した。したがって、キブツは当初「ユダヤ人農業のゆりかご」といわれていた。さらに、イスラエル建国後に正式な陸軍が生まれるまでは、キブツはパレスチナにおけるユダヤ防衛の要塞でもあった。
キブツの現状
現在は国境地域を中心に約282のキブツが存在し、それぞれのキブツの構成員は50~2,000人、総勢17万人以上とイスラエルの総人口の3%を占め、イスラエルの農産物の実に80%を生み出しているといわれている。
キブツができた当時のパレスチナの地への移民のおかれた環境から、国家ができ、産業が発展し、所得の極端な格差も生まれたイスラエルにおいて、キブツそのものが変化し、当初理想とした共産主義コミュニティーが変化している。しかし、私有財産の否定に基礎づけられたキブツの包括的な集団主義は、個人を私的な金銭的苦労から開放する。したがって、常に金銭的苦労に悩んでいる人々にとってキブツは、ユートピアであることも確かだ。
キブツの労働概念
労働に対するキブツの基本的な概念は、労働が幸福を獲得するための手段ではなく、労働そのものが幸福の源泉で、労働は人間の自己実現の手段であり、創造性の源泉であるとしている点だ。そういう意味で、キブツの概念は、地域創生にヒントを与えてくれる。つまり、都会で働く人々にとり、毎日満員電車に揺られ、残業をこなすのは、労働そのものが幸福の源泉ではなく、家族が住むマイホームであるとか、子ども教育だとか、海外旅行や高級な食事の費用を獲得するための手段だからだ。だとしたら、そういう空気に縛られた人の田舎暮らしでの労働は、本来の人間の生活を実現するための手段だと考えるようになるのは自然なことで、地方移住を希望する若者が増加している現象も納得できる。キブツでの労働も、労働そのものが幸福の源泉で、労働は人間の自己実現の手段であり、創造性の源泉という概念なのである。
Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。